13.玄海
次の朝。隼人はきっと葉月が気にするだろうと心得て
何喰わぬ表情で『おはよう』と挨拶をすると…。
やっぱり気にしているのかいつものような元気な輝く笑顔は見せてくれなかった。
「昨夜は有り難うな。すごく解りやすかったよ。」
荷物のリュックを机の下に置きながら『お礼』を言うと
やっと『本当?良かった』と僅かながらに微笑んでくれた。
「あのね…隼人さん…夕べのことなんだけど…」
「なに??」
「その…」
ちゃんと謝りたいのに言いにくいのか葉月はまたうつむいてモジモジとしているのだ。
「なんの事かな??昨夜はお嬢さんが来てくれたことしか覚えていないよ」
シラッとした視線を投げると葉月はビクッと背筋を伸ばした。
隼人の方から核心に触れてきたのにサラッと流してしまったのが
逆に驚きという感じであった。
「それで?それ以外に何か?」
「姉様のこと…」
「その先は言えるのかよ?それを言ってどうするんだよ?
お嬢さん。そっちだって俺がせっかく言おうとしたこと
フランスで蹴り飛ばしただろ。『そんなこといってどうするのか』って
それと一緒。俺もここでその話は蹴飛ばしておくよ。」
「でもね。これから先…『困る』とか思われたくないから…」
(って…それは俺にもう一度抱かれる気があるって事?)
隼人は顔は冷静に固くしていたが心では心配していたことなので『お?』と思ってしまった。
しかし…思い直し。
「俺は…お嬢さんに無理強いするぐらいならこのままでいいと思っているから。」
などと…『格好良い言葉』を言ってしまっていた。
そんな事本当は望んでいない。
葉月に手を出さないウチに強引な男…つまり…遠野祐介みたいに
女扱いが上手い男に言い寄られてかすめ取られてしまうぐらいなら
フランスに帰った方がマシだ!と…隼人の心が言っていた。
「それでいいの??」
今度は葉月からいぶかしそうな質問が帰ってくる。
『男がそんなこと我慢できるはずはない』
そう言うところは『男』を良く知っているようだった。
「じゃぁ…。約束」
「約束?」
「好きな男が出来たら…報告してくれ。フランスに帰るから」
すると葉月がやっとニッコリ微笑んでくれた。
『俺以外の好きな男が出来たら…ここにいる意味はない』
そう…受け取ってくれたようだった。
「うん。そうする…」
そんな受け答えをしてくれて隼人もニッコリ笑ってしまっていた。
「そうだ。今度真一君に『お礼』しなくちゃな。一緒に食事に行けるかな?」
そう言うと葉月の笑顔がさらに輝いた。
「本当?シンちゃん喜ぶわ♪あ。そうそう…昨日残業していたらね?
ウィリアム大佐にまた呼ばれて…」
葉月はそう言って机の上にあるパンフレットのような冊子を隼人に差し出した。
「一ヶ月後に内勤になれたら今度は『外訓練』を来年から始めるから
カリキュラム選んでおいてくれって…。それから…
来月からはメンテナンスのお手伝いも始まるから頑張ってね♪」
「ついに来たな?今度は内勤だけじゃここではやっていけないんだよなぁ」
「今まで…『外訓練』は何してきたの??」
「康夫の補佐になって内勤にこもるまでは…ジャンと一緒に『空手』やっていたけど。
後は…システム工学とか…情報通信とかかな??」
「『空手』!?やっていたの!!そんなイメージ無いわよ!」
「失礼な。メンテナンサーだって力仕事だからな。そりゃ鍛えていたよ。」
「空手…もう一度やるの?」
「さぁね。なんだか…島ではいっぱい訓練メニューがあるようだから…
時間の調整が取れる訓練選ぶよ。それにしてもものすごい数だなぁ」
隼人は早速冊子を開いて写真付きのメニューの多さに『さすが総合基地』と目を見張ってしまった。
「なんだか…聞いたことない訓練まであるなぁ」
「いつでも。聞いてくれたら説明するから♪」
「忙しいくせに」
仕事中は相手にしてくれないので隼人がまた冷めた目つきで
葉月の調子の良さにしらけると…葉月は『ご最も』と黙り込んでしまった。
「じゃぁ。今度…二人だけで食事にでも…」
彼女の方から隼人を誘ったので隼人もビックリした…。
『やられた』と思った。
なんだかんだ…迷っているウチに女の葉月の方に先手を取られてしまった。
「じゃぁ…そうしようか…」
「約束よ♪」
男を受け付けない身体のくせに…そうゆう所は結構…大胆。
そう…『ランチに連れていって!』と急に頼み込んだ…初めてであったときと同じだった。
「お嬢さん。男に誤解されやすいだろ」
「なに?それ!?」
「お嬢さんにそんな風に食事に誘われたら男はみんな勘違いするって事。」
「なによ!私軽々しく男の人に声掛けないわよ!」
「どうかな?俺と初めて会ったときも…強引に『連れて行け』って言ったくせに」
「だって!あの時は!隼人さんがすっぽかしたからじゃない!」
先程まで昨夜の事を気にして落ち込んでいた葉月が
こうしてつつくほどムキになるのが可笑しくなって隼人はワザと続けた。
「気を付けろよ。俺だってその栗毛に騙されて連れていってしまったんだから。」
「騙されたってどうゆう事よ!!」
葉月がムキになるほど隼人は可笑しくなってきた。
「まぁ。騙された価値はあったみたいだけどね。」
「もう!!いいわよ!隼人さんの意地悪!!」
葉月はとうとう隼人のからかいにプイッとそっぽを向けて『朝礼』に向かっていってしまった。
隼人はそんな葉月を見てクスリ…とこぼした。
きっと…ロイもこんな心境でいつも葉月をからかっているのかな…と
そんな共感が生まれてしまったのだ。
からかってばかりもいけないので葉月がむくれたまま訓練に出掛けるとき…。
「今度の週末どう?」
と、そっと一言付け加えると…「いいわよ♪」とやっぱり調子よく機嫌を直して出掛けていった。
(まぁ。とりあえず…こんな感じでいいかな♪)
少しずつ…葉月が心を開いてくれるならそれでイイと…隼人は思う。
葉月の場合。他の男には心を開きにくい所が隼人の強みだった。
ただし…遠野先輩のように強引で女扱いが上手い男が現れないことは祈るしかないようだった。
天の邪鬼で不器用な男である隼人には、こうゆう男が一番ひとたまりもないからだ。
週末になって約束通り。隼人と葉月は『仕事の話し合い』と称して
夕方から食事に出掛けることとなった。
葉月はこの日は珍しく定時で切り上げて早速隼人を車に乗せてくれた。
「さぁて。今日は何処にしようかしら♪」
お互いに『仕事の話し合い』なんて照れ隠しの建前で
隼人は助手席でウィリアム大佐にもらったパンフレットを小脇に抱えながらも
『これは…もしやデートと言っても過言ではないな?』と
ステアリングを握りしめて上機嫌の葉月を見て自分も微笑んでしまっていた。
「またBe My Lightに行くのかな?」
あそこは軍人が多すぎる。葉月と二人きりの所を見られることに隼人は不安を感じた。
「今日は土曜日だから。きっとあそこは人が多いと思うわ。大勢で行くなら良いけどね〜。」
葉月もやはり隼人と同じく『二人きりはまずい』と踏まえているようなので隼人もホッとした。
「どうせなら…人が多い土曜日でも普通の軍人さんがいけないような所に行きましょうか?」
葉月がなんだか余裕で微笑んだ。
「普通の軍人が行かないところ??なんだよ。それ。」
「隼人さん。フランスでいろいろ連れていってくれたでしょ?海辺のレストランの海老美味しかった♪
だから今夜は『和食』。父様のお気に入りのお店があるの。」
葉月の『父様』呼びもまだ慣れないが…『将軍の行き着け』と来て隼人はドッキリ身が固まった。
「それって…『料亭』??」
「まさか。ただの『小料理店』よ♪」
葉月にとっては『料亭』も『小料理店』なんじゃないか??と隼人はまた心が穏やかでなくなってきた。
葉月の車は、町の繁華街を通り過ぎて
隼人が自転車でも走ったことが無い『養殖場』が並ぶ海辺沿いを走り続けていた。
綺麗なリゾートホテルが転々と並んでいてこの島も『観光』に力を入れていることが伺えた。
「田舎かと思ったけど…。けっこう…観光客もいるね」
「ここ数年…。マリンスポーツも盛んだし…。ホエールウォッチングも流行っているからじゃないかしら?」
「なるほどね〜。」
「あんまり…賛成されていなかったのよ。ここに基地が出来ること」
「そりゃ。何処に出来たって反対はされるよ。」
「私達が来て…鯨がこなくなったとも良く聞くわ」
葉月が残念そうにため息をついた。
「空母艦を浮かべているせいだって…。ロイ兄様が連隊長に就任してからは
兄様は住民と折り合いを付けるのに大変だったの」
「そうなんだ…。」
葉月が本当に妹の如く『兄分』の苦労を噛み締めながらうつむいた。
「でもさ。鯨が来なくなったとか言うけど。日本人は『鯨食い』していたんだぜ?
何が正しいんだろうねぇ。鯨を食うことに関しちゃ外人には軽蔑されてる節あるんだぜ?」
隼人がため息をつくと葉月がジッと隼人を驚いたように見つめていた。
「前・前。ちゃんと見て運転しろよ」
葉月もハッとしてステアリングを握りしめた。
「隼人さんって…時々…。すっごい事言うのね。」
「は?なんだよ。それ?本当のことだぜ?
お嬢さん。アメリカにいて鯨喰ったことあるか?」
「ないわよ。もとよりもう、あんまり捕っちゃいけないんでしょ」
「じつはさ。ヨーロッパでは『タコ』を喰うこともそりゃ珍しいらしいぜ?
ギリシャでは日本と同じように食べるところもあるみたいだけどね。
話ずれちゃったけど…。要は基地が出来ようが鯨を食おうが…。
人間は愚かで罪深いだけかも知れないな。
戦争がなければ俺達がこんな風に武装する事も無いわけだし…。
人間が喰わなければ自然破壊にもならなかったりするし。
だけど…。人間でも鯨でも『食物連鎖』とか『弱肉強食』の一部な訳だから
何とも言えないね。神いわく…とにかく生き抜くことかも知れないね。」
隼人の理論に葉月は思わず絶句…。
「すっごい…。隼人さんってやっぱり『理論派』ね!」
葉月がまるで『真一』のように瞳を輝かせて『すっご〜い!』と言うので
隼人はまたドッキリ…その瞳に吸い込まれそうになった。
「って。こんな事。新聞読んでりゃ誰だって知っているさ。」
と照れて窓の外に視線を流すと葉月のクスクス声が聞こえてくる。
隼人もニッコリ一人で微笑んでいた。
「で?今夜はその『弱肉強食』にあやかって…『海老』って事?高いだろ?」
「ぜんぜん♪ここだからこそ。安いの♪離島の特典って所♪」
「鍋で茹でずに、日本人らしく『生』で?」
「当然!どうせ私達は『野蛮な日本人』よ♪」
「おいおい。栗毛のクオーターが言っても似合わないよ。アメリカからの帰国子女のくせに。」
「私だって『鎌倉生まれ』の純日本人よ!なによ。隼人さんだってフランス長かったくせに!」
「俺だってそうだよ!『横浜生まれ』の純日本人だよ!」
『あ。お互い神奈川生まれ♪』
『あ。ほんとうだ♪』
妙な共通点に初めて気が付いて二人は久しぶりの揃ってのお出掛けに
少しずつ気分が上昇していった。
隼人は葉月がすっかり元気でフランスにいたときと変わらない事と…。
久々の『本格和食』にありつけそうなことですっかり胸が満たされた
週末のお出掛けに上機嫌にならずにはいられなかった。
養殖場の海沿いを抜けるとすっかり空は夕暮れていた。
日がだんだんと短くなってきて南にある離島とは言え、
やはり秋の夜長の気配だった。
観光ホテルが並ぶ町の中、葉月が道路際にある一軒の店に車を駐車した。
白い暖簾に『玄海』と豪快な毛筆文字が書かれている。
『へい!っらしゃい!!』
葉月について暖簾をくぐるとものすごい大きなダミ声に迎え入れられる。
中は寿司屋のようにこぢんまりとした木製カウンターと二間のお座敷があるだけ。
小料理屋らしく入り口には大きな水槽があり、その中にやっぱり伊勢エビに
鯛に…カワハギが泳いでいた。
『ああ。日本って感じ♪』
基地では『国際』だからこんな和風を感じたのはこれが初めてと
隼人はお店の小ささも手伝ってホッと心が和んでしまった。
「よ!嬢ちゃん♪久しぶりじゃないか!?」
カウンターにいたダミ声の『大将』が料理人らしい紺の甚平をきて
豆絞りのはちまきをしている。
「こんばんは。おじ様。今日予約しておいたけど…。」
『予約!?』
そこまで準備していたのかと隼人は葉月の周到さにまたおののいてしまった。
しかも…『ここにも『おじ様』がいるのかい!』と葉月のお嬢様振りに呆れてしまったのだ。
「おう!二階の座敷空けておいたぜ!あがんな!すぐ準備するよ。
どうだい??オヤジさん元気か?」
「さぁね。またゴルフ三昧なんじゃないの?」
(おいおい。オヤジさんは将軍だぞ。将軍!!)
案外お父さん子なのでは?と隼人は思っていたのだが
葉月が偉大な父親に対して口悪を叩いたので眉をひそめてしまった。
「そう言うなよ!嬢ちゃんにそう言われちゃ、オヤジさんが泣くぞ!」
「泣くもんですか。それから『嬢ちゃん』はやめて下さる?おじ様!」
『おじ様』といっておいて、『嬢扱いは嫌!』と拗ねる葉月が可笑しくて
隼人は葉月の後ろで『く…』と笑いをこらえてしまった。
「はいよ。『中佐』」
「それもやめて!」
『嬢ちゃん』『中佐』と大きなダミ声で言われて葉月が店の中にいる
民間人の視線を集めたようなのでよけいに怒りだした。
(相変わらずだなぁ)
隼人は苦笑い。何処に行っても素性を隠そうと普通になろうとして必死な葉月に笑ってしまった。
「その人が、葉月ちゃんの側近かい?」
大将がやっと隼人に気が付いた。
「初めまして。今日はご馳走になります」
隼人も。彼女の父親と顔見知りの人には礼儀正しく…挨拶をしておいた。
「フランス帰りだってな!まってな♪今日は腕を振るうからな!」
「楽しみにしています。本当久しぶりなんです。」
隼人から期待の一言を聞くと『よっしゃ!』と大将がはりきりだした。
「さぁ。いらっしゃい。葉月ちゃん」
優雅な着物姿の女将がちょっと古めかしい階段の方に案内してくれる。
隼人と葉月はニッコリ微笑み合って女将の後を付いていった。
栗毛のクオーター嬢とフランス帰りの男の軍服での訪れに
やはり民間の島民や観光客は物珍しそうに眺めるので…
隼人はその視線がちょっと気になった。
(これじゃぁ。葉月が『中佐』と呼ぶな。と怒るわけだな)
『島民に反対された』
その言葉を思い出して隼人はちょっとゾッとした。
フランスやアメリカでは『軍』のあり方は結構寛大な方だが
日本では『平和派』が戦後根付いているからそうも行かないだろう…。と思っていたが。
民間人が見る軍人への眼差しはフランスで感じたことがない視線だった。
「大尉ですってね。大丈夫よ。ここでは外人の隊員さんも結構来るから…
ほら…ロイ君も良く来て、民間の方と酔っぱらったりするのよ。」
「え!あの中将が??和食を!?酔っぱらうんですか??」
(想像つかないよ!あんなハンサムな金髪外人が日本オヤジみたいなことを!?)
と…隼人は絶句してしまった。
「そうなのよ。ロイ君は『親日家』だし。良くお客様を連れてきてくれるの。」
着物姿の女将が緊張している隼人にニッコリ優しく微笑みかけてくれた。
マリーママンのように。スラッとした50代の女性であの中将を『ロイ君』なんて余裕で呼ぶし…
着物姿も久しぶりに見たし、その上品さに隼人はうっとり…
『ゆっくりしていってね』に『はい』などと素直に返事していた。
それを葉月が『シラッ』とした目つきで流して『フン』とばかりに
栗毛を払って先に階段を上って行く。
(ふ〜ん?アイツでもそんな嫉妬心があるのか?)
『意外』と隼人は思ってしまった。
八畳ほどの床の間付きのたたみ部屋に通された。
「ああ。日本に帰ってきたって感じ」
床の間には、掛け軸と、女将が活けただろう花が飾ってある。
隼人は趣のある部屋に、すっかり感心して女将に一言『素敵ですね』と
感想を述べると女将もニッコリ『喜んで頂けて嬉しいわ』と優しく微笑んで出ていった。
テーブルに向かい合わせに葉月と座布団の上に落ち着くと彼女が一言。
「隼人さんって…本当にああゆう女性に弱いのね」
そんなところは鋭いお嬢さんに隼人は出されたお茶を一口付けて
「ゴホ!」とむせてしまった。
「なんだよ。それ!」
「べつに!」
いつもは葉月には天の邪鬼の兄様が母親のような女性には
めっぽう紳士で素直で優しいのが今回浮き彫りにされて葉月はそこに早速気が付いたようだった。
『マザコン!』
そう言われているような気がしたが…。
本当のことだった。
『マザコン』とは自分では思っていないが。
隼人は本当にマリーのような女性にはついつい素直になるし弱くなるのも本当のことだった。
葉月がムッとしていたのは一瞬だったが…。
隼人にしてもそんな葉月の意外な一面が見え始めてきたことが
『本当にコイツと毎日いるんだな』と実感が湧いたときでもあった。