17.ルーツ

 

「こら! 真一。起きろ!!」

(ふぇ〜)

また・隼人に毛布をひっぺがされて真一は目覚める。

隼人はパジャマ姿で、自分の部屋に着替えに来たようだった。

「いい天気だぞ。」

「う〜ん。」

目をこすりながら起きると、頬の痛みが蘇った。

「しかし…その顔。男らしいな。」

頬に絆創膏を貼っている真一を見て隼人は微笑みながら、

ブラインドの向きを変えて部屋に光を供給。

その光を浴びて、真一はゆっくり伸びをした。

「メシ。出来ているからちゃんと食えよ。」

「うん。葉月ちゃんは?」

「もう。食べてお化粧中。俺も食べ終わったよ。」

いつもの朝だった。

「さて。俺も着替えてカフェオレはゆっくり飲もうっと。」

隼人は、真一がパジャマでもそもそとしているうちに

サッと素早くカッターシャツを羽織り、スラックスをはいて

上着を羽織って、袖の黒カフスのボタンを締めながら部屋を出ていった。

隼人が羽織った上着を見て…真一は…

『あ!思い出した!』と、リュックを捜した。

(そうだ。テレビのテーブルだったかな?)

のろのろとベッドを降りて部屋を出る。

隼人は一人で新聞を眺めながら優雅にカフェオレ。

栗毛ウサギ達の支度が終わるのを待機。

ドアが閉まったバスルームからは葉月がドライヤーをかける音。

リビングにはさんさんと朝日が入ってきていて、清々しい雨上がりの朝。

テラスから見える海は昨夜の雨のせいかまだ少し…波が荒れていた。

真一は支度をする振りで、リュックを取る。

「シンちゃん?」

葉月が出てきて『ドキリ』とした。

昨夜、迂闊にリュックを叔母の目があるところに置きっぱなしにして寝てしまった。

(もしかして…覗いたりしたのかな?)

そんなことはしない葉月だが、昨夜は違う。

義理兄と接触した甥っ子が何かをもらったとか察していたかも知れない。

「制服。ランドリーでしわ伸ばして干してあるから自分で取りなさい。」

「あ…。うん。有り難う…。」

真一は、葉月のいつもの優しい微笑みを見てホッとして微笑み返す。

「傷。大丈夫?」

「うん。平気!」

真一のいつもの無邪気な返事を聞いて、葉月もにっこり…。

満面の微笑みをこぼして、ダイニングテーブルに出てきた。

彼女がテーブルの上にあるピルケースを手に取る。

隼人のカップを動かす手が止まる。

「葉月。」

「……何?」

「………。いや。もうしたく終わり?」

「私はね。まだゆっくり出来るでしょ?」

「ああ。」

そう言って葉月は、ピルケースから一粒の薬を

隼人の目の前で平気で手にしてキッチンに入ってゆく。

(うーん。隼人兄ちゃん…結構過敏になっているなぁ)

止めたいけど止められない隼人の迷いを真一は

こうして何度か目にしていた。

子供が欲しい訳じゃないけど…受け入れて欲しい。

男の感覚はそうなのだろうが、男性嫌いの葉月からすれば

万全の対策。

隼人にすら許していないって事なのだ。

後もう一歩と言うところで隼人が焦っている。

(まぁ。焦ってくれないと…困るけどね)

真一は隼人が早く葉月の中で一番の男になることを祈っている。

昨夜。葉月の中で一番の男は『谷村兄弟』だということを目の当たりにした。

(親父がなぁ…表の世界にいればそれも悪くないんだけど)

純一が若い頃からそのまま…軍人で表世界にいれば…

葉月には良い相手だったかも知れないが…。

甥っ子の真一としては嬉しい反面…

叔母と父親が、両親というのも複雑な感じがした。

やっぱり…父には皐月母がお似合いであって欲しいのだ。

(それに…12歳も年下ジャン…。くそ親父に若い葉月ちゃんは勿体ない!!)

あんな無精ヒゲのイカツイおじさんより、

葉月には若くて爽やかな隼人の方がずっと似合っている!と

真一は、一人で力説の拳を握ってしまっていた。

「真一。早くしろよ?自転車で行くのだろう?」

「あ!うん!」

一人でぼんやりしている真一を隼人がいぶかしそうに眺めている。

「昨日の時計は?」

「え?」

「銀色の時計、していただろ?」

またまた…ドッキリ…した。

そうやって改めて聞かれると言うことは…

頭の良い隼人はもう『時計』に関して『疑問』を持っていると言うことだ。

「いつもは、黒いダイバーウォッチなのに…。」

その問い詰めにも『ヒヤリ』とした…。

16歳の真一の反応など30歳の隼人には読みとられてしまう。

そう、硬直していると…。

「お祖父ちゃんにもらったならお礼を言いなさい。」

葉月が薬を飲み終えたのかキッチンから出てきてそう言った。

隼人の視線が葉月に移される。

「父様も甘やかしね。16歳の孫にロレックスは早すぎるわ。

いい?日頃はつけちゃダメよ。昨夜は転んだみたいだけど

そこに目を付けられて襲われたりお友達に虐められてもいけないから。」

『大人になってから付けるのよ』

葉月は真一が小さい頃から言い続けてきたように

淡々と真一に言い聞かせる。

制服姿で真剣な眼差しを葉月が真一に注ぐ。

「ふーん。御園中将も孫には甘いのか。でも、良いことだね。

亡くなった娘が置いていった孫だモンな。そりゃ可愛いよ。

葉月が何言ったってそれはどうしようもないさ。」

「そりゃね。私だって可愛いもの。だけど。父様には負けるわ」

葉月がおどけて笑うと隼人も『はは♪』と笑い返していた。

隼人は、一応葉月の言葉を信じたのかにこりと微笑んだが

納得はいかないのかため息をついて新聞を読み始めた。

でも、葉月はリュックを手にしている真一をジッと見ていた。

「なに?」

「早く支度しなさい」

「あ。うん。」

長い髪をなびかせて、葉月は隼人の前に座り込んで

ミルクティーをのんびり飲み始める。

真一はランドリーで、制服の上着とカッターシャツを取りに行って

林側の部屋に戻る。

急いで着替えて…葉月が洗ってくれた上着を羽織ろうとしたとき…。

やっぱり。気になって外の大人二人の気配が静かなのを確かめて

リュックから純一がくれた上着を出してみる。

(まず…ちゃんと頼んでから、これを外で羽織るようにしないとなぁ)

まだ頼んでもいないのにピッタリな上着を着てしまったら

また、葉月が驚き、隼人がいぶかしむ。

だけれども。もらったばかり、羽織ってみたいの気持ちははやる。

真一はため息をつきながらその上着を広げた。

『?』

昨夜は上着からは白い箱が落ちてきた。

今度は?

白い封筒が『ポト』とフローリングの床に落ちた。

『昨夜…なかったはずなのに?』

不思議に思いながらその封筒を開ける。

『!!』

真一は中身を一目見て急いで外に出す。

いま…真一の手のひらには…2枚の写真。

『葉月ちゃん!』

真一が『欲しい!』と願っていた両親の正装姿の写真。

真叔父いや…育ての父と、その兄である父が写っている写真。

そして、一枚の手紙がある!

それを広げてみた。

「あなたの親は三人です。とっても仲の良い三人でした。

忘れないでね…。大切にしてね。私の宝物、お裾分け…。」

葉月のたくさんの貴金属よりずっと下に隠してある『大切な宝物』

それが今真一の手の中に…。

真一は、葉月が書いてくれた短い手紙を握りしめて、涙を流していた。

『有り難う。葉月ちゃん…大切にする…。』

写真もそうだったが…『三人親』と言う言葉にも心が洗われた。

産みの母親。育ての父親。そして…生きている見守りの親。

それが真一の『真実』

親は男と女一人ずつ。そんな型通りな事どうでも良くなってきた。

真実は、三人の親がいたから真一が今ここにいるって事。

それが真一が今改めて感じることが出来た『ルーツ』だった。

『とっても仲の良い三人でした。』

その言葉通り…の写真。葉月が大切に『秘密箱』に持ち続けていた写真。

だけれども…やっぱり。父親と小さい葉月が写っている写真はなかった。

それは、葉月にとって一番大切な写真なのだろうと真一には解った。

真一が一番欲しい、母と父の写真は手に入った。

真一は涙を拭ってとにかく、上着と封筒は急いでリュックに詰め込んだ。

「早く食べなさい。」

部屋を出ると…葉月が真一の瞳を真剣に見て、硬い表情で呟く。

『見つけた?お裾分け…。』

そんな風な…探る瞳だった。

真一は一時うつむいて、そんな葉月の視線から逃れた。

でも…。

『葉月ちゃん!!』

カップを片づけようと、立ち上がった葉月の所へ駆け寄って…。

「葉月ちゃん!」

彼女の固い制服の胸に抱きついていた。

小さいころ。そうして彼女に甘えていたように。

久しぶりに…。

若叔母と同じ身長に成長した真一が抱きついたので

隼人がビックリ…カップをテーブルに置いて驚いている。

当然。もう肌には甘えてこなくなった16歳の少年が

久々に抱きついてきたので葉月も驚いている。

だけれども…。

「なぁに?時々、変な子」

葉月はそう言ってまたとぼけたことを呟きながらも

にっこり…真一の栗毛を撫でて頬を寄せて頭を撫でてくれた。

『大切にするから。葉月ちゃんがなくしちゃった時間の宝物。』

やっぱり…葉月とはお互い解ってしまっても問いただせない。

まだ。真一にも戸惑いがある。

でも。それで良かった。

葉月が嫌な思いをするくらいなら、聞かない方がいい。

聞かなくても葉月は充分、真一のこと解ってくれている。

「あー。なんか・焼けるなぁ」

仲の良い栗毛の二人を見て隼人がシラっとした視線を投げかける。

「いいなぁ。葉月と真一は。血が繋がっていて、いつも一緒仲良いモンな。」

そこは何故か…隼人はいつになく深いため息をこぼして

深刻そうにうつむいたので真一はやっと葉月の胸から離れた。

葉月も…何か察したのか困ったように隼人を見ていた。

「隼人さんだって…もう…ここの…」

その先を言おうとした葉月の言葉が止まった。

『家族』と続きそうと真一は感じたが…。

いや。やはり。葉月と隼人はまだ『同棲』って言うだけで

『家族もどき』でしかない。

「真一。早く食べろよ。」

隼人は、深刻になったことを後悔したのか、いつも以上の微笑みを浮かべて

自分が飲み干したカップをキッチンに片づけに消えてしまった。

「葉月ちゃん…。隼人兄ちゃんって…弟がいるって言っていたよね?」

真一がそう言うと葉月が『シッ!』と白い指を口元に宛てる。

「なんで?」

「隼人さんに…実家のこと聞かないでね?」

「どうして?」

「さぁ。私も良く解らないけど。ママが二人いると複雑とか…」

葉月が真一に釘を差そうとすると、隼人がキッチンから帰ってきたので

葉月も口をつぐんでしまった。

でも、真一にはその短い言葉で理解が出来た。

(なるほどね…。実家に帰らないのはそうゆう事なのかな??)

真一にもその心境が解る。

母はもういない。父親は何処とも解らないところにいる。

その父が、母がいなくなって一度も恋をしないって事もないだろう。

もしかしたら…裏で結婚とかして家族がいたら…

『どうしよう?俺って何?』と考えたことはあるから…。

でも、そこは今まで生きた父親がいるとは知らなかった真一だから、

どうしようもないことだと言うぐらい解る。

でも…きっと隼人はそれを目の前で見てきたのだ。

常に肌で感じてきたに違いない。

やっと、優しそうな若い母親の写真を飾ったという隼人。

『すっごい!可愛いお母さんだね!』

真一が写真立てを見てそう言うと、隼人も嬉しそうに照れていた。

『やっと。おふくろと二人きりになった気分かな?』

『なに?それ?』

『ああ。うん。まぁね。』

そういって隼人が寂しそうな顔をするのであまり問いただそうとは思わなかった。

「ごちそうさま♪」

真一の食事が終わって、やっとバタバタと出かけ始める。

「自転車気を付けなさいよー!」

「また、来いよ。真一!」

葉月の赤い車に、側近と、女中佐が乗り込む。

真一も元気良く自転車にまたがって、「うん!いってきまーす♪」と

丘のマンションを飛び出す。

丘の坂を下って、朝日が輝く海辺の道路を勢い良く真一はこぎ出す。

暫くして、隼人が運転する赤い車が追いつき

『ププ!』とクラクションを鳴らして、颯爽と追い越していった。

その赤い車に追いつきはしないと解っていながら真一も追いかける。

「シンちゃんたら。ムキになって漕いでいるわよ。」

「はは。なんか急に男らしくなったねぇ。何があったのかな?」

車の助手席で葉月はムキになって自転車を漕ぐ甥っ子をにこりと眺めて…

助手席でちょっと探るような微笑みを意味ありげに向ける側近に『ドキリ』とする。

「そうね。お年頃。私も良く解らないわ。」

「かもね。今はそれで良いよ。」

それで、割り切れたというように微笑む余裕な隼人に、葉月は少し驚く。

『お年頃』の言い訳は通用しなかったようだが、

隼人はそっと優しい微笑みで流してくれたのだ。

「今日、右京兄様に電話しようかな?」

「やっと、その気になったか。というか?もう問題なくなったわけ?」

隼人の受け答えに葉月は益々『ドッキリ』

「でも。葉月なんだか今日は『ご機嫌』ってかんじだけど?」

「ご機嫌!?」

「ああ。」

「嫌ね。何でもお見通し?」

「あはは!まあね♪」

そうして隼人が少しずつ、無感情な葉月の内面に入り込んできている。

でも…葉月にはその侵入に嫌悪感がない。

むしろ…そうして上手にかわして入り込んでくる隼人の侵入を

彼が進んでくるままに受け入れていた。

「隼人さんには適わないわよ。」

「お陰様で。じゃじゃ馬慣らしで日頃鍛えられているんでね。」

「もう。いつも意地悪ね!」

葉月は膨れながらも笑っていた…。そして…輝く海を眺めて…。

黒猫の兄の姿を浮かべている。

(お兄ちゃまは…遠い人。私には隼人さんがいるから)

眼差しをそっと伏せて…隣にいるステアリングを握る側近の彼に微笑む。

隼人も葉月の微笑みにそっと…眼鏡の奥から瞳を和らげてくれる。

そして…。

真一は赤い車が遠くに行ってしまって、官舎の前で自転車を停める。

昨夜。父親が駆け上がった崖を見上げて、潮風がキツイ海原に向き合う。

大きく息を吸って…

「くそ親父ーー!くたばるなよ!ばっかやろーーーー!!」

雨上がりでまだ荒い波の音に紛れて思いっきり叫んでみた。

「あー♪すっきりした♪」

半年間抱えていた重い物が、やっとおろせた感じだった。

今日からはまた違う物に向き合う。

雑木林にちらほらとある野生の桜が花びらをヒラヒラ潮風に舞わせている。

その桜吹雪の中、真一はニッコリ、自転車を漕ぎ始めていた。

その後。真一の『宝箱』に、時計と一緒に新しい物が仲間入り。

白い封筒の中には、白い正装服の両親。黒髪の兄弟。

自分の『ルーツ』を宝箱に閉まったのだった。

 

 

 「ボス? どうしました?」

 「いや。なんだかなぁ。朝方、妙に誰かに呼ばれたような気がして…。」

 

 セスナを操縦する部下の横で青空の中純一は下界に見える海を見下ろした。

「親子ってすごいですね。昨夜…真一様を本気で押さえるボスにはビックリでした。

それでも、真一様もめげずに。昔はあんなに可愛いお坊ちゃんだったのに…。

それに…ボスのために、葉月様にすぐに知らせに行くなんて息子心ですねぇ。」

「あれをあんな風に育てたのは、俺じゃない。真とオチビだ。」

「そうでしょうか?真一様は結構…ボスに似ていますよ?」

「バカ言うな。俺に似たら困る。」

「フフ…。口のきき方はそっくりかも。」

「黙って。操縦しろよ。」

「イエッサー…。」

ジュールの生意気な含み笑いに、純一はひと睨み。

でも…

『くそ親父!』

純一は輝く海を見下ろして、窓辺で一人、笑いをかみ殺した。

「さぁて。帰ったら、骨休みのバカンスに行くか。」

「そうですね。子猫の『アリス』がうるさいですしね。『タヒチ』が良いらしいですよ。」

「何も起こらなければ。当分はゆっくり出来るがな。」

「まぁ。そうですけどね。今のところ大きな世界紛争も収まっているし大丈夫でしょう。」

ジュールが操縦するセスナは瀬戸内海の上空で大きく旋回。

西の空へと、翼を輝かせて消えてゆく…。

純一の心の中で、桜吹雪が舞う旅だった。

 

『黒猫おじさん 完』