言われたとおりに、教育6中隊と工学科よりもっと端にある陸部訓練棟の一階で、『レモネード』の缶ジュースを買ってグラウンドを目指した。
まだまだ暑い夏とはいえ、もう晩夏。風通しがよい広い場所を歩けば、心なしか風も心地よい。
海を目の前に、飲食店街へと向かう狭い地元道。それを挟んで網フェンスが巡らされ、そして土のグラウンドがある。グラウンドは2つ。海側と山側。その間を隔てているのが芝土手。山側のグランドの奥には体育館としても使える講堂がある。そこで式典や隊員集会が行われる。
そんな広い土地だから、海からの風が絶え間なく吹いている。それ故に、この暑い土地では涼しい場所とも言えた。そんな場所の木陰なんか、涼しい上に瑞々しい芝の香りも伴って特に気持ちが良いだろう。
「あそこか」
芝土手づたいに歩いていると、一本木立を見つけた。
有名な場所でもある? もう基地中の誰もが知っていた。『ミセスのサボタージュポイント』。連隊長だって誰だって知っている。
「誰もが知っているサボり場所って何なんだよ」
変な特権を持っているなあと、英太も呆れる。でも、その場所にいる葉月さんを見るのは初めてだった。
その木立が近づいてきた。噂の、ミセス准将の、サボタージュ場所、サボタージュ姿。ちょっぴりドキドキしながら、英太は木立の木陰を覗き込んだ。
「え」
誰もいない。
辺りを見渡したが、人の気配はまったくなかった。
隼人さんの見当違い? どんなにわかっている旦那の予想でも、百発百中ではないということか。
「なんだよ、もう。用なしなら帰るか。これも俺がもらうかな」
せっかく買ってきたレモネード。『ちょうど喉が渇いていたんだ』と栓に指をかけ開けようとした。
「それ、飲んじゃうの」
誰もいないのにそんな声が聞こえてきて、英太はびっくり飛び上がる。もう一度辺りを見渡したが、やっぱり人はいない。もしかして……。そう思って英太は木を見上げた。
「美味しそうね」
いた! 一番下の太い枝に腰掛けている女がいた!
「ななな、なにしているんだよっ」
こんな女、初めて見た。と、英太はおののいた。しかもアラフォーのオバサン。それでもなんだかやっていることいちいち『簡単そう』で、なんとも様になっているから不思議。それも彼女がさも当たり前のようにそこにいて、にっこりと楽しそうに微笑んでいるからかもしれない。
「たまに人が来たら、ここに一時避難するわけ。遠くから貴方の影がみえたから。まさかね、英太だったなんて」
「いつもそんなことしているのかよ」
『そうよ』と、あのミセス准将が軽やかに笑った。
いや、もうミセス准将なんかじゃない。そうだ、あの階段で出会った姉さんになっているんだと思った。だから英太の胸がさらにドキドキと早く動き始めた。
「えっと、これ。好きだって聞いたから」
レモネード缶を差し出すと、葉月さんが枝からひょいと飛び降りてきた。本当に慣れた身軽な動作で、この人は武術にしてもなんにしてもいろいろと身体を鍛錬してきた女性なんだなと改めて感じる。
「ありがとう。旦那さんの差し金」
レモネードを選ぶ、教えてもらう。それを教えるのは夫しかない。そう言いたそうだった。
「うん、レモネードは隼人さん。差し金は連隊長」
「えっ。正義兄様が? どうして」
あの連隊長を『兄様』と親しげに呼ぶ辺り、もうミセス准将は基地の棟内に置いて来ちゃったんだなと再確認。
「しらねーよ。俺も『行け』て言われて驚いているんだから。本当は……」
隼人さんが追いかけていたんだけど、連隊長に止められて。甘やかすなとか帰れとか追い出されて。……とはすぐには言えず、英太は口ごもる。
「ふーん。兄様がねえ」
「もうなんだよ。兄様、兄様って。葉月さんて『兄様』が多くね?」
谷村の兄様、細川の兄様、そして噂で耳にする『従兄の右京兄様』に、前連隊長の『ロイ兄様』。そうそう、兄様とは呼ばないが、葉月さんは海野副連隊長室にいるベテラン秘書官である『リッキー=ホプキンス中佐』のことも『リッキー』と呼びつつも、そんな時は女の子みたいな顔になると基地ではこれも有名な話。
「うちは祖父の代から軍人一家。父と叔父の知り合いのお子様も軍人が多く、それで二世の兄様達が多いの。そうすると必然的に、先輩に『知り合いのお兄様』がいて仕事で出会う、お世話になってきたのよね」
なるほどね。まさに軍人一家ならでは。ということらしい。
受け取ったレモネード缶を、葉月さんが飲もうと栓を開けたが、はたと気が付いたように手を止めてしまう。
「貴方は? なにも飲まないの」
そう聞かれ、英太はスラックスのポケットから缶コーヒーを出す。すると葉月さんが嬉しそうに笑う。
「乾杯しましょうか」
海から吹いてくる風に、あの栗毛が綺麗にそよぐ。そしてあの香り……。空母艦の夜明けに知ったジャスミンと花の。
なんの乾杯かわかって、英太も素直に頷いて缶コーヒーの栓を開けた。
潮風の空に共に缶を掲げる。
「雷神のエース誕生に」
「ここまで俺を連れてきてくれたミセス准将に」
乾杯。
青空に缶と缶が鳴った。
そこにやっと待っていた笑顔があった。
「おめでとう」
「ありがとう、葉月さん」
幸せな瞬間だった。いつかこんな時を。この人と。エースコンバットが始まってから夢見てきたことだった。
「あ、葉月さん。やっぱり、連隊長が叩いたとこが赤くなっている」
指さすと、彼女もわかっていたのか『ああ』と致し方ないふうに微笑んだ。
「大丈夫よ。慣れているから」
そっと頬を押さえると、葉月さんは英太の案ずる目線から避けるかのように芝土手に座り込む。
そのまま海を見つめレモネードの缶を傾け黙っているだけ。
だから英太も隣りに座って缶コーヒーを傾け、一緒に海を眺めた。
歳が離れている男女が二人、単なる上司と部下。でも同じ志のパイロット。今、同じ空を見つめ、かつては彼女が飛び、今は英太が飛んでいる空。それを一緒に眺めている。それだけで、英太の心は満たされる……。
「細川親子二代、揃って頬を叩かれるだなんてね」
葉月さんはそういうと、ふっとした溜め息をこぼして、そのまま芝土手に寝ころんでしまった。
「フロリダで訓練生だった時も、男子訓練生と取っ組み合いの喧嘩ばかりするから、トーマス教官にぶん殴られたこともあるし……」
男子訓練生と取っ組み合いの喧嘩!
飲んでいたブラックコーヒーを英太は噴き出しそうになった。
「葉月さんって、そんなことしていたのかよ」
無防備に寝転がっている彼女が、芝の葉をちぎり鼻先でクルクルと回している。
甲板での氷の上司、基地では連隊長にもアイスドールといわれる徹底した冷たさを保つミセス准将。でも今は……。のびのびと足を伸ばし、くったりと芝に身体を預けて寝転がっているただの女。
そんな今の彼女は、とても満たされた穏やかな笑みを浮かべ、その瞳には青空と雲を映している。
「なにもかも気に入らなくてイライラしていたのよ。鬱憤の矛先は『私と姉を虐げた男』。ただの男じゃないのよ。女を見下した男はぜんぶ敵。私にとって丁度良い戦い相手、溜まっているものを正当な理由で責められる捌け口……」
もし、この人が『人とは違う生き方をしてきた過去』を語ったなら、全ての根元は『私と死んだ姉』に行き着くようだった。
薬、持っているのかな。そんな心配が過ぎりながらも、英太は黙って聞こうとした。
「そんな私だから、大きく道をずれようとしている時、あるいはその道へ逸れようとしているのを見つけてくれた大人が、私にその手のひらを振りかざす。ぶっ叩いてでもその道へ行かすものかと必死になって私を止めてくれているともわからず。せっかく戻してくれてもまた違う道へ踏み込んで遠回りばかり」
「それが。細川連隊長の親父さんとか、シアトルのトーマス准将だったということなんだ」
「そうよ」
寝転がっていた葉月さんが起きあがる。膝を抱えて彼女が座り直し海を見つめた途端、強い潮風がざっと吹いてきて芝草と彼女の栗毛の毛先を空へと巻き上げる。
「鬱積を抱えたまま随分と遠回りをしたものよ。あの方達が示してくれた『痛みの指標』がなければ、私はどこへ吹き飛んでいたかわからない」
その強い風の中、葉月さんはつまんでいた芝草を離した。またその風に飛ばされ、小さな芝草が空へと消えていく。
「消えない思いはあれど。でもそればかりに拘っていてはまったく進まず、動いてみても遠回り。何も得られない。その間に私を愛してくれた人たちをただ悪戯に傷つけてきただけだった」
そこで葉月さんは黙ってしまう。
また呼吸がおかしくなったのかな。英太はハラハラしながらも、いちいち心配されるのも鬱陶しいだろうなあと……。自分の経験も含め、暫くは黙って様子見。
だけれど、葉月さんは静かに金網フェンスの向こうに遠く広がる海を見つめているだけ。その目が冷めている。それはまた甲板にいる時の凍てつく、とはまた違う冷たさ。冷めているという方がいいのだろうか。そんな物悲しい眼差し。見ていると、英太まで泣きたい気持ちになりそうな、そんな訴えてくる眼差しだった。
それだけ途方もない足掻きをしてきたのだろうか。
「英太には、私のような遠回りはして欲しくない。私のように『死ぬ、死にたくない』なんて遠回りを、空でやって欲しくない。そんなことをしている間に、あっという間に貴重な現役時代が過ぎ去ってしまう。もっと純粋に『真のパイロット』として飛んで欲しい」
彼女からの英太への願い、気持ち、そして望み。それを初めてはっきりと聞かされ、英太は驚きで固まった。
あの冷めた横顔に眼差しから、いつも冷たいだけのこの人から、こんなに溢れてきた熱い想いを知り、今度の英太は感動で震えそう。
すると葉月さんが急に、胸の真ん中をそっと手で押さえた。
「貴方も見たでしょ。私の胸の傷」
また、薬がちらついてしまう話題に反応しづらいが、英太はそっと頷いた。
「ずっと前に、英太にも言ったけれど。私がコックピットを降りた理由は『子供のため』。本当よ」
「うん。そうだったな」
二年前は『本当のパイロットなら、もっと飛びたかったはずだ』と、彼女が『子供のため』と言った理由を真っ向から信じようとはしなかった。
でも今は――。彼女と御園大佐と、そして海人。隣家の海野一家との幸せな共同生活と家庭を見ていたら、その願いは女性として間違っていなかったと思えるようになっている。
だが、そこで葉月さんが急に何かを否定するように首を振った。
「本当はね。英太が私に訴えたこと、間違ってはいなかったのよ」
それは、どういうことなのかと、英太は首を傾げる。胸を押さえながら、葉月さんはちょっと申し訳なさそうに風の中俯いている。
「ここを刺され、なんとか一命を取り留めて暫くして。主治医の先生から『恐らくパイロットには戻れない』と宣告された時。既に細川中将にも『引退する』と告げていたのに、私、すごいショックを受けて取り乱したの」
「取り乱した? 葉月さんが?」
「うん……。決めていたのに、もうパイロットじゃないと言われたみたいにショックを受けて。自分でもびっくりした」
医師からの宣告。それが本当に彼女が『コックピットと切り離された瞬間』。その時を語られ英太は戸惑う。しかも……葉月さんが取り乱しただなんて。旦那に愛人がいると噂がたっても動じず、きっちり仕返しを企むほどの女性が。
「その時、思ったの。私、本当の意味でコックピットとは別れていなかった。甘かった。きっと心の何処かで、『子供を産んだら』、もし許されるなら『また飛びたい』。どこかでうっすら復帰を考えていたのだって」
やっぱり……。その先、葉月さんが何を言おうとしているのか、英太にはうっすらと見えていた。同じパイロットの、パイロットだからこその気持ち。そして英太が二年前に彼女に突きつけたことは、少なからずとも図星だったのだと。
「でも、もうこの胸のせいで、私は二度と飛べない。パイロットがコックピットのシートに座れる権限を奪われるあの口惜しさ、心残り、突然の別れ。これほど辛いものはない。きっと……現役を引退し、今は指揮官や陸上勤務になったパイロットの誰もが思っている。『衰えがなければ、永遠に若かったのなら』――『ずっとコックピットにいて、空を今だって飛んでいるはず』と。私もそう。『もしまだ飛べるなら、飛びたかった』。そう思っている」
先を歩いてきた『パイロット』としての、熱い想い。
それが女性であっても女性でなくとも、英太には痛いほど通じてくる。
そして、この二年。エースになるまで。英太は雷神の中での男達の決意に想いを、ずっと見てきたのだから。
「だから、英太の『理想の形で勝負をしたかった』気持ちも分かるし。スナイダーの『悔しいけど、わかっている。もうあんなふうには飛べない』と折れる気持ちも、痛いほど分かるのよ」
彼女の目にはずっと青い空と雲。自分が想いをぶつけていたものを、今も瞳に変わらずに映している。そう見える。
「スナイダーはね。大人になったのよ」
そんなん。俺なんかより、元より大人じゃんと英太は思ったのだが。
「先に辞退していった、自分よりベテランの先輩達の気持ちを彼も痛いほどわかってしまったのだと思う。彼も本当は無様でもいい。ファイナルで後から来た若者にプライドを木っ端微塵にされてもいいから、それぐらい壊れるまで全力で飛びたいと。英太と真っ向勝負する気はあったのよ」
「だったら。なぜ!」
「……英太に忘れて欲しくなっかたんだと思う」
空を見ていた葉月さんが、今度は英太を見た。彼女の薄い茶色のガラス玉に、英太がくっきりと映っている。そこに『俺』がいる。
「いつかお前も、こんなに悔しい日がやってくる。その時、お前は後から来た男に気持ちよく空を預けられるか。俺は預けた。空で男の勝負をするよりも、忘れて欲しくないこと。『お前にも同じ日が来る』。スナイダーが平井さんや成田さん、そしてフェルナンデスから道を譲ってもらいファイナルまで勝ち上がってきたように。そのバトンを最後に英太に渡すのは『自分だと気が付いた』。それがスナイダーの言葉。そしてなによりも……本当の意味で、英太という若者より多くを勝ち得た男になった。そう、私にも通じたから、もう……辞退撤回の説得は出来なかった」
そうだ。格好つけすぎた。大人すぎる。どうしてだよ。もっともっと俺を叩きのめしてくれよ! 空で『雷神の男達はこんなにスゲーんだ!』って俺を震わせてくれよ!
――でも、英太の目に涙が滲んだ。
空じゃないけど、震えていた。胸が熱くなった。自分一人でエースになったんじゃない。また噛みしめて。
「わかったわね。スナイダーにこの決意の訳を、どうしてかだなんて……聞き出さないで。そのまま受け止めてあげて。そして英太も忘れないで。『パイロットの時間は短い』ということを」
堪えても溢れてくる涙を拭いて、英太は頷いた。
「わかった」
目の前にいる、綺麗な目をした人がそっと微笑む。そして英太の背を静かに撫でてくれた。
なんか、俺。かっこわる。この人の前では俺だって男らしく格好良くいたいのに。これじゃあ、本当に、息子の海人と同じ扱いなのかもしれないと。
それでも、あまりにも心地よすぎた。なにも言わなくなったその人の静かな存在に、柔らかな花の匂いに、陽に透ける煌めく栗毛とか、不思議な色合いの茶色の瞳。それに包まれて……。
「英太。これからも真っ直ぐで、真っ白な気持ちで飛んで」
優しい囁きに英太はただ頷く。
「私は確かに二度と飛べない身体になってしまった。でも、私は英太を見て飛んでいる。わかっているのでしょう?」
『わかっているわよね』。空と甲板。そこで何度も繋がってきた実感を、こんなふうに確かめ合ったことはなかったから、英太の涙が止まる。
彼女を見ると、その透き通った目に、今度は空も雲も英太も。そして風すらも。全てを映して英太に見せているような錯覚に陥った。
「初めて英太の飛行を見た時、私の飛びたい気持ちを貴方が簡単にさらって空まで持っていった。私のように心に錘をつけて飛んでいるとすぐに分かった。それほど似ていたわ。だから、早く貴方には忘れて、本当の真のパイロットとして気持ちよくコックピットでの栄華を知って欲しかった。この二年……。貴方は脇目もふらず、飛ぶことだけを追究してくれた」
それは貴女のおかげです。俺よりもずっとずっと前から、ずっとずっと苦しんできた貴女が、そんな馬鹿な遠回りに拘りがどんなに辛いことか教えてくれたから。だから真っ直ぐここまでこられた。……そういいたいけど、すぐには言えず。英太は格好悪く泣いてつまった鼻をすするだけ。
「私ができなかったことを。私を見て、貴方が飛んでくれた。私……それがとても嬉しかったのよ。有り難う」
まさか。氷のミセス准将からこんな言葉を言ってもらえるとは思わず。でも、英太も気の利いた返答がすぐに出来ず、ただ固まったまま。
ああ、やっぱり俺ってガキなんだ! こんな時、この人の周りにいる『兄様達』はどう返すのだろう!? 悶えても、悶えても、今の英太には何も出来ない状態。
「英太――。このまま真っ直ぐ空の彼方へ飛んでいって欲しい。そして、私を連れて行って、遠い彼方まで。私のパイロットだった気持ちが跡形もなく消えてしまうぐらいまでに」
この上なく嬉しかった! この人にどんなに恋をしても、どうにもならないとわかりきっているだけに。だからこそ彼女が願っていることが『私も一緒に空に連れて行って』ということならば、唯一繋がることが出来る『空』で英太は彼女の気持ちを抱えて飛ぶことが出来る!
「もちろん。俺が、葉月さんを空に連れて行く」
やっと。毅然として言えた一言。
そこにこの上なく嬉しそうに微笑んでくれたミセス准将、英太の女王がいた。
「あーあ。エースコンバットが終わってしまったわね」
ほっと一息ついた葉月さんが、再びレモネードをゴクリと飲む。
また爽やかな海の風が、ざっと二人と取り囲む。
「そうそう」
落ち着いたかと思ったら、葉月さんがまた忙しく胸ポケットから手帳を取り出した。早速にペンを手にして何かをさらさらと書いている。
覗こうと思ったら、ビリッとそのページを破いて、英太へと差し出してきた。それを受け取って眺めてみると。
「エースになったパイロットに、これからしてもらおうと思っていること。ちゃんとやってね」
ん? 英太はその紙に書かれたものを一通り読んでみる――。
ひとつは。『十二月の佐官幹部試験を受けて、少佐に昇格すること』
「え、マジ! 俺、試験なんて嫌だ!」
「出たわね。まだ甘ったれた末っ子の悪ガキのままでいるつもり? 雷神のエースならば、そろそろ佐官から中佐になるぐらいの志を持って欲しいわね」
うわー、途端にミセス准将に戻りやがったと、英太はおののく。
さらに。ふたつめ。『雷神の広報活動として、今後、御園准将が出向く出張に同行する』
「葉月さんと、出張って?」
「くっついているだけでいいから」
意味深なにっこり顔を見せられ、英太は眉をひそめた。
「広報活動って……?」
嫌な予感だった。
「例えば。おば様ににっこり微笑んでもらうとか、おば様に握手をしてあげるとか、おば様と一緒にダンスをしてもらうとか、おば様のお皿にお食事も盛ってあげるとか。おば様にシャンパンのグラスを差し上げるとか。おば様に……」
「それって、エースでもパイロットでもないじゃん!? そんなホストみたいなことするために、1対9を必死になってやってきたんじゃないんだからな!」
「でも、必要なことだから」
「どこが!?」
あの葉月さんが大らかに笑い飛ばした。つまり、ミセス准将の顔をしておいて、本当はからかっているだけだと気が付いた。
「あ、でも。近いうちに横須賀の幹部会議に出席する出張があるの。その時には、あちらにも紹介したいから同行は本当の話よ」
そういうことならと、なんとか承知した。
「試験……やりたくないなあ」
「今年はパスできなくても許してあげる。来年パスできなかったら、エースの称号剥奪。第二回エースコンバットを再開させるからね」
本気よ。と、葉月さんの顔がミセスに戻ったので、英太は固まった。
「ところで。貴方、スーツとかもっている?」
急にそんなことを聞かれ、英太は『持っていない』と応えたら、彼女が『はあ』と溜め息をついた。
「まったく。テッドと同じじゃない。手間がかかるわね」
ん? あのラングラー中佐と同じってなんだ? 首を傾げたのだが。
だがこの後暫くして、英太は本当に出張に同行することになる。
そして本当にそこで冗談ではなく『おば様』達に囲まれることに……。
Update/2010.11.27