7.はからい

葉月の叔父。御園京介准将の側近が丁寧な応対で

葉月に取り次いでくれた。

『葉月か?フロリダの兄貴から任務のことは聞いているが…。

そのことかな?』

父と良く似た声である叔父。

父よりも穏やかなしゃべり方がいかにも風流人。

父はヒゲを生やしていたが、叔父はヒゲがない。

そんな優しくて、控えめな叔父の姿を思い浮かべながら

葉月はどこか安らぎを感じてそっと…一人微笑んだ。

「やっぱり。叔父様の耳に入るのは早いのね。

そう…父様と一緒に任務。今回は『指揮側』に置かれちゃったわ。」

『はは♪それでいいじゃないか。お前は今まで動きっぱなしだったんだ。

中隊長ともなれば、軽々しく動く物ではないよ?』

(叔父様もそう言うのね〜)

葉月は、やっぱり大人達が一致団結して

葉月を『動かぬお人形』に仕立て上げたのだと、鼻白んだ。

それは…さて置いて…。

「叔父様の耳にそこまで届いているなら。話は早いわ。

明日・夕方の横須賀基地発、小笠原行きの軍チャーター便の席

何とかして、一席とってもらえないかしら?お願い…叔父様…。」

『それを?何のために??』

「……。叔父様?ごめんなさい。叔父様が言った通りにすれば…

こんな事には…。」

葉月がそこまで言うと、京介が何のことが素早く察知したようで

『ふぅ…』と、言うため息をこぼしたのが解った。

『澤村社長のことかな?』

「そうなの。来ていただこうかと…。お叱りを受けるのは覚悟の上よ。」

『そうか。姪が叱られるなら、私にも責任はあるけどな。』

「…。だから…ごめんなさいね…叔父様の言うこと聞かなくて…」

『しかしなぁ。あの様な、家庭内のことはこちらからは口出しできないよ。

そこは、澤村社長も良く理解されているよ。

ただ、訪ねに来ては、『息子は今どうか?』とは聞かれるけどな。』

「そう…。」

葉月は、彼の父親の気持ちも解るから、そっとまつげを伏せた。

なんと言っても隼人は…先妻が残したたった一人の忘れ形見なのだから。

義理兄の純一ですら…息子の真一を気にしては

そっと、時計を渡したり、上着を作ったり…。

表だって手は焼かなくとも、そうしているのだから…。

『そうだな。お前がそう考えているなら…

右京に手配してもらって…私から澤村社長に連絡を…』

「私がするわ。」

葉月のキッパリした一言に、叔父が息を止めたのが解った。

『しかし…』

「私は…彼の上官よ。連絡先…教えて。」

『いいのか?』

「『上官』としてご挨拶するだけよ。それなら…いいでしょ?」

『………』

京介は何か躊躇っていたが…

『解ったよ。何かあったら必ず報告してくれるね?』

「勿論。困ったら…叔父様に相談するから…。」

『頑張りなさい…。連絡先はね…045−…』

叔父が、何か戸惑いながら教えてくれる番号を葉月は書き留める。

「有り難う…叔父様。じゃぁ…チャーター便の手配よろしくね?

おにいちゃま…何か言っていた??」

『ああ。葉月が大人しく指揮側にいるはずないってね。

でも…だからこそ、心配していたが…いつもの調子だよ。』

京介は呆れたように笑ったのだ。

葉月も、暫く会っていない従兄の様子がすぐに思い浮かんで苦笑い。

「おにいちゃま…。手配してくれるかしら?」

『はは。右京がごねたら、私からするから安心しなさい。』

「おにいちゃま…彼のこと…」

葉月が不安そうに尋ねると、京介がまた笑った。

『さぁね。嬉しいのか嬉しくないのか…複雑そうだが。

葉月のためなら、右京は何も言わないよ。

なんたって…可愛い愛弟子だからね。』

「そんなの。昔の話よ。」

葉月が照れて…思わず昔を思い出させるようなことを言うと

京介は、一瞬言葉を止めたが…

『たまには鎌倉に帰ってきて、一緒にヴァイオリンでも弾きなさい。

それが右京には、一番嬉しいことのようだからね。』

「そうね…。無事に終わったら…鎌倉に行くわ」

『気を付けて…。兄貴を困らせないようにね。』

「失礼ね!叔父様まで!」

葉月がむくれると京介はクスクスと笑って…そこで、お互いに電話を切った。

葉月は中佐室の掛け時計を見上げる。

(まだ…大丈夫ね)

もう一度…息を吸って受話器を手に取る。

横浜の市外局番を押した。

掛ける先は…『澤村精機・社長室』

「ところで…今ふと思ったんだけどさ。」

夜勤定食をつついていた小池が急に呟いた。

五人の四中隊・要の男達はそれまで

お互いの思いに捕らわれていたのか、静かに食事をしていたのだ。

小池は一度…ジョイを見つめてそっと隼人に視線を移した。

「フロリダの特殊部隊に…達也がいたよなぁ?」

その時はもう…ジョイに問いかけるように視線を戻していた。

小池の沈黙を破る急な一言に…

隼人以外の男達が箸を…フォークを持つ手を『ピタ』と止める。

また…重い沈黙。しかし…

「そうでしたね。彼は優秀な海陸隊員だって

藤波からもお嬢さんからも聞いているし…。

彼が一緒なら…僕たちも安心ですよね。小池中佐も顔見知りだし…。」

皆が隼人の反応を気にして動きをとめたから

隼人も構わずに素早く反応を見せる。

だが…隼人のシラっとした反応に皆がまた…動きを止めていた。

「まったく。変な人選だな。」

小池が、『元恋人と現・恋人』が一緒になる任務なんて…とばかりに

ため息をついたのだ。

「でもー。何でかな?海野先輩は将軍付きの第1側近だったのに…。

普通なら将軍のおそばでサポートだろ?今回はどうして??」

デビーは達也になついていた後輩だったのだ。

そんな彼もいぶかしそうにして、ミートスパゲティをフォークでかき回している。

「本当だよね…。まぁ、動きたがりの達也兄らしいけどね。

サッカーで言ったら達也兄はフォワードってタイプだからさ。

でも…おかしいよね…。ブラウン少将が着任したのに…

達也兄は現場に出動なんて…」

ジョイも訝しそうにしつつも…。器用に箸を動かしてうどんをすする…。

「まぁ。何かあったんだろ?

とにかく達也は本戦に出るのは確かなんだよ。」

いつもの如く、山中が深く追求せずに、

目の前で起きたことは『確かな現実』として締めくくろうとした。

「あ。」

そんな中…。隼人が小さな声を漏らした。

小さい声だが…、黙々と食事をして

何が起きても無反応な隼人が起こした『アクション』だったので

他の男達が隼人に視線を集めてしまった。

「なんだよ?隼人。心当たりあるのかよ?お嬢から何か聞いたのか?」

山中は、何か知っているなら『葉月』で、

その葉月が言わないなら『隼人』が知っていると睨んだようだった。

「うーん。」

隼人は眉間にしわを寄せながら、定食の魚フライを箸でつついている。

「なんだよ。一人で抱え込むならここで言ったらどうだよ?

それとも?俺達より『お嬢』に言えて済むことなら口出ししないけどな!」

山中は『プライベート』に、首は突っ込まない男だった。

そうなのだが…葉月のことに対して対処しきれない隼人を

時々もどかしそうにして…遠くから心配しているのを隼人は知っていた。

山中としては同じ『兄貴同士』を最初に誓った仲…。

男として困ったことがあれば、頼って欲しいようだったが…。

隼人はあまり頼ったことはなかった。

その不満なのかそう…彼は隼人に言い捨てたのだ。

年下のアメリカ人少佐二人は、

大人しい中佐…山中のそんな気荒さは珍しいこととちょっとおののいている。

小池は一番の先輩らしく、ジッと静かに見守るだけだ。

「あのさ…。つい先日、藤波から連絡があって…。」

隼人は、フライを一口運んで、よく噛むだけ…。

皆…隼人の『一口』が終わるのを待っている。

隼人は『ごくり』と飲み込んで箸を置いた。

「海野中佐が…離婚したって。彼からね。」

『ええ!??』

隼人以外の男全員が大声を上げた。

カフェテリアにいる他の隊員が振り向くほどに…。

「それで!?」

また、皆がそろって隼人に食いついてきたが

隼人はいつもの如く「しらっ…」と落ち着いていた。

「だから…藤波が言うには…『達也はもっと違うことがしたいらしい』って。

それが何かは…藤波が言うには…『葉月の元に戻りたい』とか…。

でも。今のジョイが言っていた『動かないと気が済まない性分』と言うの聞いて

藤波も言っていたけど海野中佐はブラウン少将の『側近』をやめるつもりで

いたらしいから…。もう…既に『側近職』退いて…

だから…本戦に今回出てきたんじゃないかと…。

本戦で実績あげれば、ある程度の異動先希望できるし…。

悪いところには飛ばされないから…だからかな??って思っただけ。」

隼人の急な『あ。』はそうゆうことらしく…。

皆は突然の『元同僚の急な転機』に驚きつつも、

やっと、納得した…とばかりに複雑そうに動きを止めていたのだ。

「そ…それで?お嬢は…知っているのかよ?その…離婚のこと。」

山中が妙に心配そうに隼人に尋ねる。

(やっぱり…皆、そうやって…葉月と海野中佐は

切れない何かがあると思っているんだな)

隼人は、そう感じて…ただでさえ苛立っているのに余計に苛立つ。

だが、山中に当たるのは『お門違い』なのでいつも通りの無表情。

「言うモンか。関係ない事と思っているからね。

葉月に過去のことで余計な気苦労掛けさせるのは嫌だし。

俺は…気にはしていない。いずれ海野中佐が落ち着いたら

葉月には言うつもりだったけど…。

今回の任務で、顔会わせるなら…いずれバレるだろ。

葉月も今は、任務のことで頭がいっぱいだろうし。

俺からは言うつもりはない。本人が葉月に言うなら別だけど。

海野中佐も…任務中に葉月の心に波風立てるくらいなら

自分からは言わないような気がするけどね。」

『それもそうだな』と、小池が隼人の横で頷いた。

すると今度は…山中が『あ…』と、一声漏らした。

山中は、隼人を見て…ジョイを見て暫くうつむいていたのだが…

「許してくれ。隼人…」

隼人に急に…頭を下げたのだ。

「何のことだよ??」

「今日。本部に…達也から連絡があって…『取り次いだ』」

『取り次いだ』の意味が解って、隼人は固まったのだが…

「別に…構わないよ。じゃぁ…葉月はもう知っているかもな。」

いつもの天の邪鬼。平気な振りをしたのだ。

山中が告白したので、ジョイも『ゴメンね』とうつむいてしまったのだ。

「いや…達也。お嬢にも言っていないと思うな。

アイツ…前線に出るから葉月と話したいって事で電話してきたはずなのに

結局…任務に着任したことすら、言いそびれたみたいで…。

『ただ…声が聞きたかっただけだ』って言っていたから。

お嬢も、さっきの会議で初めて達也が着任したこと知って驚いたようだし…。」

山中はそう言って、まだ申し訳なさそうに五分刈りの頭をかいていた。

(へぇ。結構男なんだなぁ…)

隼人はまだ会ったこともない『葉月の元パートナー・達也』が

『着任』の事も『離婚』の事も葉月には言わなかった事を知って、そう感じた。

ただ…声を聞きたかっただけ…。

それは心に引っかかる。最後に彼が求めたのは葉月の声だから。

しかし…それだけで彼は葉月が彼を心配するような事は

一言も言わなかったというのだから。

それは…感心できたが…

(それだけ…忘れられないって事かよ?)

隼人はため息をついて、置いていた箸を再び握り直した。

「どうするんだよ?本人同士が語るまで放っておくのか?

任務中にイザコザしても困るけどなぁ…」

小池は『元恋人と現恋人』が鉢合う場面をこれから目の前で見ることになるのだ。

それも…最前線で。だからか、不安そうだった。

「そこまでガキじゃないっすよ。僕は…」

隼人がそう言うものの…いつもの『天の邪鬼』に聞こえたのか

小池は益々…不安そうに…それでも諦めたのか彼も食事を続ける。

「お嬢なら…『あっそう』で流しちゃいそうだけどなぁ。

いつものことジャン。何が起きても冷たい顔。

一人で対処できなくなったら、澤村少佐を頼るって。」

栗毛のデビーは葉月と同期のせいかそうかーるく言いのけて

ニコニコしているのだ…。

「そうかもね。いつも気を揉んで損することばっかりだモンなぁ。」

ジョイも、ため息つきつつもデビーに同意のようにして

妙に安心したようだった。

「俺達はそれで済むけど、隼人はそうはいかないだろ?」

『じゃじゃ馬おもり』の隼人が最後には一番苦労する…。

山中はだから…心配とばかりに眉間にしわを寄せて

カツ丼をガツガツ煽り始めた。

「だよな。ま…澤村君も一人で思い詰めるなよ。俺達も協力するし…」

小池も先輩らしくそう言ったのだが…。

「大丈夫っすよ…慣れているというか…いつもの事ですよ。」

隼人が微笑むと皆安心したようだが。

「頭下がるよ。隼人には…まぁ。それでこそお嬢の一番の男だよなぁ。」

山中の最後の一言に、他の男達も妙に頷いたのだ。

男達は、とりあえず隼人が決めたとおり…

『葉月には達也が言い出すまで内緒』と言うことに決めたのだ。

19時が間近になり、四中幹部の男五人は

第五中隊の本部へそろって向かい始める。

本部の入り口で栗毛をなびかせる葉月と合流…。

「お腹いっぱいになった?」

葉月の笑顔に男達は、そろって『ああ』と微笑む。

「中佐は?ミーティング中に腹鳴らすなよ」

「失礼な側近ね。洋子さんからドーナツもらって食べたわよ!」

葉月と隼人のいつもの調子に、男達も苦笑い。

しかし…そんな隼人の天の邪鬼な気遣いを解ってか

葉月は強気で言い返した後、隼人にいつもの笑顔を向ける。

隼人もそっと微笑んでいたので、ジョイと山中もホッと笑顔をこぼした。

「お嬢。なんか…機嫌いいじゃない。」

ジョイがいつもの冷たい顔の姉貴分が

結構余裕なので意外に思ったのか山中に囁いた。

「本当だな…。ま、フロリダのオヤジさんと一緒だからじゃねぇの?」

『かもねぇ』

男達は颯爽とウィリアム大佐室に入る葉月の後に続く。

 

『初めまして…いつもご子息にお世話になっております。

御園葉月と申します…。』

葉月のいきなりの連絡を取り次がれた隼人の父親『澤村和之』は

息を止めたように驚いたのだが…

『これはこれは!隼人の父親です…。お世話になっているのはこちらですよ!

こちらこそ…ご挨拶遅れてしまいまして…!

天の邪鬼な息子をやっと国内に引き戻してくれた恩人ですから!』

声が隼人に良く似た品の良い声の男性だったが

しゃべり方はとても朗らかな感じで葉月はホッと緊張が和らぐ。

だが…『恩人』と言われて困り果てる。

葉月は隼人の帰省をおろそかに放っておいたし…

フランスから連れ出した故に、この様な危険な任務に

隼人を送り出す事になってしまった。

まず…その事を正直に隼人の父に説明して丁寧に詫びたのだ。

すると…澤村社長は『息子の着任』にかなり驚いたが…

『それが…軍人の生業ではないですか?

むしろ…教官という立場でのらりくらりとしていた息子を

心配していたぐらいです。

家業を手伝わないなら上へゆけと言っておりましたので。

上へゆけば危険な任務着任も…いずれとは覚悟をしておりました。

御園嬢のご経歴も叔父様の准将から良く聞いておりますよ?

女性ではありますが、あなたの歩んできた経歴は見事な物です。

そのエリート中隊の『側近』とか…『空軍管理長』と息子がなったとか…

すべてはあなたの下にいるお陰です。

そのあなたの為に息子が体を張るのは軍人として当たり前です。』

『気に病まないで下さい』と丁寧に恋人の父親がいうので

葉月は益々…申し訳なくなってきたほどだった。

『でも…『沙也加お母様』が一生懸命産んだたった一人のご子息。

必ず…帰還させます。上官としてお約束いたします。』

葉月がそう言うとさすがに…澤村社長は黙り込んでしまった。

昔、死別した『先妻』の事は…やはり心に深く残していると

葉月は痛いほど感じた瞬間だった。

だからこそ…忘れ形見の『隼人』の事もより一層大切にしていると。

なのに…隼人にその父親の心は通じていない。

何かが『邪魔』をしているような気が葉月はしている。

しかし…今はそれどころではない。

『お父様、叔父に頼んで明日夕方…横須賀を出るチャーター便。

一席手配いたします。彼には何を言っても取り合ってくれませんので

私の独断で、叔父に頼みました…。

明日…小笠原に来ていただけませんか?宿泊先も準備いたしますから』

『お願いします!』

葉月は顔も見えない相手に、頭を下げていたのだ。

すると…

『解りました。なんとか調整しましょう。

天の邪鬼な息子であなたもご苦労されているでしょうし…』

そんな穏やかな声が返ってきたのだが…

(隼人さんにそっくりな笑い方…)

ふと…そう思って葉月も『天の邪鬼な息子』という父親に笑っていたのだ。

『隼人には内緒。明日の夕方、小笠原の滑走路で』という約束をして

この時の話は円満についたのだ。

だが…

(明日。対面したときからが正念場ね…)

父親を挟んで葉月と隼人もイザコザする。

それぐらいのこと『覚悟の上』でやったことだ。

でも。

『天の邪鬼な息子であなたもご苦労されている』

『やあ。明日、栗毛の女性を目印に…

お逢い出来ること楽しみにしておりますよ。』

そんな恋人の父親との密かな『約束』に葉月はそっと微笑んでいた。

「お疲れ。お嬢…おや?何か…上機嫌なのかい?」

そんな葉月を見たウィリアムがニコリと不思議そうに微笑んだので…

「ふふ…。ええ。ちょっと嬉しいことがありました。」

そんな任務前の葉月のご機嫌に、男達は皆、首を傾げていたのだ。

明日…隼人の父親がやってくる…。