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1.ソルト&ソルト

 

「本日、スコーピオンの昇格コンバット2対8を実践します」

 いつも通りの午前。いつもの甲板で白い飛行服を着込んだ十名の男達が並ぶ。
 それに向かい合う栗毛の女指揮官。ミセス准将の声に『イエス、マム』と雷神パイロット達の敬礼が揃った。

 スナイダー=ウィラード少佐の『ステージ2対8』。このステージでは、二回撃墜されたら、ファーストステージに転落。また最初からステップを踏んで駆け上がってこなければならない。
 先日、華子が帰ってしまった午前。スコーピオンの2対8ステージが行われたが、残念ながら平井中佐を僚機にしながらも他の先輩機に阻まれ撃墜、ステージアップとはならなかった。本日はその二度目。

 それだけではない。この数日の間に、他ステージで粘っていた先輩達も次々と『リタイア、エース辞退宣言』。あのフレディでさえも、ギブアップ宣言。残りはこのスコーピオンのスナイダー先輩とバレットの英太だけとなる。

 細川連隊長がこのコンバットシステムを発動し、エースの冠を掲げ初めてからついに二年。
 つまり、小笠原雷神エースコンバットは大詰めの段階にきている。

「では。本日、3号機スコーピオンの2対8の『2機』、スコーピオンの僚機となるパートナーを発表する」

 ミラー大佐の、ミセスに負けない冷めた声が響く。彼がエースコンバットの経過をまとめているバインダーを眺め、いつになく指示を告げるのを躊躇っているように見えた。
 スナイダー先輩も、この2対8ステージはもう何度目だろうか。英太の次にファイナルステージにやってくる男と基地中で同じように注目されている。英太より技術があり、キャリアもある分経験も豊かで状況判断は定評がある。人間としての度量も精神も、英太より大人で安定している。その男が2対8でもどかしい思いを繰り返しているのを、英太も知らぬふりをしつつ肌で感じていた。同じタイプのパイロットだから、そのもどかしさも悔しさも良くわかってしまう……。
 そんな彼の2対8ステージでの僚機、もうどの兄貴達もその僚機としての役割をミセスとミラー大佐に任命され、務め終えていた。ひとまわりしたあと。さて、本日。スナイダー先輩にとっても、もう最後にしたいだろう2対8ステージの僚機を、ミセスとミラー大佐は誰にしたのか。英太は思う。『俺じゃないな』と。

「本日、スコーピオンの僚機は、バレットに頼む」

 なんとおっしゃいましたか、ミラー大佐!? 
 声にならず、ギョッとした顔をミラー大佐に向けてしまった英太。彼の冷めた目と合ってしまった。

「他のパイロットは全て務めた。務めていないのはバレットのみ。故の任命だがなにか」

 ミセス同様のその眼差し。そして隣で右腕の大佐に任せている葉月さんは、いつもの如く、何存ぜぬ感情を宿していない顔をしているだけ。
 それに他の兄貴達も多少の落ち着きをなくしていた。それに、ライバルを瀬戸際のパートナーに押しつけられたスナイダー先輩も呆然としていた。
 そんなスナイダー先輩の様子をしっかりと見ていたのは、やはり葉月さんだった。

「どうしたの。スコーピオン。もしかしてライバルと組まされるのはプライドが許さないとか」

 例の如く――。人が思わぬこと、触れて欲しくないこと、または避けてしまいたいところ。そこに平気で冷たく凍った顔で切り込んでくる。俺達のミセス准将は甲板にいると正にそんな容赦ない女だった。
 あの活きの良いスナイダー先輩が、流石に強ばった顔をあからさまに見せていた。そして、氷の女を目の前に、あの口が達者な先輩が何か言いたいのに言えないという戸惑いの顔つき。

「貴方が組んでいないのは、あとはバレットのみ。有事にはどのパイロットとも息が合わなくてはならない。エースならなおさら。単にバレットがコンバットの相手として敵だからという私情のみで拒否をするならそれも結構。ただし、拒否をしたならば、それはエースコンバットを辞退したと見なします」

 尤もなお言葉ではある。そしてそれは正しい。雷神パイロット同士でエースという座を争ってはいるが、本来はチームメイト。それにこのコンバットは訓練でもある。パイロット達が憧れる雷神という伝説のエースチームの男達ならば、どのような状況にも応えられるパイロットであるべきなのだと――。

「勿論、異議などありません」

 だからスナイダー先輩も喉になにやらつかえたままだろうが、そこは飲み込まねばならない。

「スコーピオンが希望した指揮官は、私になりますがよろしいですか。ミセス」
「ええ。ミラー大佐。では私は8機チームの監督をします」

 『行け』。ミラー大佐の号令に、白い飛行服をまとった男達が敬礼、『イエッサー』と唱え甲板へと走り出す。

 『ホワイトサンダー07』機へと向かう英太。白い稲妻という名の戦闘機で、今日も空を飛ぶ。
 一瞬、空を見上げ『華子』を思い浮かべた。
 何故、あの日。なにも言わずに帰ってしまったのか。連絡は来たが『春美が心配だった。いま、忙しい』の一点張りで、まだゆっくり話していない。

「おい、エイタ」

 呼ばれ、振り向くとスナイダー先輩がいた。
 そうだ。彼にとって大事な瀬戸際のステージ。このことだけに集中しなくてはならない。

「少佐。安心してくれよな。1対9に来て欲しくないから足を引っ張ってやるなんて思ってないッすから。俺、ちゃんとフォローしますよ」
「あったりまえだ。バーカ。足引っ張る精神の奴は、雷神から出ていけ」

 いつもの減らず口同士。先ず、フライト前の意思疎通を計った。
 それでも、スナイダー先輩は浮かない顔。

「嫌な予感がしていたんだ。彼女がなにか、こういう時に無理難題をふっかけてくるってな」

 白いヘルメットには、真っ黒いスコーピオンのイラスト。それを小脇に抱えたスナイダー先輩が、それを被りながらふっと指揮台にいるミセス准将へと視線を向けた。

「こういう『えげつない』状況を、まあよくぞ作ってくれるな。あの人は」

 スナイダー先輩の溜め息。英太もよく解る。二年前の話で言えば、英太を宗谷岬の対岸国ADIS空域で領空ギリギリ瀬戸際の訓練をさせたこと。そんなこちらの緊張感が一気に跳ね上がる状況を突きつけてくる。雷神パイロットの誰もが、一度や二度はその状況下に置かれ彼女に試されてきた。
 でも……。甲板の潮風の中、英太もそっと彼女へと視線を向ける。

「心理の訓練をしているみたいだ。どんな状況下も耐えうる、直ぐに順応できる。それを思い知っておけ――て、ところっすかねえ」
「だな。んなこと、お前に言われなくてもわかっている。だから、互いに雑念はさておき、任務同様こなしていこう」
「オーライ。少佐」

 敬礼をすると、彼もグッドサインを残して、3号機へと走っていった。

「よっしゃ。俺、集中しろ」

 英太もライフルと弾丸を描いたヘルメットを被り、黒いグローブを手にはめる。
 その間も、良く噛み砕く。

 あんなに冷静なのも、彼が大人だから。そしてキャリアあるパイロットだから。
 それでも彼にとって英太はファイナルステージに上がった男、先に行った男、ライバル。そんな敵みたいな位置にいる男と、こんな大事な場面で組むことになる。スナイダー先輩だってライバルが僚機になってファイナルステージを目指すのは嫌だろう。英太もだ。複雑に思う。
 スナイダー先輩にとっては、成功したら初めてのファイナルステージ獲得。快挙。だがそれは『どのパイロットと組んでも駄目だったのに、先を行っている男、英太と組んだから行けた』とプライドを傷つけることにもなるだろう。それでも背に腹は代えられない、瀬戸際のチャレンジ。ここは誰だろうが黙って組んで、行くべきところへ行く覚悟。
 そして、英太も――。自分の手でライバルを同じファイナルステージへと昇格させることになってしまうのだ。今まで誰もこなかった、自分だけが昇格できたステージ。ライバルといえども、若くて体力がある英太が一歩先を行っている。その上、連隊長の御墨付きで英太が根を上げるまでは、もうステージから転落することはない特例ももらい受けている。そこへ、自分も実力を認める先輩、いつも英太のエースコンバットで背後をぴったりくっついてきて撃墜してくれる男。その彼がファイナルに来たら英太がぐずぐずしているうちに、あっという間にエースの座を獲得するようなイメージが直ぐに浮かぶ……。それだけ、来て欲しくない男でもあった。
 その男の手伝いをする。足を引っ張ることも出来る。だが、それをして果たして『男』なのか、『雷神のパイロット』なのか。
 あの人に問われている。英太はずっと葉月さんを見据える。

「葉月さんらしい。どんな状況でも慌てるな。なにが一番か考えろ。邪魔なものをくっつけて、いつだって俺達に投げかける」

 グローブをはめながら英太は笑っていた。
 二年前の自分なら、ここでキレていただろう。直ぐに『こんなことあり得ねえ』と文句を言って……。
 だけれど今は違う。この状況をひとまず受け止め、彼女の意志に思いを巡らせる。

「相変わらず、しょっぱい人だな。しかも俺に塩を持たせてやがって。ライバルの先輩に塩を贈れってか」

 ぎゅっとグローブをはめ終えた英太は、真っ白いバレット7号機を見つめる。
 深呼吸ひとつ。英太も空へと走り出す。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「申し訳ありません、科長!」
「わ、私が悪いんです。科長!」

 朝一番。工学科科長室のデスクに落ち着くと、右腕の神谷と真美がひたすら隼人に頭を下げていた。

「……神谷のチェックもすり抜けてしまったのか」
「本当に、私の責任です」

 まただった。隼人はもう溜め息さえも、すりきれてしまったのではないか。という程、息も絶え絶えになりそうな胸の鼓動を懸命に抑える。

「まだうちの段階でストップできていればいいものを。これを、横須賀にも宇佐美にもクロウズにも送ってしまったというのが問題だ」

 ホワイトの諸々の整備についてのコストを打ち出すため、それまでにホワイトにかかった費用に整備データーをまとめたのだが。『桁違い』、『入力欄ミス』、『ページ抜け』を何カ所も発見。何カ所も、だ。全て野口真美一人のミスとのこと。
 すべてが、言ってみれば、まあ誰でもやってしまいそうなケアレスミスだった。隼人が頭を下げれば、今すぐ訂正できる。だが問題はそういうことではない。
 これを真美一人の責任には出来ないだろう。この仕事は全て神谷に任せていた。全ての最終チェックは神谷が行う。彼の目でゴーサインが出たもの。つまり神谷も気が付かなかったということだ。その上、神谷に任せていたから信じていたから、全責任者である隼人もチェックはしなかったのだ。
 しかもしかも。これに気が付いたのは宇佐美の奈々美から『なんなの、このずさんなデーター集計は!!』とかなり怒り心頭のクレームが入って、ようやっと発覚という……。

(サイアクだ。よりによって女史にみつけられるとは)

 自分の不手際を一番見せたくない女に見つけられたのだから。

「いや。ここまで来たら科長である俺の責任だ。もういい。仕事に戻れ」

 いつになく強めた語尾に、神谷ですら怯えた顔になっている。それだけ隼人の形相が、いつもの落ち着きを失っているのだろう。隼人だって自覚している。
 こんな苛ついた顔で、しかも落ち着きない仕草で。腹立たしさで煮えたぎっているままの状態で、いつものようにどんと構えて仕事をする工学科科長の姿を保てそうになかった。

「少し、出てくる」

 件のデーター資料と、ミニノートパソコンを片手に立ち上がる。
 科長室の誰もが俯き、嫌なムードが漂っているのをひと眺めし、隼人は外へ出た。

「科長!」

 小夜が追いかけてきた。

「なんだ、一人にしてくれ。ああ、それから。この件は全て俺が引き継ぐから、もう二度と誰も携わるなと全員に伝えておいてくれ」

 もう誰にも任せられない。それを部下に突きつける。それだけ流石の隼人も怒っていると、小夜も知ったのだろう。足早に先へ行く隼人の横を、彼女も必死に付いてくる。

「仕上げた仕事にミスがあったことは、リーダーであった神谷君の責任であることはわかっています」

 小夜が言いたいことも隼人にはわかっていた。自分だってそうだ。神谷はいつだって良くやってくれている。ミスをしたことなどない。しかもこんな、手配違いとか納期まで間に合わなかったとか、これで仕事がまったく立ちゆかなくなるとか。そういう大きな間違いを犯したのではない。やったのは『ケアレスミスの連発』に過ぎない。しかもやったのは、これまた例の如く『新人が抜けないミス連発のOLちゃん』。

「納期前に仕上げていた資料にデーター、私もチェックを手伝いました。今回の箇所、その時点ではきちんと正常だったんです」

 ――小夜もチェックして、仕上げた時は正常だった?

「どういうことだ」

 やっと立ち止まる。だがそれ以上に、今度の隼人は驚愕の顔で小夜に詰め寄っていた。一瞬、昔からの上司でもある隼人の険しい顔に怯んだ小夜だったが、直ぐに歴とした顔で隼人に向かう。

「仕上げた後。真美ちゃんが触ってしまったんです。それまでの神谷君の仕上げは完璧でした。神谷君は第三者である私の目でも確認して欲しいと頼んできたので、私から見てもミスが何処もなかったから『完璧な仕上がり』だと信じて科長に提出したんです。だから私だって……」
「まて。『仕上がった後』。どうして責任者の許可もなく、野口が触ったりしたんだ! それはミスを見逃したことよりもっと問題だろ!!」

 隼人の怒声が人気ない工学科の廊下に響いた。流石の小夜も怒鳴られて、久しぶりにぎゅっと目をつむる程に。それでも小夜は震える声で応える。

「そこは……神谷君の『納品の管理不行き届き』になると思います。だから彼もあれだけ青ざめていたんです。でも……、チームで出来上がったとピリオドを打った資料にデーターファイルを、部下がまた触り直すとか考えられますか? 一般常識として上司が『この仕事を終えた』と告げたなら、触らないと思うんです」
「野口は、どうして終了した仕事を触ったんだ」
「どうしても、間違っていたのではないか。神谷さんも、小夜さんも見過ごしてしまったのではないかと『自分がやったことに自信がなくなって』確かめたんだそうです。まだデーターファイルに入る専用パスワードも持っていましたし、私も神谷君も出来上がったばかりだったので破棄はしておりませんでした。ですが、せめて責任者だけしか触れなくなるようパスワードを変更するべきでした。書類の保管場所も、鍵の場所も彼女なら」
「それで、触って……。触ったのがミスしていたというのか!?」
「そうです。データーファイルを眺めているうちに、ファイル一枚分消去してしまい、それに気が付かずそのまま保存。見直したデーターは、自分が作っていた時にミスしたものをいつのまにか入れ替えてしまい、そのまま上書き――」

 絶句した。どうやったら、そういう『入れ替え』とかができる? 出来うるケースをイメージしても隼人ですら思い浮かべられない。ある意味『神業』だった。

「吉田。聞いて良いか?」
「は、はい」
「天然でそこまで出来るものなのか。それとも……故意なのか?」

 あの可愛い顔で『すみません、すみません』と悪意なき失敗を繰り返されても、ここまでくると『そうとみせかけた故意』なのかと疑いたくなる。いくら天然でもここまでくると異常といいたい。
 するとそこで、小夜の顔が強ばったのを見た。なにか、まだ隼人に言えない何かを知っている。そう見えた。
 その様子に気づいた途端、小夜に腕を引っ張られ、側にある無人のミーティング室へと押し込まれた。

「天然です。ファイル1ページ分消去とか、いじっているうちに毎度の如くなにがなんだかわからなくなって焦ってしまったのでしょう」
「クビだ! もうあいつの『決定的じゃないが、小さなミスの連続』には俺はお手上げだ。ミスの塵も積もれば大損害だ! それだけならともかく! 上司が『出来上がった』と告げた仕事を蒸し返すとか、許可無しで触るとか、このとぼけた神経はどういう思考回路なんだ」
「今回の一番の痛いところは、そこ『許可無く触った』ことです。科長。実は……」

 そこで小夜が隼人の耳元に口を近づけてきたので、隼人も察し小柄な彼女の口元へと頭を下げた。そして、小夜が教えてくれたこと……は。

「なるほど。わかった。それはそれで『尻尾をつかんでくれた手柄』でもあるわけだ。連隊長に密かに告げておく」
「そうしてくださいませ。彼女の行動は私が今まで以上に注意を」
「いや、泳がせておけ。良いことを聞いた」

 小夜ちゃん情報を耳にした途端、隼人の怒りがさっと冷める。だが。

「それでも、野口のこのミスは許すわけにはいかない。しかも……そんな理由で仕上げた仕事を触り直すだなんて言語道断だ」
「私からもきつく……」
「いや、これ以上お前にも怒りんぼのお局様なんて嫌な役目はさせられないよ」

 隼人はドアを開け、そっと小夜の手を引いて外に出す。そして自分も外に出た。

「野口のこと、今日までよくやってくれた。有り難うな、吉田」
「いえ。そんな」

 あの小夜が、昔は良く見せてくれていた可愛い顔でちょっと頬を染めたものだから、つい隼人も微笑んでしまった。

「あとは俺が引き継ぐ。暫くカフェにいるから、なにかあったら携帯に知らせてくれ」
「かしこまりました、科長」

 いつもの綺麗なお辞儀で小夜が送り出してくれる。

「そうきたか。なるほど。黒猫の義兄さんが嗅ぎつけたとおりになってきているわけか」

 なんだ。大きな損害どころか、大きな収穫が飛び込んできたと隼人はほくそ笑み、今すぐにでも正義のところに飛んでいきたい気持ちになる。
 だがその前に。『鉄の女との対決が先だなあ』と、歩く足が急に重くなったりもした。

 カフェへ向かう途中の連絡通路で、空を見上げた。

「雷神はエース最終決戦、スコーピオン対バレットになったな」

 本日はその二人を組ませると、妻から聞かされていた。
 あちらはあちらで、徐々にエース誕生へと詰めて王手目の前。

 

 

 

 

Update/2010.10.14
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