7.距離
『ああ。疲れた』
長い一日がやっと終わって隼人は官舎に帰るなり、ベッドに倒れ込んだ。
とにかく、昨日フランスを出てからろくに休んでいなかった。
飛行機から降りて、すぐに連隊長のロイに逢い、
葉月と再会して、ランチに行って、それから初めて本部に入り
業務確認。その後は葉月の甥っ子にいきなり会い
ジョイに言われたソフトを確認。
最後の終礼で…50人もいるメンバーの前で自己紹介。
帰りに葉月とゆっくり話せるかと思ったら
山中に引きずられるように『さぁ。帰ろう♪』と連れて帰られて。
葉月はそのまま残業になると言うことらしかった。
隣の階段にすんでいるという山中の自宅で夕食をご馳走になって
今帰ってきたところだった。
隼人は寝ころんだまま、制服の上着を脱いで床に投げ捨てた。
『本日から本部改革のためにフランス航空部隊から転属になりました
澤村隼人大尉です。以後。大佐室にてわたくしの側近になります。
年末に少佐になる予定ですから。皆さん、来たばかりの大尉に暫くはサポートを
してくださいませ。大尉の転属で『空軍管理班』の業務に変更があります。
それぞれの班長と供にフランク少佐の元指示に従って下さい』
終礼時に集合をかけて皆の前に立った葉月の姿をそっと思い返していた。
50人もいる若い本部員を従えて小さな木箱に立ち、凛とした表情で
指示をする葉月を見て隼人は唖然としてしまった。
側近が付くことと、隼人がいきなり来たことで本部員がざわめきたったが
葉月は顔色一つ変えないで、本当に無感情令嬢の名の如くどっしり構えているのだ。
そんな彼女に負けまいと、隼人もそつなく自己紹介。
確かに解っていて島に…葉月の元に来たのだが…。
彼女の冷たい表情。淡々とした喋り方は今まで見たことがない立派な姿だった。
あの立派な大佐席に座っている姿は何となくしっくりきたが
さすがに大人数の前で台の上に立つ彼女の姿には圧倒されてしまったのだ。
しかしながら…
『俺がついて行くと決めた上官。そうこなくっちゃ』
という、期待心は満たされていた。要は彼女が女であるから戸惑っているだけ。
戸惑っているだけと冷静に分析して心を落ち着けようにも
やっぱりあの姿がこうしてこびりついているのだ。
(その内に…見慣れるさ…)
隼人は急なギャップが早く埋まればいいと思いながらため息をついて
ベットの上で寝返りを打った。
灯りもつけない部屋でも…向かいの棟から差し込む家庭の灯りで
部屋は薄暗くとも物は見渡せた。
月が…今夜は出ているようで窓辺に差し掛かっている雲が
うっすらと金色の帯をひいていた。
どこからともなく…生活の音は聞こえるが、隼人が住むことになった
日本人官舎は林の側で風に揺れる木々の葉がさざめく音の方が
隼人の耳に入ってくる…。
『あいつ。もう…帰ったのかな?マンションって何処にあるんだろう?』
結局葉月とゆっくり話せたのは…ランチの時だけだった。
確かに…葉月に逢いたくてフランスから出てきた。
しかし、隼人の中ではやはり仕事を通して彼女と並んでいる姿しか、今は想像が出来ない。
『お嬢さんの恋人』
なんて言葉はまだ受け入れられなかった。
来た途端に彼女を抱きしめたものの…。
だからといって彼女がすぐに男の自分に寄りかかってくるのも困る。
隼人が葉月に告げたように『兄と妹』なら…しっくりくる。今はまだ…。
フランスでもそうであったように、葉月とはそうゆう姿で、そのようなスタンスで始めたかった。
肌をあわせはしたが、それも『時間がせかした』とも言える。
葉月が帰国してしまうと言う気持ちの高ぶりが、隼人を『情愛』に引き込んだし
葉月も追いつめられたように隼人に身を投げてきた。
出来れば…。すぐにはあのような『情愛』に溺れるようにはなりたくないし…。
おそらく葉月ならその距離の置き方も解っているだろうと信じていた。
そんなことを考えて…
(俺ってやっぱり冷たい男なのかな?)
肌を分かち合って『情愛』を交わして…こうして追いかけてきたのに
こんなに冷めている自分に隼人はため息をついてしまった。
本当だったら…今夜。彼女と一緒に食事に行くべきだったかも知れない。
葉月は今の隼人の距離の置き方をどう思っているか??
『冷たい男。ちょっとは私の女の気持ちも解ってよね』
と、思っていないだろうか??などなど。いろいろ頭に巡った。
あのミツコだったらこの時点でかなり怒っているところだ。
それに葉月がここに訪ねに来ても困る。
一介の隊長代理が『女』と言うこと一つでいそしく通ってきては
『新しい側近が嬢ちゃんを駄目にしている』とも言われ兼ねない。
葉月がそんな風に崩れていかないように隼人は気を配らなくてはならないし
それに…そんな女になる葉月なら『期待はずれ』とも思える。
(あのお嬢さんが…通うって事もないか。)
隼人が今まで見てきた彼女なら…そんな女らしさは彼女らしくないとも思えた。
本部員を従えたあの冷たい顔。それが、そんな崩れる女にならない証明のようだった。
あの顔は…驚いたが。側で働く部下としては『安心感』はあった。
ここまで冷めていながらも、やはり葉月とはもうフランスで楽しくやってきたような気ままさは
この島では出来ないような不安もあった。
彼女は一介の隊長代理。
300人の部下を背負っている若中佐。
冷たい顔して、もう…フランスで見せてくれた笑顔はそうは見られないのではないかという
せつなさや不安がよぎって…
隼人は一人きり、荷物も着いていないわびしい部屋で毛布にくるまって
眠ることでフランスから出てきた現実から逃れようとまぶたをそっと閉じた。
「おはようございます」
朝が来て、隼人は山中の兄さんに連れられて再び新しい職場にやって来た。
早く寝たせいか、朝早く目が覚めてゆっくり日本で初めてのシャワーを浴びて
トロトロと支度をしていると『ウチで朝飯食おうぜ』と
親切にもまた山中の兄さんが誘いに来てくれた。
山中の妻も手厚くもてなしてくれた。元看護婦らしいが今は子育てと言うことで退職して
主婦と言うことらしく、新婚夫婦らしく慎ましやかな家具に囲まれながらも
生まれたばかりの子供を囲んで何とも暖かい家庭だった。
そこに招かれて隼人は出掛けるまで子供に付きっきりの山中を笑いながら
彼に連れられて本部に出勤したのだ。
大佐室にまだ慣れなくて恐る恐る『おはようございます』と言いながら入ると…。
「あ。おはよう♪大尉。昨夜はよく眠れた??」
葉月の方が先に来ていた。机の書類を束ねながらニッコリ…。
大窓からはいる朝日に栗毛を輝かせて、素晴らしく輝く笑顔を隼人に向けてくれたのだ。
「え。ああ。グッスリね」
その笑顔に隼人は思わず飲まれかけて一時躊躇してから生返事?
「本当?良かった…」
自分がフランスから引きずり出したことを気負いしているのか
葉月はそう聞くと本当にホッとしたというように制服の胸をなで下ろしたのだ。
隼人も…葉月の笑顔を見た途端に何もかもすっ飛んでしまった。
(こうして毎日逢えるんだモンな。これからずっと…)
隼人も気分がやっと上昇して自分の席に荷物を置いた。
「俺。今日から何すればいいんだろう??」
「あ。そうねぇ。とりあえず…康夫の所でやっていたことと同じ事務を…
そこのパソコンでやってもらうってジョイが言っていたわ。
私は殆ど毎日朝の9時から訓練に出てしまうんだけど…。
空軍管理班で今日はミーティングをするって言っていたから
ジョイの指示に従ってね?」
「そう。解りました…。」
いよいよ…この本部の中に自分が組み込まれるのかと隼人は緊張はしたが…。
昨日。ジョイが制作したというソフトを見る限り、何とかやれそうで…
その上『早くコイツを使いこなしたい』と言う気持ちが高まっていた。
「暫くは内勤ね…。私としては『助かる』わ♪」
葉月の『助かる』を聞いてしまっては隼人も頑張るしかないと心を強くした。
そしてまた…。朝一番に『朝礼』が行われる。
また葉月が山中が準備した小さな木箱の上に立って凛々しい表情で本部員に
その日の指示をする。その冷たい表情は…『お嬢さん』でなくて…久々に『若様』に見えてしまう。
昨日よりかは隼人は心が落ち着いていて…
(こうして見慣れて行くんだろうな…)と心を和らげた。
『行って来ます♪』
朝礼が終わって机の整理と補佐達に指示を残して葉月がバッグ片手に訓練に出掛けていった。
隼人は大佐室にポツンと一人残されながら…ジョイがくれたソフトを再確認。
その内に…
「大尉。ミーティングするから外に来てくれる?」
ジョイが大佐室まで呼びに来た。まだ表情は硬く隼人には笑顔は見せてくれなかった。
『はい。少佐』
隼人は言われるまま、大佐室をでて本部室に行く。
本部の隅。窓際にある予備席に若い男性が何人か固まっていた。
金髪の青年。日本人の青年。外人を取り混ぜていろいろな人種で集まっていた。
どうやら隼人より皆若いようだが『少尉』『中尉』の肩章を立派に肩に付けている。
若くても何処か自信がみなぎっていて堂々としているのだ。
香水の匂いがするところが妙に内勤エリートの『上質の男達』を感じさせて
フランスで言う『金髪大尉の後輩』が何人も現れたように隼人は思ってしまった。
その中でもやはりジョイは一番堂々としている。
おそらくこの班員の青年達のなかでも若いウチにはいるだろうに
24歳らしい無邪気な顔して…
「始めるぞ。空いている席にテキトーに座って」などと無表情に若い青年達を指示するのだ。
隼人も従って、空いている席に腰をかけた。
「昨日。紹介がすんでいるから、大尉の自己紹介は省くよ。
まず、今から配る冊子に目を通して」
ジョイは側に来た女の子が持ってきた冊子を班員に一人一人手に渡るのを眺めて、
女の子をサッと追い払った。その威厳がやはり『少佐かな?』と隼人も眺める。
「大尉」
「は、はい。」
いきなり呼ばれて隼人はドキリと返事をして背筋を伸ばした。
「このメンバーが『空軍管理班』。五中隊と四中隊は今。空軍チームは1チームしかないから
人数は少ないけどね。まず、ウチの御園中佐が属しているチームの訓練管理をするって事は
フランスで藤波中佐のチームをサポートしていた大尉ならもう判りますね。」
「はい。一応…。」
「訓練スケジュールを他の空軍チームとの折り合いを付けて滑走路を押さえたり
空母艦乗船許可を取ったり…。あと、ウチはメンテナンスチームがないから
毎日何処のメンテナンスチームを借り出すかの交渉。訓練結果のデーター保存。
管制塔との交信記録。すべてこの人数で取り仕切って空軍チームが動けるようにする。
今まで、僕が『通信科』に所属してきた経験から空軍数値データーを御園中佐とまとめてきたけど
これからは大尉の肩にかかるし、ここにいるメンバーよりずっと軍人としては
先輩ですから宜しくお願いしますよ。」
確かに、見る限りキャリア的年齢は隼人が一番上のようだった。
この中で一番年上。と言うプレッシャーを感じた。
後から来た大尉如きの新側近が年上だと言うだけで
この二十代の若い青年達が言うことを聞いてくれるのだろうか??と言う不安もよぎった。
案の定…。
ジョイの新しい担当構成の説明が1時間ほどして終わり解散をしたときのこと。
隼人が遠退いたのを見計らって青年達がジョイに群がった。
『少佐はこれからは空管班をはずれてしまうのですか??これから管理長はあの大尉が??』
『フランスの空隊でちょっと補佐していただけの教官だって聞いていますが』
『どうせなら、何故藤波中佐を引き抜いてくれなかったんですか??』
隼人が日本人だからか?フランス出身だからか?
皆、英語でジョイに食いついていたのだ。
(クソ!英語ぐらい聞き取れるぞ!!)
隼人はムッとしながら背中でジョイがなだめる様に耳を澄ました。
『お嬢はもとより、ロイ兄が特に欲しがっていた隊員だから、信じてついて行くんだね。
階級が上だったら納得いったの??俺みたいにさ。若くても少佐とかなら良かったのかよ?』
ジョイの言葉に隼人は『へぇ…』と感心。大佐室に入ろうとして足が止まってしまった。
『それに。皆に比べたらキャリアもある『大尉』じゃないか。
『少尉』や『中尉』が言うべき事じゃないよ。』
そうしてジョイはプイッと戸惑う班員をあしらって大佐室入り口の自分の席に戻ってきた。
『ジョイはハッキリ物言うのよ。私の生意気な2つ年下の弟分』
葉月の言葉が隼人の頭の中にまたよぎった。
無邪気な顔しても言うことはかなりハッキリ筋を通すタチらしい…。
隼人は『かばってもらった』と言う感動ではなく
『うわぁ。堂々としているなぁ。若いのに…』と、やはり可愛い顔した金髪のジョイも
葉月と供に2ステップ踏んでフロリダ校を出て…この本部の上官として君臨するだけあると
唸り、感心。驚きが隠せなかった。
若いメンバーを追い払ってジョイは隼人がたたずんでいる大佐室入り口前の
自分の席に戻ってくる。
そして、ジョイを見つめている隼人と目が合いはしたが…素っ気なく反らされてしまった。
しかし。
「気にすることないよ。大尉」
ジョイが席に座りながら隼人に背を向けたまま呟いた。
「奴らはこの島で働いてきたというプライドが高いだけ。
大尉がしっかりやれば大したことない新人上がりの若僧だよ。
でも。覚悟はしておいた方がいいよ。『お嬢が男として惚れたから連れてきた』
そのレッテルは、最初は付きまとうってね。」
『う!やっぱりハッキリしてる!!』
隼人は『ご最も』と唸りながらも、可愛い顔した金髪青年にバシッと痛いところつかれて
おののく他なかったが…。ジョイの言っているところは本当のところで
彼がそこを葉月の為とも隼人の為ともいってくれているのが解ったので
その潔い言葉に…何故か好感が湧いてしまった。
「何とか乗り越えてみましょう」
6つも年下のジョイがこんな風に堂々としているのに隼人は『年上の先輩』として
ここで怯むつもりもなく、フランスで言われてきた『冷たい男』の冷静さが、やっと働いてきた。
隼人のシラッとした一言にジョイは反応はしなかったが…。
ジョイの横にいる山中がニンマリ笑ってグッドサインを胸に出していた。
隼人もそっと微笑んで心落ち着けて『大佐室』に戻った。
パソコンデスクに戻ってもう一度ジョイが配った冊子で自分の役割を確認した。
それを見ながら…。
(お嬢さんのお気に入り…ってことか。今の俺は)
そう思いながら…やはり葉月との距離の置き方は良く考え直した方がいいと思い改めた。
後はその隼人の距離の置き方を女の葉月がどう受け止めてくれるかだった。
軍人としては申し分ない葉月だが…。
女としての部分はフランスでも最後にやっと垣間見ただけ…。
隼人に思いあまって身を投げてきた葉月。
女としての部分がこれから露出してきたら、隼人でコントロールが効くのか??
そんな不安がよぎった…。
葉月とてやはり女は女。
『やはり。まず仕事として彼女と関係を確立していかないとな』
そうでなければフランスへ逆戻りだ。
隼人の中ではまだ葉月の肌に『恋いこがれる』までには至っていなかった。
葉月の笑顔は、心の糧にはなっているが…。
『冷たい男』と言われても…何とか『側近』としてのポジションが先だと
隼人は心を入れ替えた。