コンバット開始と同時に、スコーピオンとバレットに向かってくる八機。
「スコーピオン、そのまま構わず前に行ってくれ」
英太の声が聞こえたのか聞こえなかったのか。反応はないがレーダーを見ると、スナイダー先輩の3号機が前へ前へ、空母艦を目指してぐんぐんと離れていくのが分かる。その後を、なんと八機全機が一斉に追いかけていく構図がレーダーに映し出され、英太は驚愕。
「ちっ。俺なんて眼中にないか。八機全機で本命スコーピオンを追い落とす作戦ってことか」
八機チームの先導は、きっと平井キャプテン。1号機の『インビジブル』。地味な飛行でも、透明人間のようにあちこちに出没してフォローしたり撃墜したりするのでそのタックネームが付いた程。
「そして……。葉月さんらしいぜ」
八機全機で追い落とせ――だなんて思い切り偏った作戦を、思い切って実行しようとする大胆さは彼女ならでは。
スナイダー先輩と決めた作戦、4機4機分断はもう出来ない。流石、ミセス准将。こちらが考えそうなことを察知し、開始と同時にスピードで八機を一点に集めてしまったのだから。
バレットは放っておきなさい。彼に構うと時間がかかる。一気にスコーピオンを潰す。この二機を相手にする勝因は『スピード』よ。それしかない。1秒でも早くロックオンするのよ。
気流を切る飛行音の中、英太の耳にそんな彼女の声が聞こえてくる。
そうだ。俺にはわかる。葉月さんがどんなことを考え、どんな作戦を取るか。
「俺もそう考えるからな」
だからこそ! 英太は操縦桿を握り、スロットルを全開、スピードを上げる。一気にスナイダー先輩に襲いかかる八機を追いかける。
ゴウゴウと響くコックピット。フロントのデーターディスプレイが後尾にいる二機を捉えた。
「末っ子の俺を置いて行くだなんて。酷い兄貴達だ」
早速、捕捉リングでベテランパイロットの機体の尾翼を狙う。だがあちらもスピードを落としてワザと英太に捕捉をさせようと誘っている。
「んなこと。俺だってお見通しだってんのっ」
英太が追いかけてきたから、後尾の二機がバレット阻止担当で下がってきたのだと分かっていた。そこで英太が捕捉に神経を傾けている隙に、残りの六機がスコーピオンを集中攻撃というシナリオ。
(ダメだ。ドッグファイをしている暇がない)
そう思った時、『バレット、そこで時間を割いている暇はないぞ。スコーピオンが上下左右挟まれそうだ。切り抜けて追いつくことが先決だ』。ミラー大佐の指示が聞こえてきた。
「イエッサー。そう思っていたところっすよ!」
目の前に接近した二機が、英太が追いついてくるのを待っていたかのようにして、コックピット正面で左右上下に散っていく。英太の頭上、キャノピーの頭上をかすめて後方を取ろうとしているのは6号機、親友のフレディ。
「勘弁してくれよ。俺のクセをいちばん知り抜いたヤツを最初に持ってきたか」
キャプテンの指示か、ミセスの指示か。でも分かり易い作戦。
ついに英太のコックピットがピーピーと警報音を発する。フレディに後方を取られ、ロックオン手前に追い込まれている。だが英太は落ち着いて操縦スティックを倒し、余裕に旋回回避。それと同時に高速全開。
「悪いな、フレディ。構っている暇ないんだ」
臆病者と言われても良い。以前ならムキになっていたドッグファイだって、今の英太なら『逃げて勝つ』ことだって『負けて勝つ』ことだって、全然平気。不名誉とは思っていない。――『優先順序を付ける癖を身につけないさい』。葉月さんから常々言われてきたことだった。とにかく、自分の感覚で納得しようとするから『俺はこう思っているのに、どうして分かってくれないんだ』という腹立たしさが減らない。そうじゃない。『貴方一人の優先順序じゃないの。貴方と周りを含めたもっと広い視野の……』。いつもの彼女の声が聞こえてくる。だから、英太は同世代で張り合ってきたフレディに『逃げた』と言われたって今は腹など立たない。今の優先順序は――。
「スコーピオン、今すぐ行く!」
二機をくっつけて英太はスコーピオンの後を追う。
『バレット、何をしている! スコーピオンが挟み撃ちに合っているぞ』
「イエッサー! もう目の前です」
コックピットのフロントに、一機を取り囲んで飛び回っているホワイト群を肉眼で確認。
『バレット、遅い!』
「ソーリー。ミセス配下のスピード作戦に喰われかけていた。俺の後方二機、スコーピオンの左二機を任せてくれ。先輩はそのままもっと前へ!」
『頼んだぞ』
彼の声が落ち着いたので英太も自分のやるべきことだけ見据え、集中する。英太の追撃でスコーピオンの左にいた二機をロックオン。一機撃墜、それに伴ってもう一機が高度を下げ視界から消えた。その間にスナイダー先輩がまた空母を目指し飛び去っていく。スコーピオンから離れない右二機、上二機も追いかけていく。だがレーダーで追いかけていった一機が降下したのを確認。スコーピオンにつきまとうのは三機に減ったのだが……。
「平井キャプテンのインビジブル……か?」
消えた一機は……。そんな気がした。消えて、現れる。ミセス准将と戦法が似ているあたり『元ビーストームパイロット』らしい。
『バレット、なにがなんでもスコーピオンを追え。ドッグファイより回避に徹底しろ』
またミラー大佐のアドバイス。ハイスピードで飛びながら回避する、撃墜する。ミセスにスピード戦にもっていかれたら、それしか作戦はない。
だがこれは英太が苦辛している1対9では既に基礎。一気に九機が襲いかかってくるから、逃げる切るしか出来ない。どれか一機にドッグファイに持ち込まれ絡まれたら、あっという間に他の八機の援護がやってきて英太を取り囲み撃墜する。
この2対8も同じだ。英太のちょっとした助けがあるだけで、追われているスナイダー先輩も既に1対9並のスピード戦を強いられている。
『バレットどこだ! 二機にドッグファイに持ち込まれた』
「今、行くよ!」
背後の二機を振り払いながら向かった先で、旋回しながら絡み合う先輩達のドッグファイ戦を発見。
だがその途端に英太のコックピットがピーピーと鳴る。スピードで逃げるだけでやり過ごしていた背後のフレディにロック捕捉されている。
「味方が多いところに俺達を誘い込んで、一気に片づけるってか」
英太がスコーピオンを助けようとしたら、絡む。スコーピオンの手助けなどさせない。そう言いたげな背後二機の途端の迎撃体勢。
そしてそのやり口もミセスらしい。『あのオバサンめ』。英太は舌打ちをする。いつもは自分の味方でアドバイスをしてくれるあの人が、今日は敵。いつも頼もしい分、敵になるとなんと憎々しいことか!
『バレット、一機撃墜した。そっちはまだ生きているだろうな!?』
「勿論ッすよ! とにかくスコーピオンは空母を目指してくださいっ」
流石、スコーピオン。ピンチの中でも成果を打ち出す。まだ完全に窮地から脱していないが、それでもあの状況で一機、ベテランと競って撃墜成功とは素晴らしい。
『バレット。お前もついてこい! どうせ撃ち落とされるなら空母付近で頼む。今ここでお前が消えたら俺は空母まで……』
そこでスナイダー先輩の声が中途半端に途切れた。無線の調子が悪いのか? だが雑音は聞こえない。
「なんすか? 聞こえないんですが」
『とにかく、ついてこい! 空母をロックするまでお前が絶対に必要なんだ』
「オーライ!」
まとわりつく数機を旋回回避、高度上下飛行をスコーピオンと駆使しながら、各機とロックオン戦を繰り広げる。そこでも英太とスナイダー先輩は一機ずつ撃墜成功。残り四機。これでスコーピオンと二機ずつ担当すれば……。
「見えた……。来た……!」
ついに肉眼で空母艦を確認。英太の目の前には常に邁進するスコーピオンの姿。
『バレット、背後を頼む』
「オーライ」
だが残った数機も必死だ。それは英太の背後を離れないフレディも。なんとかして英太と撃墜しようと何度でもロック補足で脅してくる、誘ってくる。
しかし、英太の脳裏にくすぶっている何かが……。
「インビジブルはあれからどこにいるんだ」
入り乱れるロックオン戦の中、どれがどの機か確かめながら対戦する余裕もない。その中に、インビジブル=平井キャプテンはそこに戻ってきていなかった気がするのだ。
『今から急降下、空母を狙う』
ついにそのタイミングを掴んだだろう先輩の声に、英太も高度を下げる心積もりを整える。今からは降下戦だ。英太とスナイダー先輩ならではの得意技でもある。ほかのベテランパイロットは体力的にこれが出来ないから、1対9ではスナイダー先輩が英太の背後を追い回し他の先輩が援護に徹する程。
だが……英太はレーダーを見る。もう一機、それについてこられる男がいる。ずっと英太の背後を離れない6号機、フレディ。彼も辞退はしたが、1対9ではスナイダー先輩にひっついて、英太を追いかけ回すことが出来る男。その名も『スプリンター』。瞬発力を活かした細かい技術に、力走できるスピード感を持つ男としてミセスが名付けた。
弾丸のバレットに、短距離走者のスプリンター。今日も二人は絡まり合う。
「くっそ。ここまでしつこいことが出来て、どうして辞退しやがったんだ!」
今日もしつこいロックオン捕捉。ぴったりとくっついて、この男に何度撃ち落とされたことか。
駄目なんだ。チーム戦でフォローは出来ても、自分の昇格コンバットとなると駄目なんだ。俺には単独は向いていない……。もう、痛い程分かった。
そう呟いた親友の、口惜しそうな決心を英太は彼の自宅で聞かされていた。勿論、説得した。まだ俺だって1対9で全然駄目なんだから。お前も早くこっちにきて、どっちが早く切り抜けるか。本当の勝負をしようと。
だが、フレディの決意は固く。そして側にいた妻が『彼には彼らしい、彼だけの役割があるわ。英太……お願い』英太の説得を止めようとしたのだ。だがそうして抱きあい互いを受け入れ合っている夫妻の仲睦まじい姿を見てしまったら……。英太も『エース』よりも大事なものをフレディは既に持っているんだと思うことが出来たのだ。だから……。
それでもフレディはどんな一戦も全力投球。辞退したからって手は抜かない。エースじゃなくても、このフライトの兄貴達は皆、伝説から復活したエースチーム雷神の誇り高きパイロットなのだから。
真剣勝負、息をつかせないフレディの捕捉から逃げ切りながら、スコーピオン、バレット、スプリンターの急降下戦。
コックピットの外は激しく切り裂かれる白い雲、青い気流。その中から、スコーピオンをマークし続けていた一機が脱落。そしてフレディと一緒に背後に張り付いていた一機も脱落。ついにスコーピオンに張り付いていた最後の一機も英太の目の前から消えた。
バレットの1対9コンバットで、いつも上下飛行チェイスをする三機だけになる。……ということは。
「やった。スコーピオン。敵は俺の背後のスプリンターだけになった! そのまま一気に行ってくれ!」
もう英太の目の前はスコーピオンのみ。英太の背後にいるフレディだけ抑えれば、もうスコーピオンへのフォローはいらない!……と思ったのだが、英太のこめかみがピリッと痛む何か拭えない不安が残っている。
でももう空母が目の前! 英太のコックピットにも海の水面が広がる程に降下。このままスコーピオンが逃げ切れば、ついに……! もうすぐ!
いや、そうじゃない。
英太の中で渦巻く不安がなにか悟った時、コックピットの目の前正面に突然、一機のホワイト戦闘機が出現。
「インビジブル……!」
やはりこの人は隠れていた。入り乱れるドッグファイは部下に任せ、自分は最後の切り札としてどんなことがあっても息を潜め待っていたのだって!
1号機、インビジブルがスコーピオンの背後をしっかりと取り、英太の目の前を遮る。そのポジショニングも絶妙。英太をすぐには前に行かせてくれない。
『捕捉された。誰だ!』
あと一歩での突然のピンチに、やや焦っているスナイダー先輩の叫び。
「インビジブルですよ」
『くっそ。やっぱり隠れていたか。キャプテンらしい』
そして英太も背後をついてくるフレディに捕捉される。ここでフレディを回避したら、スコーピオンを助けられない。
(しまった……! 最後の最後にはめられた!)
これがミセス准将と平井中佐の、百戦錬磨たる戦略なのか。
いや、諦めてなるものか!
コックピットのフロント、デーダーディスプレイには数々ののデジタル表示が蛍光グリーンで移りゆく。英太はそこで、こんな時こそ『ふふ』と微笑む葉月さんの顔を見る。
閃いた。
「後ろなんて気にするな! そのまま空母をロックするんだ! インビジブルは俺が」
後先考えない叫びがスコーピオンに届いたかはわからない。もうそんな余裕もない。コックピットにはロックオンをされそうな警報音。だが英太の目にはスコーピオンを追うインビジブルしか見えない。もう警報には惑わされない。正面だけに精神を集結。
操縦スティックを目の前のインビジブルに合わせ操縦、そして捕捉する。インビジブルもきっとスコーピオンを捕捉し、スナイダー先輩のコックピットもけたたましい警報音が鳴り響いているはず。だが、これでインビジブルのコックピットもうるさくなったはず。
「キャプテンも風前の灯火っすよ」
彼も回避せねば、英太にロックオンされる危機。だが、それは英太も。英太も背後のフレディに捕捉されている。
回避か、ロックオンか、それともここで何も出来ずに撃破されるのか。
それを考える暇があるなら……! 英太は捕捉リングがインビジブルの排気口にピタリと合った瞬間。何も考えずにボタンを押した!
だが、それと同時に……。あれほどうるさかった英太のコックピットも静かになる。もしかして……?
シンとした中、どうなったのかと思った時。
『07バレット。06スプリンターにより撃墜された。コンバットから脱落、指示が出るまで上空待機。後退せよ』
ミセスを補佐している空軍管理官からの報せに、英太はガックリと項垂れる。
やられてしまった。フレディに……。
「ごめん、先輩」
インビジブルとスプリンター相手に背後を取られては、スコーピオンも空母目前でも無理だろう……。
『だが、ほんの少し早く。07バレットが01インビジブルの撃墜に成功していた』
さらなる補佐官からの報告に、英太ははっと顔を上げた。
「で、では……。いまスコーピオンの背後は、スプリンターのみ!? 大佐、どうなっているんですか」
……大佐からの返答がない。
「大佐、どうなったんですか! スコーピオンは!」
『うるさい! 取り込み中だ!!』
その声に、英太は微笑んだ。指揮官がまだ気を抜いていないということは……まだコンバットは続いている。イコール、スコーピオンは健在ということ!
撃墜されたパイロットは空母に近づくことが出来ず、後退した上空でただ指揮官の指示待ちとなる。
静かな飛行。空母をロックしたなら、もうそうできているはず。だがこの間は1分でも長い。そうなら、空母をロックできず上空で旋回し、たった一機で体勢を立て直したということ。つまり……それは残っているフレディ以外のベテランも追いついて撃墜される隙が出来たことにもなる。体制立て直し……。
『バレット、戻ってこい』
「イエッサー……」
やっと届いたミラー大佐の声。スコーピオンのコンバットが終わったということだった。あと一歩だったが、きっと駄目だったのだろう。
なんの役にも立てなかった。勿論、スコーピオンがファイナルステージ1対9にランクアップしてきたら、それはそれで英太にとって脅威ではあるのだが。やはりチーム戦としては口惜しい結果。
『良い知らせだ。ついにスコーピオンが空母を単独ロックに成功した』
え?
急な報告に英太は目を見張った。
「マジッすか!」
『あー、マジだ』
英太の口を真似たミラー大佐の声も明るかった。
『撃墜覚悟のフォロー、自分が逃れるための回避を選ばず素早くロックオンを優先、決断。そのフォローは素晴らしかった。だがそれは訓練で命があればこそ。実践ではいただけないフォローではあった。良く覚えておけ。死んだ奴は帰還できない者は英雄ではない』
確かに。もし今日、ここに隼人さんがいたら。素晴らしいなど一言も言ってくれず、『お前のフォローは間違っている』と評しただろう。
「判っています。でも、身体が勝手にそう動いていました」
『同僚を思う気持ちは立派だ。ミセスから着艦の指示だ。順に着艦せよ』
『イエッサー』と答え、もう英太の顔は満面の笑み。ミラー大佐からそう評してもらえることも珍しいからだった。
そしてそれだけではなかった。着艦の順を待っての上空待機飛行中にも、また無線が届いた。
『バレット』
女性の声に、英太の背筋がピンと伸びる。葉月さんから!?
『すごいフォローだったわね』
「いえ……。いつもの帰ってこいという教えに反したものでした」
この二年で身体や精神に染みついた感覚で、素直に答えた。だが、そこで葉月さんの小さな微笑みの声が聞こえてきた。
『あそこでは、背後のスプリンターからプレッシャーをかけられていたから、撃墜される、回避する、目の前のインビジブルをロックする。という迷いが生じる場面。そこでロックオンを瞬時に選んだ訳ね』
「よく、覚えていません」
『いえ、それが正解よ。実践では指揮官としては褒めません。ですが訓練としてはチェンジのデーターとして最高のもの。あとで澤村にバンクするよう推しておくわ』
最高のもの。
あの葉月さんにも褒められた。
たまに褒められるが、それでもあのチェンジに訓練参考のデーターとして保存されることは、それはそれで名誉なことでもあった。
「あ、ありがとうございます」
『着艦しなさい。八機のお兄さん達もスコーピオンのランクアップ成功に沸いているわよ』
「ラジャー、ミセス」
その後、順に着艦。甲板に戻ると、既に着艦していたスコーピオン、スナイダー先輩が他の兄貴達に囲まれてファイナルステージ到達の祝福を受けていた。
いつだって自信たっぷりのスナイダー先輩の、照れた顔がそこにあった。
だが、その後。ミセスがスコーピオンを評価する本日の講評を終えて解散をした後、スナイダー先輩が直ぐに平井中佐へと向かっていった。
「先に行ってくれ」
揃って陸へと戻る雷神メンバーが待っているのを、先へと促した平井中佐。
「よし。今夜はムーンライトビーチで祝杯パーティでもするか」
サブキャップの成田中佐が代わって、残りのメンバーを引き連れる。英太もその後についていくのだが。
振り返ると、いつもの空が広がる潮風の甲板で、平井中佐と金髪のスナイダー先輩がどこか真剣な顔で話し合っているのが、少し気になった。
・・・◇・◇・◇・・・
こうなると、ちょっと俺もうかうかしてられない。
そう思い、英太はまた工学科へと向かっていた。
今まで英太だけの1対9だったが、同ステージにもう一人ライバルが現れたならのんびりはしていられない。今からチェンジでイメージトレーニングをするため、使用許可を御園大佐に申し込みに行くところ。
工学科科長室に到着し、英太はいつものように『おつかれーっす』とドアを開けた。
いつもの工学科科長席……。あれ? 真美ちゃんと向かい合った席になっている? 彼のデスクを見つけた英太は少し驚いたが、そこには眼鏡のオジサンがいつも通りにデスクに向かっていた。
「来たか」
英太の顔を見るなり、隼人さんがいつにない真顔で迎えてくれた。
「あの、チェンジを使わせてもらいたくて」
「スコーピオンが同ステージにランクアップしてきたから、イメージトレーニングをするためだな」
「そうです」
英太がイメトレすると言えば、いつも隼人さんはチェンジの使用許可もしてくれたし、良く一緒に来てはチェンジで飛んだデーターを採取してシステム室へと持っていったりしている。
なのにこの日は、そんな余裕がない顔をしている。いつもならデーターを取るのが楽しみだと言って英太と一緒に来てくれるのに。その笑みがない。
彼がどこか神妙な面持ちでデスクを立った。
「吉田、でかけてくる。野口を頼む」
「はい、大佐」
そして隼人さんが英太のところに来ると言った。
「ミセス准将がお前を探している。俺のところに来たら、すぐに准将室に連れてきて欲しいと連絡してきた」
どうしてそんな真顔なのか、英太にはまだわからない。それでも今日の隼人さんの真剣さは、どこか英太を威圧する。
「俺も一緒に准将室へ行く。チェンジはそれからだ」
「はい」
そのまま硬い表情を崩さない隼人さんの後をついて、英太は御園准将室へと向かった。
准将室へつくと、隼人さんも厳かに『准将、鈴木を連れて参りました』と入室。やはりいつもと雰囲気が違う。
英太はそのまま隼人さんに、葉月さんが待っているデスクへと連れて行かれた。
「ご苦労様」
訓練が終わり、白い夏シャツの制服姿にへと綺麗に戻った葉月さんがそこに。それまで眺めていた書類から優雅な顔を見せる。
「では……」
そして何故か。英太をつれてきた隼人さんが一歩後ろに下がり、そのまま控えてしまった。
葉月さんが椅子から立ち上がる。
「鈴木大尉。お知らせがあり来て頂きました」
「はい」
甲板とは違う和らいだミセス准将の微笑みがあった。だがその微笑みが直ぐに消えた。
彼女のあの茶色い透き通った瞳が、英太をじっと見据える。その眼は甲板で見せている指揮官の目だったので、英太も気が引き締まった。
そして、彼女が英太に前置きもなしに、ゆっくりと言った。
「本日。スコーピオンのウィラード少佐が、ファイナルステージのコンバットをリタイヤ宣言。エース候補の権利を辞退致しました」
驚きで、英太はすぐには反応できなかった。リタイヤ辞退せず、残っていたエース候補はたった二人。スコーピオンとバレット。そのうちの一人が辞退した。それはつまり……。
浮かんだ一言。それを葉月さんが構わずに、英太が夢に見ていた一言を言ってしまう。
「鈴木大尉。貴方がエースです。雷神のエース誕生よ。おめでとう」
だが彼女からも喜び溢れる満足そうな笑みはなかった。そして当然、英太の後ろに控えている夫の御園大佐も、硬い面持ちのままだった。
Update/2010.11.6