1.彼女のまま
真っ赤なスポーツカーが島の曲がりくねった海岸線を
小気味よくカーブをこなして走ってゆく。
薄い青色の晴れ渡った空……。鰯雲。
隼人は助手席で横を走る海岸線に見入っていた。
隣の運転席には…栗毛の女性。
「時々ね。イルカとか…鯨が見られるのよ?」
「本当に!?」
ステアリングを握っている彼女は何とも麗しいキャリアウーマンのようだった。
サングラスなんかかけて…栗毛を潮風になびかせて…しかも軍服で…。
こんなルーフがオープンに出きる日本産の真っ赤なスポーツカーを乗りこなして。
隼人はなんだかフランスで見てきた葉月とは違うような錯覚に陥った。
二人で『再会』を果たして彼女の方から『サボタージュのランチに行こう♪』と言い出した。
屋上を降りると…葉月は近くのとある、事務所に難無く入っていった。
『お疲れ様です。御園中佐』
さっきまで隼人の目の前では、愛らしいウサギだったのに…急に
『お疲れ様。内線を貸して下さる?』などと落ち着き払った顔で
若い隊員達に申しつける。
隼人はまだ、島の中には馴染めないのでその事務所の入り口で
葉月がすることをコソッと覗いているだけ…。
『あ…。お兄さん?私♪側近の方と面談がすんだの。え?無事に終わったのかって?
もっちろん♪後で紹介するから楽しみにしていてね♪
それでねぇ…。悪いんだけど…その側近の方と今からいろいろ話したいことがあって
食事を一緒にとるから…二時間ほど留守にしていい??携帯持っているから
何かあったら連絡してね。ほんと?サンキュー♪お兄さん♪』
葉月の『お兄さん』の連発に隼人は…『誰だよ??嫌に仲がいいな』と
早速ムッとしてしまった。
『サボタージュ』と言いながら、そんな風にキチンと断りを入れるところは
フランスでのびのびしていた葉月ではなく、
ちっとも…想い出とは違う『サボタージュ』じゃないか…と隼人は益々憮然とした。
と・は言っても…。
葉月はここでは『一中隊の隊長代理』。
康夫が面倒を見ていた一人の隊員ではない。
勝手にうろつくことは確かに許されないし、そのお供に隼人がいたと知られては
最初から葉月の中隊本部員への『印象』を悪くするのも困る。
「お待たせ」
葉月は隼人の前に戻ってくるとやっぱりちゃんと『うさぎさん』に戻って
可愛らしく微笑んでくれたからそれで隼人も気持ちを改めることにした。
が…
「だれ?『お兄さん』って…。」とやっぱり聞いてしまった。
「ああ。うん。補佐の山中中佐。そうそう♪隼人さんと同い年なのよ。
内線に出たのがお兄さんでよかった。あんまりうるさいこと言わないし…。
筋は通す人だけど、大目に見てくれるから…。
これが…出たのがもう一人の補佐である『ジョイ』だったら口うるさく
『帰ってこい!』って言われていたかも知れないわね〜。」
隼人は『お兄さん』が中将から聞いていた『アメの中佐』と知って
『なるほど』と納得してしまった。
葉月には甘い訳か…と。
どうやら、葉月にズケズケ言えるのは今のところ幼なじみとか言う
中将の従弟…『フランク少佐』だけのようだと隼人は判断した。
だったら、ここで葉月が急に行こう!と言いだした『ランチ』は早速断って
『駄目だよ。仕事中なのに…』と『ムチの兄貴』になった方が良いのか?と迷った。
しかし…
「せっかくお天気も良いし♪外に行きましょうよ!美味しいところ今度は私が連れていくって
約束覚えてくれている??」
葉月の満面の笑顔に…隼人は負けてしまった…。
それに…『約束だったでしょ?』なんて可愛らしく言われては
隼人とて…葉月に逢いたくてやっと出てきたのだからなんにも厳しくできやしなかった。
まだ、来たばかり…。
『ま。今日はいいか…』
隼人は本当に『ムチの兄貴』になれるのだろうか??と思ってしまうほど…。
目の前で跳ね出した栗毛のウサギの可愛らしさには本当に何にも言えなかった。
それほど…葉月が隼人が来たことの喜びをやっと全身に滲ませていたからだった。
隼人は葉月の後をついて行く。
綺麗な来賓用の昇降口がある正面玄関を出ると、芝生の土手があって
階段を下りて、暫く歩くと金網フェンスで滑走路と仕切られた、駐車場に出た。
「車持っているんだ」
「うん。」
そう言って葉月がキーを差し込んだ車が…。
停まっている車の中でも、一番ピカピカの真っ赤なスポーツカーでビックリした。
そんな隼人の驚き顔に葉月も気が付いた様子…。
ちょっとやるせなさそうに微笑んで言った。
「でも。自分で買ったのよ?やっとローンが終わったの」
また、『御令嬢』と思われたのだろうという、やるせなさと気が付いて…
隼人は心を改める。
「すごいね。けっこう派手なんだ」
ニヤリ…と…フランスでそうだった様に、天の邪鬼に言ってみると…
葉月はちょっとだけムッとして…でも『隼人さんらしい』と言うように
すぐに笑って流してくれた。
「ここでは…車がないと暮らせないわよ?隼人さんもどうするか暫く暮らしてから決めないとね?」
「自転車の方が好きだけどな。まだ、どっかの貨物室で旅行中だ」
暫く足がないと隼人はため息をついた。
車に助手席に乗せてもらい…隼人はゆったりしている座り心地のいいシートに
また驚いて…そして、運転席に乗り込んだ葉月を見て…。
『何処のキャリアウーマンだ??』と思うほど…。
なかなか颯爽としていてビックリまたまた驚いた。
オマケにサングラスなんかかけて…ギアを握って…
『グン!』と発進したので隼人は『いて!』とシートに頭をぶつけてしまった。
「案外乱暴だな!」
「あら。お言葉だこと。戦闘機はもっと速いわよ〜♪」
『このやろ!わざとやったな!』と隼人は相変わらずなお転婆振りにムッとしたものの…。
『俺に気を遣っているんだな』とも思った。
隼人もそうであるように…葉月も…
現実にはここは二人が関係を積み重ねてきたフランスではないのだ。
ここは小笠原…。
それでも、どことなくフランスで向き合っていた二人ではないから
葉月は早く元の…元々の隼人と葉月になりたいと思ったのだろう…。
隼人はそう思って次にはもう笑っていた。
そう…お転婆な葉月の方が隼人も『女中佐』に見えてもその方が助かるのだから。
でも…隼人は思った。
今運転席に座っている隣の女性。
これだけで違和感を感じたのだ。
これからはもっともっと…今まで見ることもなかった葉月を
沢山見つけることになるだろうと。
「おっなかすいた〜♪」
格好良くステアリングを握る颯爽とした女なのに…
そんな調子いいところはやっぱり『お嬢さん』だなぁ…と、隼人はホッとして。
『ま。いいか』
先の不安はとりあえず…葉月が言葉を発するたびに消えて行くのが判ったのだ。
基地から暫く葉月が、海岸線を走ると…なんだか隼人はまたまた違和感に包まれた。
今度は葉月に対してではない。
浜辺沿いに広がる『飲食街』が…先程感じた、『静寂な日本』とはまったく反対の…
『湘南?』とか思わせるような、ゆったりしたアメリカンな明るい海辺の雰囲気だったからだ。
そんな隼人を見て葉月がニッコリ『ガイド』を始めた。
「本当だったら静かな離島なんでしょうけどね。基地が出来てからは
外人が増えたから。特にアメリカ人がね?ここら辺は基地人口が増えてから
開発されたところなの。勿論、島民の若者もよく来るみたいだし、
観光客もよく来ているわよ。」
「いや。ビックリ…こんな離島にこんなファッショナブルな所があるとは思わなかった!」
「フロリダの『実家』に雰囲気が似ているから私は好きよ」
「なるほど?」
隼人は白い浜辺にポツリポツリとゆったり並んでいる飲食店に思わず目を奪われていた。
隼人は『フランス慣れ』しているから、『アメリカン』は物珍しいのだ。
「今から行くところは、私のお気に入りの所♪そこは基地の殆どの人が行くところなの。
ラッキーなことに今はみんな勤務中だし♪特等席も空いてるだろうし♪
人もいないと思うから♪こんな機会滅多にないわ〜♪」
葉月の方がウキウキしていて隼人は思わずその調子の良さに笑い出してしまった。
「良かった。俺が知っているお嬢さんのままで…」
隼人がそっと微笑むと、葉月は急に照れたようにうつむいてしまったので
隼人はそっとウインドウに頬杖をしてクスリと笑う余裕が出てきた。
「あ。もう着いたわよ」
葉月が高いエンジン音をあげる車のスピードを緩めたので
隼人もそっと窓辺に身を乗り出した。