34.銀の伝言
侵入してきた崖側の車庫入り口とは反対方向にある『発電施設』に向かおうと、
経理室を抜け出した隼人達は静かに外に向かっていた……。
まだ、静かだったが隼人の横を走っている達也は妙に落ち着きがない……。
「絶対……動いている……」
そう言っては後ろを警戒して……先頭を行くフォスター隊長も同じ感覚なのか……
角に来ては銃を構えて、右左……慎重に警戒をするので
隼人が思っているほどスピーディには前進していないように感じた。
焦っているのは皆、同じだが……
「だから……発電施設への移動は一手間なんだ……」
クロフォードが『仕方がない』と呟きながらも誰よりも焦っているようだった。
隼人の焦りは『四中隊の失態』になるかも知れない焦り。
クロフォードの焦りは『ベテラン中隊通信科隊長の失態』であった。
ここで失敗して第二陣通信科第五中隊に作戦を実行されてしまうと
御園四中隊は『若僧中隊』でそれで済むかも知れないが……
クロフォードの場合は小笠原総合基地の栄誉を欲しいままにしてきた
『フォード一中隊』の汚点を残すことになってしまうのだ……。
同じ様な焦りが通信科メンバーに漂っていた……。
だが、命を落としてはなんにもならない。
だから……フォスター隊の慎重な前進に逆らう気もなかった。
「……クロフォード中佐……大丈夫ですよ……
先ほど、うちの隊長が作戦司令室に……新システム投入は終わったと報告したから
管制機能復帰まで待ってくれますよ……多少4時を過ぎても……」
黒人のサムがクロフォードの焦りようが気になるのかそう囁いた……。
「そうだね……有り難う……サム……」
トッド=クロフォードはやっとささやかな笑顔を浮かべた。
「動いているはずなのに……先ほどの銃撃戦で逃げた奴らが何人かいて……
絶対にリーダーに報告しているはずなのに……」
達也が『おかしい静かすぎる』と嫌に腑に落ちないようで本当に落ち着きがない。
隼人としては『敵に鉢合わないならそれでいいじゃないか』と思うし……
達也の『敵に遭わないなんておかしすぎる』という感情が理解できないのだが……
それが『戦う男の論理』なのだろうと隼人は彼を見てそう思う。
経理室は崖側に近い端の部屋だったが……
一階は侵入者の備えての警備が固いだろうと踏んで3階をそのまま横に走っていた。
やっと……端に辿り着いて二階へと階段を降りようとしたところ……
『ドドドド!!!』
階段の踊り場からまた、けたたましい銃声が!
そして、目の前に弾丸の雨が降っていたのだ!!
「しまった!! やっぱりここにいたか!!」
フォスターが『さがれ!!』と、階段に降りる角で後退をしたので
皆それに押されるように、元来た道へ逆走を始める!
ところが!
達也を先頭に逆戻りをしたのだが……
向こう側からも数人の銃を構えた男達が走ってくるのが見えた!
「くそ! 3階から出さないためだったのか!!先輩!! 囲まれているぞ!」
「ウンノ! そこの部屋に入れ!」
「解った!!」
後ろから前方から挟み撃ちにあった! 弾丸がフォスター隊をせかすように襲ってくる!!
『終わった……』
隼人の横でクロフォードがそう囁いたのが耳をかすめた……。
『まだだ! まだ……何とかして!!』
隼人は諦めなかった……!
フランス機が撃ち落とされ……葉月には栄光無く……
命からがら逃げ延びるなんてやっぱり嫌だ!
『置いていかないでよ……』
葉月の送り出す声が隼人の脳裏に横切る。
『逃げられるときは逃げて欲しい……命が一番大事』
彼女の父親の釘差しも……。
(そうだけど……そうだけど!!)
フォスター隊が逃げ込んだ部屋は少しばかり広い部屋だった。
『会議室』のようだったが……
「ウンノ! デスクを倒して持ってこい!!」
「サム! 手伝ってくれ!」
ジェイとフォスターが入り口を閉めた!
達也とサムが力強く会議室のデスクを、入り口に寄せ集めようとした。
「俺達も手伝うぞ!」
クロフォードがそう言うので通信科メンバー一同もデスクを入り口に
素早く集結させた!
そのバリケードで入り口が開かないと解ったのか……
入り口に集まった敵数人が『ドン! ドン!!』とぶち破ろうと激しく叩く。
そして……『ドドドド!!』……と機関銃の弾が撃ち込まれて
フォスターとジェイ……達也が入り口から遠ざかる!!
所が……その途端に急に外からの攻撃が静かになった……。
「……油断するな……暫くは外に出ない方が良い……」
フォスターが額に汗を浮かべて、入り口にメンバーと一緒に銃を構えて
緊迫……警戒態勢をずっと崩さない……。
「隊長……自動発電器を使って……管制システムを作りましょうよ!」
隼人はクロフォードに……『少しでも先に進めよう』と提案をしてみた。
「…………しかし……」
クロフォード中佐は躊躇っていた。
「トッド先輩……澤村君の言うとおりだ……やろう!
敵が流れ込んでくるまでに少しでも……」
小池も焦っている分先輩にそう訴える。
「管制システムが出来上がって……もし、敵がなだれ込んできたら?
新システムが奪われてしまう!」
焦ってはいても……クロフォード中佐はやはり慎重かつ冷静だったようで……
隼人と小池は顔を見合わせて……『それもそうだ』と退いたのだが……
「俺達が……第二陣が来るまで何とかする!」
フォスターがそう言いだした。
「少しでも可能性があるなら……やった方が良いのじゃないか!?」
達也もそう叫んだ。
「俺達だって……第二陣に手柄を譲る気はサラサラないぜ?
フォスター隊がこれぐらいで敵にうち破られるとは思わないで欲しいな!!」
血気早そうなサムもそう言って入り口に銃を意気揚々構えた。
「……わかった! そちらを信じて……
サワムラ君……管制システムの準備を……」
やっとクロフォード中佐がそう決したのだ!
『ラジャー!』
通信科メンバーは隼人が背負ってきた機材に一斉に群がる。
「早く……司令室に報告しないと!」
誰の手よりも、隼人の手は素早く動き始めた!
『!!』
「? トミーどうした??」
「……!! どうしたんだろう??」
黒髪の男の横で眼鏡をかけていた男が急に……顔色を変えた。
「ボス……対空ミサイルの調整をしようかと
いま……チェックをかけたのですが? 反応が……操作が出来ないようで……」
「なに!?」
金髪、眼鏡男の報告に黒髪の男も顔色を変えた……。
「まさか……先ほど、報告があった……3階に潜入していたネズミの仕業じゃないだろうな?」
確かに黒髪の男 『林(ラム)』の所に『侵入者』の報告はあった。
勿論……『囲んで始末しろ』の命令は出したのだが……。
「あ!」
金髪、眼鏡男のトミーが急に何かを思いついたように叫んだので
ラムも、『なんだ!?』と彼に詰め寄った。
「しまった……3階……奴らが閉じこもっていた場所は……
確か……経理室だったのでは??」
「そうだったようだが?」
「そこには……OA機器が何台かあって……
もし!! 潜入した男達に『システム専門』の男が混じっていたとしたら……
システムを停められた可能性が!」
トミーの予想にさすがのラムも顔色をさらに変えたのだ!
「なんだと!! じゃぁ! この管制システムは二度と手元で使えないって事か!?」
「……そ……そうなります!
でも……奴らはきっと……新システムを立ち上げようとしていたに違いないです!
それを……奪取すれば……奴らの潜入目的も失敗し……
軍が用意したシステムはまたこちらの手に入るし……
軍が再度、新システムプログラムを用意して潜入するのには
また数日かかることになるから……
ボス……簡単に殺してしまうと……パスワードが聞き出せないから……
そのパスワードを吐かせてからじゃないと……」
トミーの説明にラムが動く!
「まて!! 今、閉じこめた男達をすぐに殺すな!!」
ラムの通信ベッドホンからそんな命令が飛び出す!
「…………くそ! ここまで上手く行っていたのに!!
対岸国とフランスが摩擦を起こすには後もう一押し……やらなければ!
それに……人質救出に3階に立て籠もっているなんておかしいと思った!!」
ラムは苦虫を潰して拳を握りしめた……。
「ボス……私が行きます。数人……護衛を連れていっても宜しいですか?」
「そうだな……どのようなシステムを持ち込んだか……
お前が一番解るだろう……どうせ手元のシステムは今は役立たずなんだろ?」
「……必ず……吐かせてここに新システムを持って帰ってきます……」
「頼んだぞ」
ボスと話がまとまって金髪のトミーはボスが選んでくれた戦闘男を数人付けて
3階の会議室に閉じこもっている男達の元へと管制室を飛び出していった。
『なんで……あんな若僧の護衛なんだよ!』
ラムの後ろにいた直属的部下の血気早い男がそう呟いた。
(トミーは若いがシステムの頭脳はピカイチだ)
そのトミーを手に入れたからこそ……今回の『犯行』を請け負ったのだ。
(もしかすると……『黒猫』がうろついているかも知れないが……
軍が動いているから表だっては動かないだろう……それに……)
ラムはそこで『ククク……』と笑いを漏らした……。
(あの……『ボス』がいなくなって黒猫ファミリーはどうしている事やら……
あの日本人ボスがいなければ、黒猫なんてたいしたことないさ)
『殺して正解だった』
ラムはそう思ってほくそ笑んだ……。
裏切ったときのあの男の顔……。
最高の『サヨナラ』
いつまでも敵うことがなかったあの日本人ボスへの最後の仕返しだった。
『アンタが悪いんだぜ……俺の祖国を敵にした……』
だから……ラムは日本人が好きではなかったのだ……。
そして世界中が気に入らなかった。
どこでもかしこでも……戦争が起きてめちゃくちゃになればいいと思っていたのだ。
「中将……! 彼等が……彼等の移動が止まりました……!」
「なんだって!?」
作戦司令室であともう一歩……『外に移動をするので時間を下さい』の報告を受け、
亮介はハラハラしながら『後もう少し』と待ちかまえていたところ……
現場総監、後輩であるブラウン少将からの報告に
通信員が見つめるモニターに亮介はマイクと食らいついた!
「銃撃戦で敵に囲まれたと思われます……彼等からの報告はありません。
外へ移動中に鉢合ったか……囲まれて……
報告にはないこの場所、えっと会議室ですね……
ここで銃撃戦で、とどまっている可能性が考えられます……」
後輩のブラウンの読みに亮介はガックリ……うなだれた……。
「……あと少し……敵が経理室にいる彼等の存在に気づくのが遅ければ……
滞り無く今頃は作戦は終わっていた……。
時間的に限界だ……敵に知られてしまったなら仕様がない……。
当初の計画からだいぶほころびが来て……狂ってしまった……。
ウィリアム大佐……悪いが漁船に待機させている第二陣を出発させて……
夜が明ける前に……犯人狙撃、突入をしてくれ……
通信科第二陣をその後送り出し……適度な場所でログインさせて管制をとらそう……
新システムを投入しただけでもクロフォード隊の手柄にはなるだろう……」
作戦室に控えていたウィリアムも……直属の部下達が『失敗』をして……
さらに危険な状況にいることにガックリうなだれたが……
すぐに頭を上げて『了解!』と外に出ていこうとした……。
そこで作戦司令室のドアを開けると……
葉月が立っていたのだ!
横にいる山中もやや呆然としている様から……ウィリアムは
『聞かれた!』と悟って思わず葉月の父親がいる後ろに振り返ってしまった。
もちろん……一刻を争うのにウィリアムが立ち止まっているから
亮介も訝しそうに……『大佐?』と振り向いて……娘がそこにいる事に表情を止めた。
「……大佐、急いでくれ……」
「は……はい……」
ウィリアムは葉月の肩をそっと叩いてすぐに司令室を出ていった。
そして……亮介は静かに立ち上がり、開け放されたドアに立ちつくす娘の元に向かう……。
「父様……第一陣の作戦は……失敗に終わったのね?」
娘が……先ほど同期生が撃ち落とされた後のように
鋭く父親を真っ直ぐに見据えてくる。
「……康夫君が無事で何より……」
「そうじゃなくて! 今から二陣を投入して囲まれている彼等は助かるの!?」
「……彼等から声は届かないが……発信は存在している……
まだ、誰一人かけていない……」
「でも!!」
葉月がそう叫ぶと……
葉月の襟元を大きな手が襲った!!
『う!!』
そして! その大きな手で葉月は父親の身体に引き寄せられた。
襟首を片手で軽々と持ち上げられて……つま先が床から離れそうになるほどに!
そして葉月の小さな頭に亮介の顎がひっつきそうになるほど……
そんな力強い父親を見上げると……
恐ろしいほどの力を込めた眼光を……娘に放って睨み付けていたのだ!
さすがに葉月もその父親の『闘う男の瞳』に『ゾッ!』としたのだった……。
「いいか……葉月。お前の仕事は終わった……。
パイロット達を引き連れてマルセイユの本基地に戻れ!
後は彼等が帰還してくるまで大人しく待っていればいい!!」
「……帰ってこなかったら?」
「床に頭をこすりつけてお前に土下座する。 だから……大人しく待っていろ!!」
葉月はこの『闘う男』や『何かを教え込む男』の目線、瞳には逆らえない所がある。
「土下座なんてしないでいいから……彼等を帰してちょうだい!!」
葉月は、つま先が浮いた身体で父の両肩を小さな拳で叩いた……。
そこで……亮介が娘の懇願に我に返ったのか……
やっと襟元の力を緩めて葉月を降ろしてくれたのだ。
「もちろんだ……死傷者が出ることは私にとっても大損害だからな」
父が鼻息荒くコートの襟元を正し……
葉月も一緒になって鼻息をついて襟元を正した……。
父娘が、息巻いて額を付き合わしていたので
その迫力に押されたのか……山中が葉月の横で呆然としていたのだが……
葉月が『中佐?』と声をかけたところで彼も我に返る。
「とにかく……葉月、コリンズチームにも休息が必要だ。帰れ!」
「…………解りました……」
そう、話が落ち着き……葉月が父に任せて素直になった事で
山中も亮介もホッとした時……
「!! 将軍!!」
ブラウンが司令室からいきなり叫んだのだ……!
「どうした!?」
亮介が振り返ると……ブラウンとマイクがモニターを見つめて……
力無くうなだれているではないか!?
葉月も驚いてその様を瞳を見開いて見つめていると……
『発信が……すべて……消えました……』
『なんだと!? どうゆう事だ!!』
『タツヤ……だから……行くなと言ったのに……』
『しっかりしろ! リチャード! まだそうとは!!』
うなだれて跪いた達也の元・義理父……
ブラウン少将に父が怒鳴りつけて立ち上がらそうとしている光景が作戦室で……。
(嘘……嘘よ……達也と隼人さんが……殺されたって事!?)
葉月は司令室の入り口で呆然と立ちつくした……。
勿論……その様を一緒に見つめていた山中も……
ドアの横、壁に力無く寄りかかってうなだれたのだ……。
『マイク! 娘を頼む! 出ていってくれ!!』
『は……はい……中将……』
マイクは素早く葉月の所に飛んできて……作戦室のドアを静かに閉めた……。
康夫は撃ち落とされて容態も解らぬ重傷……。
達也と隼人は敵に囲まれて作戦は失敗……。
頼りの発信が消えて……どうなったか解らない……。
ウィリアム大佐が出そうとしている二陣は今から出発するところ……。
すべて……すべてが葉月の目の前から消えようとしている!!
「レイ? リトルレイ!! しっかりしなさい!!」
真っ白になりかけている葉月の肩をマイクが激しく揺すったので
葉月もハッと我に返った……!
「マ……マイク……どうなるの?」
「いいから……細川中将と一緒にマルセイユに帰るんだ!」
「…………私は……何もできないの!?」
突っかかってくる小さな栗毛の女の子をマイクが哀しそうに見つめた……。
「レイ……そうだよ。レイは待つことしか今は出来ないんだ……。
パパもそうだよ? 指揮官として彼等をいつも待っているんだ……。
責任を背負って、彼等を信じて待つ……それが……指揮官なんだ。
レイの今の辛さは……そのままパパの辛さなんだ。
解るね?? さぁ……おじ様と一緒にお帰り……」
黒髪で青い瞳の彼が説き伏せるように……優しく葉月を見下ろして……
そっと肩を抱きしめてくれた。
「嫌……ここにいる! 父様の言う事聞くから……ここにいさせて!!
彼達がどうなっているか私も一緒に聞かせて!!
ダメでも助かっていても! 少しでも出来ることがあるなら手伝うから!!
マルセイユでジッと待っているなんて嫌!!!」
葉月は優しく抱きしめてくれたマイクの腕を振りほどいて叫んだ……。
マイクが困った顔を……
そこで山中が一言……。
「あの……わたくし、一介の隊員が言う事はおこがましいのですが……
彼女の願い……聞き入れてくれませんか?」
優等生で律儀な山中が……葉月の我が儘に賛同したのでマイクは驚いた。
でも……彼の黒い瞳は裏が何かあるかのようにマイクを見据えていたのだ。
『父親の元なら……大きな事は出来ないはず……
外に出ると……マルセイユに戻ると彼女の監視が手薄くなる』
そう……言っているような山中中佐の強い瞳……。
マイクはそうだろうと捉えて……納得した。
「わ……解った。リトルレイ……落ち着いたらパパに聞いて上げるから……
それまでは大人しく出来るね? 細川中将にお許しを貰ってこれるかい?」
マイクがそう言うと葉月がやっと少しばかり瞳を輝かせて微笑んだ……。
「解った……おじ様にも報告してくる!」
葉月はそう言って早速、司令室を離れようとしていた。
『頼みましたよ……ヤマナカ君』
『解っています……ジャッジ中佐』
すれ違い様……二人の側近男は密かに言葉を交わした。
力無く通路を歩き始めた葉月を山中は追いかけて……
そして……マイクは沈んだ空気が漂う司令室へとため息をついて戻ったのだ。
葉月がトボトボと……哀しみを堪えてしっかり歩こうとしている後を
山中もやるせない気持ちで、後をついてゆく。
葉月が立ち止まる……。
一つに束ねた髪が……肩が……一瞬、震えたように山中には見えたのだが?
葉月は、またそっと重い足取りで歩き始めた。
「お嬢?」
「……何?」
振り向かずに返事をした彼女の声が震えていた。
山中は……彼女は今、泣きたくて泣きたくて悔しくて悔しくてショウがないのに……
その感情が素直に外に出ない所にあるのだと悟った。
数時間前、彼の父親が『素直に泣け!』と叫んだように
山中も……感情が上手く外に出せない彼女の性分を知っていたのだが。
父親ほどには、あんな無理強いは他人の自分がやるのは
『大きなお世話』のような気がして何も……彼女にはしてあげられない。
(隼人なら……どうしたのか? アイツなら彼女を気が済むまで泣かせて……
胸に抱いて……彼女を素直にしていたのかも……)
その男が……今、どうなっているのか……
山中も……フランスから来てまだ半年しか付き合っていない
同い年の同僚のゆく末を思うと……葉月と一緒息が震えてきた……。
「ゴメン……お兄さん……ちょっと、トイレ……行きたいけど」
葉月の力無い声が……
「あ……うん……いいよ。確か……この近くにあったような」
「うん……ごめんね?」
「気にするなよ」
男ばかりの艦内なので葉月の用足しには注意を払って山中が付き添うことにしていた。
勿論……葉月に失礼の無いよう……外で待っているのだが。
近くのトイレに辿り着いて、女性が使える部屋が数戸しかない室内に葉月が入って、
山中は入り口に立ちはだかって誰も入らないよう通路側で待機。
すると……
『うう……うううう……』
トイレの奥から……そんな小さな殺すような声が……
葉月が……すすり泣いている声が山中の耳に伝わってきた……。
暫く、その我慢を殺した葉月の僅かな感情が響いていた。
山中も……唇を噛みしめてそっと目頭を押さえた……。
『まだ……死んだとは決まっていないじゃないか! お嬢!!』
そういって彼女に叫びたかったが……
誰にも見られたくない無感情令嬢の一人きりの『自分の時間』だから……
山中も入り口でジッと堪えた。
おそらく……細川に会う前にれっきとした……女性中佐でいるために
泣かないよう……先に涙は出しておこうという葉月の選択だった事が伺えたのだ。
暫くして……彼女のすすり泣く声が止んで……
彼女がトイレに入り……扉を閉めた音が聞こえた……。
(大丈夫だよな? ここのトイレは……窓もないし出てゆけないはずだ)
そう思って……とりあえず山中も様子を見て入り口で待ちかまえた。
葉月は紺のコートの袖で瞳を拭って……とりあえずトイレの個室に入った。
決して清潔そうな綺麗な室内ではなかったが……訓練校時代から慣れている。
男性用であることも構わずに……とりあえず落ち着こうとした……。
『細川のおじ様には首根っこ掴まれて、マルセイユに連れてかれちゃうかも』
マイクは父に頼んでくれるとああは言ってくれたが……
葉月も気が動転して、つい……昔なじみのお兄さんにわがままを言っただけ。
泣いて落ち着くと……それも『将軍の娘をタテにした我が儘』に思えてきた。
だから……細川に無理矢理連れて行かれたら
この後はすぐに輸送機で移動だった。
寝起きだったため、移動前に用足しだけは済まそうと……
葉月は飛行服のズボン……腰のベルトを解こうと手をかけた。
細いウエストを締めていた布作りの太いベルトを緩めて……
ズボンのボタンに手をかけたとき……。
『コン! コン…コンコン……コロコロコロ……』
『!!?』
葉月の後ろ側の床に何かが落ちて来た?……そんな音がして振り返ってみる……!
『コロコロ』と言う音を追ってみると自分の足元に……小さな銀色の筒が転がっていた!
『!!』
葉月はベルトを緩めた状態のまま身をかがめて足元に転がってきたそれをつまんで拾う。
折れた針を入れておくような……5pほどの銀色の筒。
アルミで出来ている試験管のような形で上は蓋がしてあった。
葉月は驚いて……そっと天井を見上げると……
『!!』
通気口の鉄格子に人の影が!!
「……あなた……」
葉月が囁くと……
「お嬢様の泣き顔なんか見たくありませんよ」
フランス語でそんな囁きが返ってきた!!
鉄格子から『キラリ』と何かが反射して……サササ……とした音が遠ざかっていった。
(さすがね……)
反射したのはスターライトスコープのレンズだと解った。
顔が見えなかったので『栗毛の彼』か『金髪の彼』か解らなかったが……
葉月はそっと『銀書簡』の蓋をくるくると指で回して開ける。
中には……やはり……手紙が……
『…………』
葉月はそれを読み終わってコートのポケットにしまい……
用を済ませて水洗で流して外に出る。
(どうしよう……)
いざとなって躊躇っていた……。
そう……とうとう、黒猫の兄から『お誘い』が来てしまったのだ。
『オチビ? どうするか??
俺が見たところ、お前の男はまだ踏ん張っていると思うぞ?
このまま……お前の中隊は終わりか? お前はまた……男を一人見送るのか?
お前の判断に任せる……無理強いはしない……。
来るなら来い! 途中まではサポートしてやる!』
葉月は洗面所の鏡に写る……泣きはらした自分の瞳をジッと見つめた……。