俺、結局、ついてきてしまったよ。
英太は今、栗毛の女性と並んで海辺にあるレストランの入り口に立っていた。
基地でも評判のアメリカン惣菜屋。経営歴も長く、基地の隊員達に長く愛されている英太も大好きな店。『Be My Light』。
「英太、いこ!」
「はやく、いこう!」
晃と海人、元気な男の子二人に手を引っ張られ、英太は潮騒がする店に入った。
その後を栗毛のママさんも制服姿で笑いながらついてくる。
「お。いらっしゃい!」
レジに黒いエプロン姿の『秀太郎』がいた。この店のマスターの息子で、彼もいまは店を手伝っている。英太と同世代。店の名の一部を取って、隊員達は『ライト・ジュニア』と呼んでいる。
「おっす、しゅうたろう!」
「おっす、シュウ兄。今日は英太と母さんと一緒」
父親と良く一緒に来るだけあって、晃と海人も一丁前に『常連気分』のような口の利き方。だが英太も彼等とBe My Lightに来るのは初めてではない。この子等の父親である海野准将や御園大佐とプライベートで出かけた時の腹ごしらえで良くここに寄る。その時も、このガキンチョ二人はこう言った生意気な口の利き方なのだ。
「ちょっと、晃も海人も。ちゃんと秀太郎さんとか秀太郎お兄さんと呼びなさい」
父親達もそうなのだが、母親の葉月さんも同じ注意をした。だが英太はそれでもドキドキ。うわー、葉月さんがママの口をきいているよー。そんな姿でも、英太はときめき。だがそれは英太だけではないようだ。
「あ、ミセス。いいんっすよ。本当に。他の子供達もシュウとか呼ぶし」
英太と同世代の男だって、葉月さんを見たら、ちょっと締まりのない笑みに崩れデレデレしているのだから。
「秀太郎さんだなんって、くすぐったいっすよ。ジュニアとかシュウとかと一緒ですよ。きっとシュウタロウって呼ぶのはそういう感覚で」
「そう? でも、あんなお兄さんをお兄さんとも思わないような呼び方をして。ごめんなさいね」
「俺は嬉しいッすよ。それに……葉月さんだけですよ。秀太郎さん……なんて丁寧に呼んでくれるのは」
まったくもって。お前は俺か! とでも言いたくなるようなデレっぷり! 思わず、葉月さんの背後から秀太郎を睨んでしまいたくなった。
ところが、今度は秀太郎が葉月さんの背後にいる英太へとじいっと意味深な目線を送ってきた。今度は英太がドッキリ。
「あ、今日は珍しいお連れですね〜」
秀太郎の粘っこい嫌味な眼差し。何故って。実は英太、秀太郎と歳が近いこともあって割と親しくしていた。そんな中、当然の如く? こいつも『お前、葉月さんが大好きだろう』と言う一人。勿論英太は誰に対してもそうであるように『あんなオバサンを好きになるわけないだろ。どんだけ歳が離れていると思うんだ。あんな冷たい女将軍など〜云々』と毎度の文句で貫き通している。それでも、誰もがそうであるように。誰にも白状していないのに『英太は葉月さんに惚れている』と言われてしまうのだ。
しかしそこが秀太郎との付き合いやすさというか。わかっていて上手く流してくれるのは、基地で親しい男達と同じにしてくれる彼。そんな親しさの中で英太の日常を気持ちも分かり切っている男が、そんな英太が葉月さんと一緒に食事に来ただなんて、父親達と来ても一度もなかったのにと案じている。秀太郎の目がそう言っているのだ。
「帰りに、うちの子達に捕まってしまったの。大尉はいつも可愛がってくれているから、あの子達も大好きなのね」
葉月さんの言葉に、秀太郎が充分納得したと安堵したかのように表情を崩した。つまり英太から入り込んだわけではないってことを……知って。
「そうっすね。海野准将と御園大佐と出かける時、大尉と子供達もいつも一緒にうちにくるから……えっと、注文は」
「子供達からお願いします」
葉月さんの笑みに、秀太郎も気をよくして『オーライです』と、ガラスケースに張り付いて食べたいものを選んでいる晃と海人へと向かっていった。
「英太。貴方もお腹いっぱいでしょうけど、ビールぐらいどう?」
「葉月さんが運転しているのに」
「遠慮しないで。それとも、なにか軽いスナックでも……」
「いえ、マジで腹一杯、結構呑んだので。じゃあ、お言葉に甘えて、アイスコーヒーをご馳走してください」
「ええ、勿論よ」
子供達に付き合ってくれて有り難う――。葉月さんはそう言うと、英太が素直に甘えたことでほっとした微笑みを見せてくれた。
「ミセス准将は、なににしますか」
子供達のオーダーを取り終えた秀太郎が葉月さんを呼んだ。
厨房では、白髪のマスターと奥さんが黙々と調理をしていた。秀太郎の両親だ。昔はマスターが店頭に出ていたらしいが、息子の秀太郎が手伝うようになってからは接客は任せきりのようだった。
今日は平日で、丁度、白いテラスのオープン席が空いていて、子供達はそこに一直線。すかさず陣取ったボーイズを見て英太と葉月さんは揃って笑い合っていた。
その時に、彼女と目が合って……。子供達を見て微笑み合う男と女ってこんな感覚なのだろうか。英太の甘い錯覚――。
でも葉月さんはなんにも気にならなかったのか、そのまま子供達を追うようにテラスへ行ってしまった。
『貴方達、素早いわね』
『だって、この席じゃないと意味ないよ』
『そうだよ。この席が一番だもんな』
『准将ママだって、結婚する前からこの席を狙っていたんだろ』
『そうよ。貴方のパパの達也だって、ママの泉美さんだって。そして隼人さんだって。この基地の隊員さんなら、みーんなこの席が好きなのよ』
『母さん達も、この席でよく食べたんだよね』
あの人が、ママの顔で笑っていた。
それを英太は微笑ましく眺めていられた……。今なら。あの人が、コックピットを降りた理由も十二分に理解することが出来た。
あの人は甲板ではすごく張りつめた瞳で、凍った横顔を見せるロボットのような人だ。なのに、彼女の冷たい顔の下に隠れているあの柔らかな微笑み。ふんわりとした彼女の気持ちに触れた時、英太はあの人の優しい感触は『全て』、あんなふうな子供達に包まれている時間に育まれていると思うようになっていた。
あの人と親しく過ごしている訳ではない。彼女の夫や、その夫の交流関係や、その夫が連れてくる子供達とプライベートで触れあうようになってから、『あの人の日常世界』を肌で知ることになった。
これはあの御園大佐の、ある意味『策略』でもあるのではないかと勘繰ることもある。彼が、御園葉月という女性、あるいは葉月という生き抜いてきた一人の人間の、乗り越えてきた軌跡を英太に自然に見せてくれている。そう思うのだが、その影に密かに『どんなにお前が恋をしても、彼女が愛して止まない崩すことのできない世界がここにある』と釘を刺されていると思うこともあった。だが結局は、そんな勘ぐりを一周りし……英太が『御園ファミリー』に触れて最後に得るのは『ファミリーの心地よさ』。なんと言っても、あんなに『英太、英太』と慕われてしまうと英太もあのボーイズが可愛らしく思えてしまう。だから……、あの子達からあの優雅な栗毛のママを奪ってしまうぐらいなら、英太は退役をしてでも離れようと思う。今はそうなりたくない。
ただあの人の傍に。ただあの人を感じていたい。あの人と同じ方向を見据えて一緒に歩いていたい。それだけで、いい……。あの人があんなに綺麗に幸せそうに笑っているんだから、それを壊したくない。どんなに恋い焦がれても。あの人がコックピット以上に愛している世界を、やっと手に入れただろう世界だろうから。俺はそれを、守り通してあげたい。それが俺の……。
「おーい、そこの恋するデクノボウ」
ぼうっと綺麗なママ姿を見とれていたら、ガラスケースのカウンターから小馬鹿にした声。
顔をしかめ、英太は振り向く。トレイに出来上がった料理を並べた秀太郎がいた。
「下っ端パイロット、運んでくれ」
「これでも俺、ミセスの連れで客だぞ」
なんて。いつも互いにこんな口悪く言い合っても、英太は素直にトレイを手にして運ぼうとした。
「おっと、ボーイズにおまけがあるんだ。待っていてくれ」
「お、それはいいな。喜ぶな」
秀太郎も子供達に慕われる方だった。それもこうして子供達には気前よくサービスし、気さくなお兄さんで接しているからなのだろう。
彼の手がケースから小さなガトーショコラを二つ。
「今は美しきママさんだけどさ。俺がガキの頃、あの人すっげー冷たいお姉さんってかんじで。なんつーの、そこらへんの走り屋と仲が良かったみたいだし、ちょっと不良ぽくて怖かったな」
トレイを再度、綺麗に整え、おまけのガトーショコラを乗せる秀太郎が急に英太に囁く。
「ふうん。俺も聞いたことはあるな、御園大佐から。どうもそうだったみたいだな。夜中に車飛ばしていたって」
「うちの店、昔から夜遅くまで開けているだろ。親父もおふくろもなかなか帰ってこなくて、子供心に苛ついていたよ。特に『あの女』、閉店前に良く来るんだ」
いつも愛想がよい秀太郎の、いつにない棘がある言い方。『あの女』。英太はドキリとして秀太郎を改めて見つめていた。『あの女』が誰か英太にも分かったから、その視線が次には潮風の中子供と戯れる栗毛の女性へと。
「あの頃のあの人の表情は、ガキの俺から見ても、触ったら凍ってしまいそうだと思うほど冷たくて、目は何処を見ているか解らないのに鬼気としていた」
彼から、初めて聞く話だから、英太は葉月さんを見つめたまま固まっていた。知っていたつもりだが、目撃した人間から聞くと生々しい衝撃が未だに英太を襲う。
「一度もあの人が笑った顔を見たことがなかったね。不機嫌そうな凍った顔でいつも定番のメニューを食べて帰る。もう閉めればいいのに、親父が『今日は来そうな気がする』とか言って店を開けている。まあ、あの人だけじゃなかったけどな。親父がそう気遣っていた隊員はいっぱいいたよ。でもな、あの女の場合。『閉店前』っつーのが、ガキだった俺を苛立たせていたわけ」
「でも。今の秀太郎は、ミセスを見ても」
「……そうなんだけどな。苛立っていたんだけどな。でも俺、子供心にあの人の恐ろしいぐらいに冷たい横顔を、心ならずとも『綺麗だな』とか思っちゃっていたんだよな。いつも怖い物みたさ、苛立っているのに店の隅っこで親父達を待ちながら、あの人が独りで黙々と食べている姿を眺めていたもんだよ」
同世代の青年同士。あの人は自分達から見れば、かなり年上の、そういう女性。なのに英太より先に、彼女に吸い込まれそうになった『ガキ』がここにいた! そんな驚きで、まるで同士を見つけたかのように英太は目を丸くして秀太郎を見てしまった。
そんな秀太郎が緩く笑った。
「あの人の、あの冷めた顔や目つきは徹底していたな。子供の俺には見通しもつかないあの冷たさは、今思えば、孤独に戦っていた苛酷な横顔だったんだよ。あんな冷めた顔でも、目は死んでなかった。目はどこかいつも真っ直ぐに……。俺達が見えない見ることができない何かと対峙していたんだな、いつだって。惹かれたとか憧れたとかそんなんじゃなくて。引き付けられたっつーの? 後にも先にもあんな忘れられない強烈な印象の横顔って他になかった。子供には絶対に理解できないものを秘めていたから、より強烈だったんだと思う。本島の高校に通うんで大学、一時期社会人生活をしてこの島とは離れていたんだけどさ。帰ってきたら、あの人が母親になってすんげー幸せな綺麗な奥さんになっていて驚いたね」
そして、何故そうなったのかは、隊員達から漏れ聞こえる風の噂を繋いで理解したという秀太郎。
「あの顔が、あんなに笑顔になるってスゲーなって思ったもんだよ。良いママさんであるあの人を見るとほっとする」
秀太郎が……英太に何を言いたいのか。分かってしまった。
「そんな昔話なんかしてくれなくても。俺はあの人のためにならないことは、絶対にしない」
釘を刺したのだろう。幸せそうなママさんでいる葉月さんと『ついに』、夫の知らぬところで割り込んで一緒に来た。調子に乗るな。気を付けろ。
分かっている。秀太郎は『英太にとっても、今が一番、彼女と幸せに過ごせる形なんだ。恋してもそれ以上を望むな』と言いたくて、そして心配してくれているのだろう。最終的には、英太を思ってくれての昔話、秀太郎の心遣い。
それでも英太は、手荒くトレイを持って秀太郎から離れた。
自分の気持ちをかき消し、裁ち切り、そしてそれが彼女の幸せを守るのだからと言い聞かせ――。
・・・◇・◇・◇・・・
たまに都会の夜へ出向くと、島とは全く違う夜明かりに目が眩む。
そんな中、隼人はアタッシュケース片手にあるカフェを目指していた。
今夜は制服ではない。いつも私事で出向く時の軽めのジャケットスタイル。夏らしく麻色のカジュアルパンツに青白ストライプのクレリックシャツ。真っ青なネクタイ、紺のジャケット。マリンスタイル。それで街中を軍人ではない男の姿で闊歩する。
この界隈にくるとお世話になっている行きつけのカフェに入る。
まだ『彼女』は来ていなかった。
いつもの席が開いていたので、そこに座り、いつもと同じくノートパソコンを開く。
そこでやっと、一息、大きな息を吐いた。
なんで、来てしまったんだろう。しかも『急な出張』などと取り繕うようにして出てきた。
嘘? ああ、嘘になるんだろうなあ。でも嘘の出張など初めてではない。妻の葉月に知られないよう出てくると言えば、義兄の純一とこっそりと結託して裏仕事をする時など。だいたい家の事情で動くことが多かった。
それが、今回に限って『若い女の子の頼み』で動いてしまった隼人。つまり、これが初めての嘘。
「いや、家にだって関係あるだろう」
ノートパソコンをオンラインに繋げてみたが、結局、なにもしないで隼人は彼女を待っている。
『大佐しか思いつかなかったんです。助けてください』
銀座で出会った英太の幼馴染み、源氏名は『華』。それぐらいしか知らない彼女の頼みを聞いたのも、華夜の会が出てきたことと――。
「こんばんは」
思いめぐらせていると、そこに真っ黒なショートパンツにショートの皮ジャン、派手なデザインのキラキラとしたティシャツ。そして大きなサングラスを掛けているギャル風の女の子が立っていた。
え、どなたですか?
たぶん、ものすごく呆気にとられた顔をしたのだろう。その若い女の子が笑った。
「大佐、やっぱり驚いた。わたしでーす」
サングラスを取った彼女の顔を知り、さらに目を丸くした隼人を見て華が大笑い。
「この前のお返しです。大佐の驚く顔が見たかったんですよね」
「華ちゃん」
それでも、顔を見れば彼女だと分かる艶やかな笑みを見せてくれ、隼人も待ち人来たりとほっとした。
そんな華が、以前とは随分と違う雰囲気でどっかりと隼人の向かいの席に座った。
しかも、真っ白い素足を臆することなく大きく組んだ。その大胆なポーズにも隼人は唖然とさせられる。先日、出会った品の良い夜の蝶ではなかった。随分とはすっぱな、粋がっている女の子。周りの目も気にせず、彼女はちょっと行儀悪い仕草で頬杖をつき直ぐ側のガラスの向こうを見る。
「制服でなくて残念」
「どうして? プライベートだからと思って、私服にしたんだけどな」
「だって。こんな女の子とお偉いバッジを付けている制服の軍人さんが夜のカフェで待ち合わせ。このアンバラスに人がすぐに思い浮かべるのって『もしかして若い愛人〜』なんて周りがじろじろ見てくれたら、大佐が困るかと思って。でも制服でなくても、そんなエグゼクティブなおじ様の雰囲気で来てくれたなら、今でも大成功かな」
華の悪戯の意図を知り初めて周りが気になった隼人。見渡すと……そう言えば見られているような、見られていないような?
また目の前で、華がくすくすと笑い出す。
なんだなんだ。この前と違ってなんて生意気な女の子。そんなに隼人が『歯形』でからかったのが悔しかったのか、この負けん気の仕返し。
その上、隼人に見せつけるためか、目の前で大きく足を組み替えたではないか。黒いショートパンツの股上がチラリと見え、もうそれこそ下着が見えるどころか、生で見えてしまうんじゃないかという程の大胆な着こなし。
組んだ足が、これまた長い。足の爪も派手に彩り、随分とセクシーなデザインのサンダルを履いて、伸ばした足は隼人の革靴の先に届きそうだった。……俺の妻も長いが、妻ほどの長い足を見せる女性も珍しいなあと、隼人はそんな意味で見とれていた。
そんな隼人の素直な視線が思うつぼだったのか、目の前のはすっぱな風情を気取っている華がふっと勝ち誇った笑み。
「大佐さんって、素直」
意味が分かって。でも隼人はそれでも華の長くすらりとした綺麗な足を見て言ってみる。
「いやー。俺の奥さんとどっちが長いかなあと」
からかわられている挑発されているのを分かって、隼人も『わざと』妻を引き合いに出しているのだ。
だから、華が途端にむすっとした顔になった。そこで隼人はひそかにニンマリしてしまう。ねじ伏せ一本、おじさんの勝ちってわけだ。
「サイテー。どんなに奥さんを愛していても、目の前にいる女は褒めておいた方がいい男よ」
「言うなあ。じゃあ、褒めてみよう。うちの奥さんと勝負になりそうな足には久しぶりに出会ったなあ。俺がフランスを出て以来か?」
今度はしかめ面になった華――。今度は隼人がついに笑ってしまった。
「ふうん、英太がべた惚れの大佐の奥さんって、旦那もべた惚れの綺麗な人みたいで安心したー」
「どうして、安心? 長い付き合いの恋人同然とも言える幼馴染みが、自分よりずうっと年上の中年女にいかれていることを放っておいて良いのか?」
「べっつに。余所に夢中でいてくれた方が、私としては丁度良いけど」
隼人は眉をひそめた。何故? 丁度良いってなんだと。
「葉月さんに夢中な間は、英太は私に結婚を迫らない。今でもちょっと葉月さんとは無理って撃沈した時は、私に結婚を迫ってくるの。英太のことは大好き。でも、結婚はしない。英太はそんな私の気持ちも解っているはずだもの」
益々、隼人は困惑した。
「大好きで、愛しているってわけではないんだ。つまり、家族愛に近くなっているとか」
「んー、そんなものかな。英太なら結婚しても良いと思えるけど。きっと私、英太が思っているような『理想的な家庭』を育てるような妻にはなれないと思う」
どうして――。隼人はそう聞きそうになって、口をつぐんだ。
先日、華の口から『天涯孤独に近い私』と言っていたことを思い出したのだ。
それだけで。一言では説明しきれない複雑な事情があって、そしてその道を彼女は歩んできたのだろう。『どうして』だなんて短い一言で、理解が出来るような説明を求めるのは安易すぎる。
「……まあ、お互い色々あるということで。おいおい知ることができる良い付き合いにしたいね」
隼人がそう切ると、華も思わぬ話題に発展していたことに我に返ったようだった。
その場を変えるために、隼人から切り出した。
「どういった頼みがあるのか聞こうか。なにやら切羽詰まっていたようだけど。華夜の会に出ても恥ずかしくない、お嬢様にしてほしいって?」
そう言っておいて、隼人は顔をしかめたくなる。目の前のはすっぱな彼女を見たら、『それは無理』とでも言いたくなる。だが……
「お店にいる華ちゃんの姿で充分だと思うんだけどな」
電話連絡があった時も隼人は華にそう返答はしたが、華は納得してくれなかった。
「駄目です。夜の蝶では、駄目なんです。本当に華夜の会にやってくる同年代のお嬢様のような雰囲気にしてほしいんです」
はすっぱな華ではなく、店にいる華に戻ったようだった。どうやらオンとオフをきっちり分けている様子に隼人には見えた。
「それにしてもどうして、また、華夜の会に行く羽目に」
心ならずとも嘘までついて出てきてしまったのは『華夜の会』という一言、そこだった。
しかし、隼人の頭の中で『ある程度の予想』ができていた。
あの華夜の会は誰でも簡単に出入り出来るわけではない。なにせ『お祖母様』が創設した会、何が目的でどのような人が集まり、現在誰が参加しているかもきっちり把握しておかねば『婿殿失格』だろう。
そんな中、婿殿としても何が起きているか知っておかねばと思ったのが一つ。さらに、ある意味閉鎖的な集まりで華のような部外者の、しかも若い女性が誘われたとなれば、そのルートもおのずと把握出来る。その華を誘ってくれた人間を予想出来た時、その人間こそが問題だと思ったのが、隼人がこの話に乗った最大の理由。
華を誘っただろう、華夜の会の会員は――。
「岩佐社長に頼まれてしまったんです」
「やっぱり……!」
隼人の予想は的中だった。華が一番近い会員は岩佐だと。彼が何かを企んでいる。それを予想出来て『そんなこと、俺には関係ない』だなんてつっぱねられるわけがない。また万が一、あの篠原会長が華になにか頼んだとしても、見過ごせない。
「で、岩佐君は華ちゃんに何を……」
どうしてか。これが条件反応というのだろうか。まだ岩佐が何を企んでいるか分からないというのに、既に隼人の胸の中はゴウとした炎が燃え始めていた。
あの男! また女性を巻き込んで、なにを企んでいる!
手段は選ばない男だ。この前はあんなに角が取れた素直な姿をみせてくれたが、やっぱり隼人はまだ信じられない!
数年前に妻と御園の両親を苦しめ、いとも簡単に門外不出の家宝の宝石を金だけでかっさらっていったあの手段なき男の無情な笑みが浮かぶ。
その怒りが……今も。あの男、お祖母様縁の会に改心した顔で入り込んで、またもや何をする気だ、いや、俺、落ち着け。隼人は落ち着くために、目の前にあるカフェオレカップを取ろうとしたが、指先が僅かに震えていた。
「あの、大佐。大丈夫ですか」
悪戯が終わった華が、そんなギャル姿で神妙に案じてくれる愛らしい目が、隼人の震えている指先をしっかり捕らえてしまっていた。
「いや、大丈夫。ちょっとね」
「岩佐さんと、なにかあったということは……先日のご様子で分かっていたつもりなんですが、本当に他にお聞き出来そうな方が大佐しかいなくて」
そんなところは、気配りは流石の女性のようだと、隼人は思った。
先日のあれだけで。眺めていただけの華は御園家と岩佐の間にある確執を見抜いていたようだ。
やっとカップに口を付けた隼人を見た華の顔がほっと緩む。しかし、ちょっと違うことを教えてくれた。
「……それが、その。『俺の婚約者になって欲しい』と言われまして。その華夜の会でお披露目をするからそのつもりで、と」
『婚約者になって欲しい』!?
今度は、カフェオレを噴き出しそうになった。
「い、岩佐君がプロポーズ!?」
「ええっと、ですから……その……」
困惑している華。
だが隼人は華を見て思う。
そうだ。髪から目から鼻筋から唇、肌から胸元から指先も、身体も足だって。彼女はどの男が見ても欲しいと思うだろう、そういう美女だった。
流石の岩佐も、華に目が眩んだってことか?
と思ったのだが、事情は少し違うようで……。
Update/2010.3.29