36.半透明
葉月の留守中に、元恋人のロベルト=ハリス少佐が
わざわざ葉月に連絡をしてきた。
隼人は、彼がこうして葉月に連絡を取ってきた理由が気になる。
葉月がメンテチームを結成するために他中隊のキャプテンである彼を
必要としていることをハリスが既に聞いたのではないかと思ったが…
『ミゾノ中佐は…ミーティングでしたっけ?』
「はい…。そうですが…。」
『でしたら…。構いません。また・かけ直します。』
「あの!」
元・彼が葉月にこうして内線をかけてきたのは初めてだった。
何の用事か聞かないと隼人は急に気が済まなくなったのだ。
「ご用件があれば…中佐にお伝えして…すぐに連絡するようにいたしますが!」
隼人も慌てて、ハリスを引き留めていた。
『………。いえ。彼女自身から聞きたいことなので。こちらから…』
隼人が思いっきり・ハリスを意識していることを、彼に見抜かれたようで…
ハリスの声は、急に落ち着いた大人びた声になっていた。
隼人も、それが解って自分自身心の中でかなり・焦って赤面していたようだ。
『そうですか。かしこまりました…。』
隼人がスッと大人しくひいた途端だった。
もう…ハリスの方から『では…』と、内線を切られると思っていたのに…
今度は彼の方がなにやらためらっていた。
『………。サワムラ大尉?』
「?はい??」
『実は…今日。源中佐とうちのスチュワート先輩からあなたのメンテチームを作ることで…
私の協力が必要だと…ミゾノ中佐が言い出したこと、初めて聞きました。』
(やっぱり…その事で…)
隼人は元・彼であるハリスも隼人と同様…葉月の人選に動揺したのだと解った。
『なぜ?私なのでしょう?他にもいい先輩はたくさんいます。彼女にそう伝えてください…。』
ハリスは隼人と違って…『断りたい』意志なのだと隼人は察した。
そりゃ・そうだろう…。
手放した彼女に今付き合っている恋人と向き合わされるのだ。
隼人だって本当のところは現・恋人だからまだ…受け入れられるが
葉月の元・恋人と仕事で向き合わされることには納得いかない部分はある。
しかし…他の先輩達もそれさえ知らなければ『いい組み合わせ』と賛成しているから
葉月の考えも業務的と思って受け入れたのだ。
さて…断られた。どうする!?と…隼人は一瞬迷った。
しかし…
「何故ですか?私の指導をするのは…何かご不満が??」
口が勝手にそう…ハリスを引き留めていた。
(俺って…)
心の何処かでは…葉月の考えの味方でいたいとか…
他の偉ぶった先輩よりかは…穏和そうなハリスだったら言うことないとか?
そんな計算が働いたかどうかは解らない。
でも…そう言ってしまっていたのだ。
『そうではありません…。私が役不足なだけです。』
「そんなことありませんよ!僕から御園中佐にも言っておきますよ!
あなたではなくてはイヤだって!!」
自分の積極性が何なのか隼人にもさっぱり解らないがそう言ってしまったのだ。
でも・思わぬ自分を自分自身で見てしまった隼人は少しずつ…解ってきたのだ。
そう…葉月が何か…彼との関係に何かを埋めようとしている気がしてならなかったのだ。
別れてしまった彼に何かをしようとしている。
そうしなくては…葉月の中でハリスはずっと『元・恋人』のしこりが残るような気がしたのだ。
だから葉月が、何か思ってハリスと隼人を向き合わそうとした。
そうしてあげないと葉月が救われないような気になったのだ…。
『そう言っていただいても先輩方にもお断りしたところです。
先輩達が妙に熱心に説得するので私自身から彼女に断ろうと思って…』
「彼女が諦めても。僕が諦めません!」
隼人の強い姿勢に、さすがに受話器の向こうでハリスが息・ひいたのが伝わってきた。
『どうしてですか?』
(元・恋人だからだよ!!)
隼人自身も、彼と向き合って彼を越えたい何かがあるようだった。
『………。ありがとうございます。しかし…一度彼女と話をさせていただけませんか?』
「解りました。中佐にもそう伝えておきます…。」
隼人はそこで彼との話を終えた。
初めて彼の存在を大きく感じた。
こんなにムキになった自分も初めてだった。
隼人は葉月の代筆をしていたレポートをジッと見つめていた。
昼下がりの日差しがそっと紙を明るく照らす。
『私ってこんな感じ…』
彼を幸せに出来ない女と葉月が伏せたまつげで緑の葉っぱを指からおとした夏の日を思い出す。
そんなことない…。
『別れても。きっと彼に何かしてあげられるさ』
隼人は、葉月にそうさせたいと思っていた…。
そうしているうちに…隼人の代筆も終わって、葉月がミーティングから帰ってきた。
隼人は早速・山本のことも含めて、ハリス少佐のことも葉月に報告した。
しかし、葉月は驚きもせずに『そうなの。解った』とだけ言って
静かに隊長席に座り込んだだけだった。
「ハリス少佐に…連絡してあげたら?なんだか今すぐにでも
御園中佐と話したいって…感じだったけど?」
隼人は出来上がったレポートを葉月の手元に提出しながら
そっと…上から座っている葉月の反応を伺った。
「そうね。」
茶色のまつげが少しだけそっと…下に動いただけで、
葉月は隼人が代筆したレポートをジッと眺めて動きを止めてしまった。
「ふーん。こうやって書けばいいのね?さすがお兄様♪これから参考にする!」
葉月は隼人が仕上げた文体に満足したのか、そこはニッコリ微笑んで隼人を見上げた。
その笑顔には、隼人も何も言えないが…。
「このお調子モン!俺の話聞いているのかよ!」
話を逸らそうとする葉月の頭をこずいて、パソコンデスクに隼人は戻った。
葉月はまた・唇をとがらせて少しばかりすねていたが。
いつもの隊長業務に戻ってしまった。
(まったく…人を振り回すだけ・振り回しやがって…)
葉月の落ち着きぶりが、フランスにいたときもそうだが時々気にくわないのだ。
もしかすると。今の恋人である隼人の前で、元・彼に連絡することはためらうのかも知れない。
隼人とて、ハリスと葉月が対話をするところははまだ・聞いたことがないから…
葉月は隼人がハリスとの関係を気づいていると解っているとしたら…
隼人の目の前ではやはり…連絡を取りにくいのかも知れない。
しかし…暫くして、葉月が珍しく内線を手に取った。
隼人はいちいち反応すると葉月が、また・気にかけると思って
素知らぬ振りして自分の作業に没頭する振りをした。
「お疲れさまです。四中の御園です。ハリスキャプテンいらっしゃいますか?」
(やっとその気になったか…)
隼人はなんだかんだ交わす振りをして葉月がやっと彼に連絡したのでホッとした。
それと同時に…『元・恋人同士』どう…会話をするのか緊張してしまった。
「ハロー…ロニー…。」
隼人は耳を疑った。
葉月が他の先輩が彼をそう…愛称で呼んでいたように…
葉月も『ロニー』と呼んだからだ。しかも、隼人がいるにも関わらず。
(やっぱり…そう呼んでいたんだ…彼のこと)
急にマウスを握る手元の力が抜けるような気がした。
『ハローハヅキ…』
向こうはそう葉月のことを呼んでいるのだろうか?と考えてしまう…。
「大尉から聞いたわ。こっちに来る?」
英語で短く…それもいきなり…葉月はぶっきらぼうにそう一言言うだけ。
おまけに彼がどう返事をしたかは知らないが、葉月はその二言だけで
彼のと対話を終わらせて内線を切ってしまった。
そして、初めて…隼人の方を気にしたのだ。
「………。」隼人も反応に困った。
お互い、ハリス少佐のことでどうこう…話したことがないだけに…。
お互い、事情は解っているが葉月の『春に別れた恋人』は誰だとは話したことがないだけに…。
「ハリス少佐。今から来てくださるって…。」
「ふーん…」
そうとしか言えなかった。葉月もそれ以上は言わずに仕事に戻ってしまった。
ハリス少佐も、あれだけ『断りたい』と言っていたのに…
葉月の短い一言には、『OK』をしたようだった。
それだけ…葉月とは向き合って話したい心境なのだと隼人には解ることが出来た。
暫くして…ジョイが代理室の自動ドアから困惑した表情で…慌てて入ってきた。
ついたての事務の間に駆け込んできて…
「お・お嬢??ハリス少佐が訪ねてきたよ!?ど・どうする??」
葉月にそう…伺って気性が素直だから隼人の方まで気にしていた。
「私がお誘いしたの。通してあげて…」
書類から目を離さずに葉月が落ち着き払ってそう許可したものだから
ジョイはもっと困惑したようだった。
「誘った…って?お嬢が?」と…言う具合に。
すると。葉月はため息をついてペンをコトリ…と机においてジョイを見上げた。
「私が留守の間に、連絡をしてきたんですって。ああ…そうそう。
ジョイに言うの忘れていたけど、今度・ハリス少佐には
大尉がメンテチームを作る際に指導してくれる先輩として頼むことにしたの。
勿論…源中佐もブロイ中佐も大賛成よ。その事で…彼も聞きたいことがあるんですって。」
隼人は葉月がジョイに『言うの忘れた』と言ったことを初めて聞いたのだ。
おそらく・葉月はハリスと付き合っていたことを知っているだろう弟分には
初めから言うと『何を考えているんだよ!絶対おかしいよ!隼人兄が可哀想だ!』と
言われると踏んでワザと言わなかったと言うことが隼人には解った。
当然…隼人の予想通り…葉月から『初めて真実』を聞かされたジョイは息を止めたように驚いていた。
セリフも予想通り…。
「何でだよ!隼人兄とハリス少佐を組ます理由って何だよ!納得いかない!」と言い出した。
葉月はまた・落ち着き払って一つため息。
「コリンズ中佐も賛成してくれたもの。」
コリンズ中佐は葉月のことをプライベートを含めて色々と知っているようだった。
隼人の反応を気にしていたデイブのあの様子…。
数日してから隼人は彼の隼人の反応を見る視線が何か気が付いたのだ。
恋人が元・恋人と向き合わすことを知って、隼人が男としてどう反応するか…。
隼人は後になってデイブの視線の訳を知って…
(くっそー。俺が葉月の男としてどれだけ・寛容な男か試していたんだな!?)
と…。煮えくり返ったほどだ。
だが…隼人の落ち着きは、デイブに『葉月に適う男』として
認めてもらう結果になったのは言うまでもない…。
そのコリンズが元恋人と現恋人を組ますことを考えた葉月に『賛成した』。
それを知ってジョイは反論する姿勢を渋々引っ込めたようだった。
「あっそ。知らないよ。俺は!」
「解ったなら…お通ししてちょうだい」
いつも食らいつくジョイに対して、姉さんの如くシラっとしている葉月。
その二人の様子はいつもと変わらないが…。
ジョイがなんだか隼人を哀れむように一時見つめて…
納得いかなそうに、ふてくされて隊長代理室を出ていった。
(ああ。彼にまで俺って…心配されるようなことに巻き込まれているんだなぁ…)
隼人にまで…覚悟はしているのに葉月がすることにため息が出てきた。
『失礼いたします…』
丁寧な日本語で男が一人入ってきた。
その途端に葉月が、ちょっと…表情を困ったようにゆがめて立ち上がったのを
隼人は見逃さなかった。
「いらっしゃい…。ハリス少佐。
本当なら…提案を勝手にした私がお伺いしなくてはいけないところ…。
申し訳ありません…。」
先ほどの『ロニー…』というような親しみは今度は葉月は見せようとしなかった。
「いえ…。こちらこそ。お忙しいところ…無理を言いだして申し訳ありません。
ですが。どうしても…中佐の『お気持ち』を知りたくて…」
ハリスは、丁寧にいつもの品の良さを醸し出しながら
葉月の机の側までやってきて紳士らしく葉月に深々と頭を下げたのだ。
葉月がそんな彼の礼儀正しさを見てそっと…微笑んだのだ。
その笑顔の柔らかさ。隼人はやや…ショックを受けた。
葉月がたまにしか見せない…『女の笑顔』だと…隼人には解ったからだ。
いつも無感情令嬢で冷たい顔をしている葉月が…
ハリスには一度でも女として心を許していたことがある証拠…隼人にはそう感じることが出来た。
「フフフ…。また。じゃじゃ馬が困ったことやりだしたって…。あなたは笑っているのでしょう?」
葉月がクスクスとやんわり声を漏らすと
「笑うなんて飛んでもありません。あなたらしくて…」
ハリスは恥ずかしそうに照れて頭をかき…そんな葉月を慈しむように見下ろしていた。
(そうゆう…二人だったわけ…)
隼人はそのやりとりを見ただけで『もう・充分解った!』というように…。
困らせるじゃじゃ馬が本当は可愛くて仕方がないという品の良い男を見て…
やっぱり・心は穏やかでない自分がいることに気が付いてしまった。
それにしても、葉月の心の変化が解らない…。
ハリス少佐のことは『ロニー』と隼人の前で初めて呼んだりして…。
自分から隼人の目の前にハリス少佐と向き合う姿をみせんが為に
自分の職場にまで彼を呼び寄せたりして…。
(俺にばれてもいいって事??)
お互いに『ばれている』事ぐらい認め合わないだけで
見て見ぬ振りを決め込んでいるように思えていただけに…。
葉月の方から、『過去』をさらけ出そうとしている真意が隼人には良く理解できなかった。
それも…『仕事のためなら今の彼に昔の過去をばらすことぐらいいとわない…』
そんな葉月の『業務的犠牲心』が隼人には気に入らなかった。
自分という恋人との間に波風を立ててまで…
そんなに元恋人と現恋人の自分を組ますことにそれほどの利点があるとは
隼人には思えないからだ。
ハリスが言うように『良い先輩は他にもいる』ようには思えてくる。
あの日本人キャプテンの『山下中佐』だって歳が近いと言えば近いから
その先輩でだって良い話なのだ。
でも…葉月が『ハリス少佐』を選んだ理由が本当に何か訳があることは確かなようだから…
隼人もそれを見届けたいから今は黙って様子を見て…言うことを聞いているだけ。
ハリスが葉月の『元・恋人』と知らなければ…二つ返事で組んで欲しい先輩であるのも事実。
『業務的』には葉月に賛成で…
葉月の『個人的狙い』にはどこか…心に引っかかりがある。
葉月には…思い残すことないよう…思いっきりぶつかって欲しい裏側で…
やはり…元恋人を気にする葉月のやりだしたことに…
隼人の心は半透明…。
見えそうで見えない葉月の心も半透明…。
それは…こうして葉月と向き合って…彼女を慈しむように優しい目元で…
葉月を見つめる男も…ハリス少佐も同じ事を感じているに違いない…と…隼人は睨んでいた。
だから…彼はとうとう…葉月の目の前に姿を現した。
それを引っぱり出したのも…隼人の今の恋人…葉月である。
ハリスも葉月の半透明な心を確かめようとのぞきにやってきたのだと隼人は思った。
そして…ハリスの葉月への思いも…半透明かもしれない…。
彼がどうして結婚したかを隼人は知らない。
結婚してもなお…葉月を優しく見つめる男の心も『半透明』だった。