『もう貴方は私の猟犬ではない』
それを告げた葉月は、頭に付けていたインカムヘッドホンを外す。
「嬢、英太は――」
「予想通り、躊躇ったわ。これから私はフレディに付きます。大佐、お願いします」
外したヘッドホンを、葉月はデイブへと『投げた』。
全てが『予想通り』。葉月の思惑通りに青年達が空で動いている。英太が躊躇うことなど、そして自分が英太を切ってフレディに移り変わるのも全て『予定通り』だったのだ。
投げたられたヘッドホンを、デイブが待っていましたとばかりに受け取ると、直ぐさま頭に付ける。
そして葉月は『新たなる猟犬』へと、指示を出す。
「聞こえる? 貴方の対戦相手は『ミセスの指示は恐ろしい』と、しっぽを巻いて逃げたわ。やはりX機の貴方が『主機に相応しい』という答が出たわね。さあ、反撃よ。これから『主機』の威厳を見せつけてやりなさい。出来るわね」
『イエス……』
フレディの戸惑う返答が届く。
だが葉月は、同じように彼に告げた。
「Z機を、宗谷海峡ギリギリに追いやりなさい」
やはり……。流石のフレディからも、即答はなかった。
「貴方も、『予備』と同じというわけね。いい、あと一度だけ言……」
『ラジャー、ミセス』
最後まで言い切る前に、青年から決した声が聞こえてきた。
指示通りに、今度はフレディが英太の機体を瀬戸際に追いつめている。
「そうだ。いけ……慎重に押し切れ……」
デイブが手に汗を握ってレーダーを眺めている。英太をデイブに任せたが、彼もまだ『出番じゃない』と無線を繋げずにひたすら見守っている。だが今にもアドバイスをしたそうに、手元はそわそわしていた。
「来たな。嬢、英太が瀬戸際に追いやられたぞ」
「来る……」
レーダーでは、入れ替わった猟犬フレディに英太が追いつめられているところ。葉月も構える。そしてレーダーから目を離さずに叫ぶ。
「クリストファー、奈々美さん。来るわよ!」
「オーライ。俺はスタンバイOK」
「とても良いデーターがどんどん入り込んできているわ。でもまだ、まだ……もっと……」
パソコンに流れてくるデーターに釘付けになっている奈々美も叫んだ。
「もっと……Z機が動けるようにして! この子の操縦が『本命』よ。この子よ、この子がどう瀬戸際で動かすか……!」
お願い、葉月さん!
奈々美の懇願する声が届く。
彼女も演習ではあるが、葉月の追い込み方が如何に危険かよく分かっている上で、でも『これほどの収穫はない!』と先程から騒いでいた。
主機と任命したフレディの『X機』は、公式に相応しい。的確で間違いのないデーターをコンスタントに打ち出してくれる。それは軍と企画本部、または宇佐美重工の上層部に報告される。これはこれで、報告する為の必須項目のデーター。
だが『予備』は違う。いわば、無登録同然の『幽霊的機体』とみなして、『補欠扱い』と報告している。だが、奈々美はそんなつもりはない。むしろこの予備機で『好き勝手』を目論んでいる。
そこに、どうにも言うことを聞かないパイロットを。しかし、未知の動きをしては、未知のデーターを打ち出す可能性がある鈴木大尉に期待を寄せていた。
だから『予備』。
英太は『俺は補欠か』と不満そうだったが、そこはまだ若い彼に『大人の事情』を開示するまでに至らなかった。
彼がもう少し大人になり、落ち着いて周囲の有り様を判断付けられるようになれば、あるいは。
だから、葉月が『一芝居』打っている。
本当のハウンドは、最初からフレディと決めていた。
そして英太を追いつめる。
その時に、彼がどのような動きをするのか……!
「来たわ……。データーが……!」
奈々美の声に、葉月とデイブはカメラ画像とレーダーを凝視する。
「嬢、俺はあっちに行くぞ」
デイブが無線を繋げる。Z機との交信を再開させようとしている。
葉月は無言で頷く……。
「聞こえるか、コリンズだ」
・・・◇・◇・◇・・・
元より、天涯孤独みたいなものだった。
両親は十二歳の時、同じ日に死んでしまった。
叔母の春美が頑張ってくれなかったら、英太は施設にいたかもしれない。
だから。こんなことだって平気だ、そう平気……。
「くっそ……! やっぱりそっちはミセスの忠実な犬になりきれるんだな!」
いつかのように、フレディが押し迫り、英太を境界線の向こうへと追いやろうとしている。
『聞こえるか、コリンズだ』
復帰した無線から聞こえてきた男の声に、英太の操縦桿が止まる。
『なにをやっている。もう宗谷海峡上空だ。向こうのスクランブル部隊がくるぞ。戻ってこい!』
しかし、フレディは回避をする隙を与えてくれないこの状況……。
『ミセスはお前を捨て、X機の指示をしている。お前を徹底的に叩きのめそうとしているぞ』
やはり。見限られていたか。
そして忠実な犬、いや、忠実な猟犬を使って、『必要なくなったハウンド』を追い出そうとしているのだろう。あの人はそれを平気でやる人だ……! だったら! その覚悟でやっているなら、あの女が望むとおりに、俺が侵犯してしまえば、あの女はお終いだ。……と思うが。
だが、コリンズ大佐の『回避しろ、絶対に超えるな』という叫びが、英太を何度も引き留める。
本当は英太だって分かりすぎるほど、分かっている。防衛に基づいた命令でないかぎり、自分から侵犯するなど、防衛パイロットとして最低だ。出来るわけがない。そして、そうなりたくない!
『どうした。主機になりたくないのか。見せてやれ。お前の、あの、滑走路でぶちかましたような、そしてあのアンコントロールを引き起こしたような急降下操作を。あの澄ましたお嬢ちゃんに、ぶちかましてやれ!』
その声に。英太は操縦桿を握りしめ、フロント前方に目を見開く!
額の中心に、なにかの力を集めるかのようにして、英太は『この野郎!!』と叫び、操縦桿をがちんと動かす。
それはもう。ホワイトの繊細さを無視した、今までの英太が遠慮なく力任せにやってきた操作だった。
前はこれでアンコントロールを引き起こした。もうあんなのは二度と御免だ! だからホワイトに乗り換えてからは、先輩達同様に丁寧で力を押さえたちまちまとした操作に甘んじていた。だが、こうでもしなければ、ミセスの狩りからは逃れられない!
「うおおおーーっ」
機体がどうなっているか分からなかった。機首がぐんと上空に跳ね上がり、英太は座っているシートに後ろ頭を打ち付けていた。コックピットには青空、白い雲。だが計器を見て英太は驚く。
――垂直になっている!?
しかしそれも一瞬だった。機首が直ぐに降下し、英太の身体も斜め下へと落ちていく感触――。
そして、水平飛行に戻ると、四方、フレディのX機を確認することが出来なかった。
「かわしたのか……?」
『いいぞ。そのまま空母に戻ってこい』
「しかし、ミセスが……」
『そのミセスの指示だ。着艦しろと言っている』
その言葉に、英太の肩からどっと力が抜けていくのが分かった……。
きっとフレディも同じに違いない。
冷酷な演習は終わった。
だが英太はまたもや、ギリギリと歯を噛みしめていた。
「待て、俺……。またあの人の胸ぐらを掴んでも、あの日と変わらない」
そして御園大佐がいたら、きっと『もっと自分で考えられる男にならなくてはやっていけない』と突き返されるだろう。
でも、これを繰り返されたら堪らない。それともこれが『雷神』だというのか? こんなパイロットを酷使する。酷使するやり方が違うような気がする!
着艦をしたら、掴みかからずとも、やはり何か文句は言わないと気が済まないと英太は思った。
さて。落ち着け。どうやって彼女とやり合うかだ……。
機体は空母をめがけ、降下を始める。
・・・◇・◇・◇・・・
只今戻りましたと、フレディと肩を並べ英太は敬礼をする。
離艦した時とまったく変わらぬ冷めた顔で、ミセスも敬礼を返してくれた。
「ご苦労様。本日はこれまで。艦内で休んで結構よ」
それだけ告げ、彼女が背を向けようとしていた。
用件のみ。評価もなく……。あれだけ俺達を甲板からその声だけで引っかき回してくれたというのに。いつもの訓練となんらかわらない時間が当たり前のように終わったとばかりの背中。
「准将。ひとつ、質問があります」
なにがなんでも引き留めてやろうと英太は思った。
彼女が立ち止まり、肩越しにちらりと振り返っただけ。それでも構わない、英太はその背を捕まえるように尋ねる。
「この空域でテスト飛行を行う。その飛行計画の届け出をしていたのか。それだけ教えてください」
部下を侵犯手前まで追い込むようなことを、実戦ではなく訓練でやった。部下に危ない行為を強いる。それを言わずにはいられなかった。
だがそれは英太だけではなかった。
「自分も、知りたいと思っています」
隣のフレディも。今回は英太に同調してくれ驚いた。
だが、疲れ切ったフレディの目が、初めて……ミセスに向かって不信感を露わにし光っている。それだけ彼も、狩られたり狩るようになったり。どちらにせよ、また英太と同じように嫌な思いをしたに違いないと確信した。
それでミセスがどうするかと二人で固唾を呑んで待っていると、ようやっと元の目の前に彼女が戻ってきた。
「それで。貴方達はどう思っているの」
こっちが質問しているのに、どうしてそうやって返答をあやふやにするんだと、英太は腹立たしくなった。
だが隣の男はこんな時こそ落ち着いている。
「届け出はして下さっていると……信じています」
不信を抱いても、まだ捨て切れぬ信望。フレディの顔がその苦悩のようなものを垣間見せている。そして英太も。
「自分は届け出をしていないと感じました」
はっきりと感じたことを言ってやる。ここがフレディと正反対だと思われるところなのだろうと、英太は思う。
青年二人の前に立っているミセスは、二人の顔を見てまだ黙っていたのだが。
「届け出はしているわ。当然でしょう」
いつもの凍った顔つきで、さも当たり前のことを……とばかりに、彼女が答えた。
『信じていた』フレディはほっとした顔になり、やっと微笑みを。だが『信じられなかった』英太は、この女のはったりに散々振り回されたと分かり、カッとなりそうになる。
それでも、ミセスは淡々と続ける。
「元より、宗谷海峡は国際海峡の一つとして、国際法で『通過通航権』が認められている海峡の一つ。どの国の船舶及び航空機が通過するのも自由。核を搭載している軍艦でも軍用機でも、よ。海軍パイロットの貴方達もそれぐらい分かっているでしょう」
確かに海洋法でそうある。だから何をしても『自由なのだ』という主張らしい。そんなミセスの安直な考えに英太は驚かされた。それが俺達を総括する艦長の考え? 『そんなことあるものか』と……いつもなら吠えている英太のはずだが、ここは今までを踏まえ、ぐっと堪えた。そして一呼吸おいて、反論に出る。
「ですが、日本では、非核三原則の『持ち込ませず』を維持する為に、領海に含まない海域を設定しそこを通過させることでその国際法に対処しています。どちらにせよ、通過すると侵入するとではわけが違います。それに『通過通航権』というものは『迅速に通過する為の許可』であって、そこで自由に航行、飛行するためのものではないはず。確か、通過条件の中に『武力の行使は差し控える』があったはず」
「武力の行使などしていない。ただのテスト、訓練、演習での通過よ」
だから? だから領空境界間際で、思うままに訓練をしたと言いたいらしい? 異議を高めた英太は再び。
「それも違うと思います。国際海峡とて、領海領空の均衡を考えるならば、やはり相手国の『防空識別圏』を考慮し『飛行計画』を提出するのが無難。かつ、計画を提出しても『相手を不安にさせない』が原則ではないでしょうか」
言い終えると、ミセスがじっと黙り込んでしまった。
まさかとは思うが。本当に『自由なエリア』と思って、パイロットに無茶をさせていたのかと……。英太は不安になる。
だが、ミセスの周りにいる誰もが、口を挟むこともない様子。特に彼女の隣にいるコリンズ大佐も、腕を組んでじいっと眺めているだけだった。
その時だった。空母全体に警報音。スクランブル発進指令が発動。
甲板が騒がしくなり、白い整備服のメンテナンサーが走り回り、ビーストームのパイロット達が詰め所から飛び出していった。
「コリンズだ。管制、状況を……」
コリンズ大佐も確認をする為に、直ぐさま、目の前の通信機のマイクから管制へと交信する。
英太は直感した。先程の演習が、向こうに刺激を与えてしまったのだと。ほらみろ! 向こうだって領空境界間近で、どんなに届け出がある飛行でも危険に思ったのだと。
「やはり、こちらが侵犯を目論んだ飛行計画だと思われたのではないのですか!」
あとで抗議されるのはミセス自身だろうが、この艦のクルーも、そしてパイロットも、そして……これから雷神のシンボルになるだろう『ホワイト』も。そんな無謀なことに荷担していたのだと、後で軍上層部からこの航行クルー丸ごと叩かれることになる。いわば、不名誉のレッテルを貼られてしまうのだ。
ホーネットが二機だけ飛び立っていく。
それをミセスを始めとする幹部一行とフレディと共に、英太は見上げた。
「このスクランブルも、私の想定内よ」
何事も淡々と、全てが自分の手で動いているかのような落ち着きぶりが気に食わなかった。それはそれで、艦長としても自分の最高上官としても頼もしいのかもしれないが、限度が、この人の限度が流石の英太にも追いつけないほど超越している。
あの長沼が『彼女とは二度と一緒に飛びたくない』と嫌な顔をしたのが、ようやっと頷ける気持ちだった。これを空でやられたら堪ったもんじゃない。
だけれど、彼女はあの男達に認められている。嫌がられても……。その訳たる姿が現れる。
「貴方達が着艦してからのスクランブル。まあ、警告ってところでしょうね。そうでなければ、貴方達が飛んでいる時点ですっとんで来ているわ。怒らせてしまったならば、一戦交える覚悟で来ていたはず」
だけれど、そうはならなかった。全て、彼女の思惑通り、そしてお見通し。
全てが彼女が言うとおりになっているように聞こえるものだから、それもそうだと英太も納得しそうになる。
「それに届け出には『開発機のテスト飛行。演習を含む』と堂々と出してやったわ」
「よろしいのですか? まだどのような機体か公式には発表していないのでは!?」
極秘を徹底し、絶対に知られないようにするはずと言う英太の予想を裏切っていて、驚かされる。
「いいのよ。『宣伝』もかねてやったのよ。こっちにはこのような新型を搭載しているとね」
『ワザと見せつけてやった』――。大胆に言い切ったミセスに、英太は開いた口がふさがらなくなる。侵犯どころか、向こうを誘っていたのだと。本当になんて大胆なんだと何も言えなくなってくる。
「うずうずしていたことでしょうね。侵犯だと言いがかりをつけてでも飛行中のホワイトを確認しに行くか。でも『とりあえず、形式通りに飛行計画は出ている』。簡単にいいがかりはつけられない。なので、均衡を踏まえ、警告飛行で甘んじる。まあ、そうせざる得なかったようね。それでも見たいと『東京急行』を気取って、こちらの上空に近づいてくるかもしれないけれど……」
甲板が静かになる。そして空も静かだった。先程、飛び立ったビーストームはどうなったのか。
その静けさの中で、彼女が『してやったり』とばかりに微笑んでいる。ミセス准将である時は、こんな時にやっと笑う人。
「嬢、ビーストームを確認した途端、撤退したそうだ」
「そう」
彼女は裏を駆使し、相手国と一人で駆け引きをしていたかのよう……。これが長沼中佐が言っていたことなのかと。でも……。
「ですが、それは『賭け』に近い……自分達パイロットの身を危険にさらす……」
「何が危険なの。その危険を身近に空を飛ぶのが空軍パイロットでしょうが」
強い口調だった。ミセスが真っ向からきっぱり言い放つ。彼女は決して自分は間違っていないとばかりに、まるで若いパイロットを胸を張って突き飛ばすかのような威圧を見せた。
「何を恐れているの。何を呑気なことを言っているの。命知らずの貴方らしからぬ言葉ね。いつも訓練では基地内の空では、あれだけの無茶を何度も犯しては研修期間を伸ばしてきたくせに。その割には随分と正当なことで『逃げた』ことを誤魔化すのね」
「誤魔化すなど……! 何度言いますが、訓練ではなく、侵犯一歩手前の……」
「航行で基地外の上空に出ることは、訓練であれテストであれ、その気持ちを持って飛ばねばならない。そうでしょう」
その通りだ。と、今度の英太は反論が出来なかった。
だけれどまだ、溜飲が下げられない。
「もし。あの時、俺が侵犯し、相手空軍の標的にされたら……准将は俺を」
「勿論、助けるわ。ただし、貴方には本当の『撃墜』をさせるでしょうね」
「スクランブルでは、どちらの国でも損害がないよう丸く収める。それが最善の結果。なのに貴女は、損害覚悟で演習をしたと」
そこまで問うて、やっと彼女が黙った。
「本当はそんな覚悟。准将こそなかったのでは」
まだ黙っている。
「もし、あのビーストームと向こうのスクランブル部隊が接触をし、ドッグファイになってしまったら……。貴女は自分が招いたこの事態で『相手の機体を撃ち落とせ』と言えるのですか」
やはり彼女は黙っていた。
言えない。それが彼女の返答に聞こえた。
隣ではフレディが『おい』と英太の袖を密かに引っ張るが、でも以前ほど口で止めようとしない。彼も正面切って言う度胸はないが、そこはいつも生意気三昧の英太にやや同調しているようだった。
そしてミセスを囲む幹部達もただ眺めている。
まるで英太とミセスの一対一の激突をただ見守っているように静かだ。
それならばと英太も遠慮はしない。
「がっかりです。結局、准将は女性ながらも技術力あるパイロットとして名が通っていただけで、『実戦的』には現場のパイロットのことなど何も考えていないと」
まだ彼女は黙っている。
だが英太の目だけは真っ直ぐに見てくれている。逸らすことなどない。だがそれが余計に恐ろしい気もする。
「部下は駒。そして自分の身代わりで飛ぶハウンド。甲板という安全な場所から、駆け引きをするだけで、目の前で冷や汗滲ませている本国パイロットも相手国のパイロットの損失など何も考えていない。貴女はそんな瀬戸際に追いつめられたことなどないんだ! だから……」
「おい。待て」
言いたいことを言い放っていると、やっとコリンズ大佐が割って入ってきた。
「小僧。言いたいことはそれだけか。つまり。今日の演習でギリギリに追いつめられたことに対しても、フレディを犠牲にしようとしたことにも、彼女の指示には従えないと言うのだな」
「そうでは。しかしこれからもこのようにされたのでは……」
「この馬鹿野郎!」
静かなミセスではなく、熱血漢と噂の大佐に吠えられ、英太はのけぞった。
「そもそも軍人たるものは、どのようなことであれ、指揮官の命令に従うことが絶対。しかも総監である彼女の命令に従えないのであれば、雷神のパイロットなど辞めてしまえばいい」
いや、それは――と、今度は英太がたじろぐ。
「己の信条に反していようが、納得できぬ指令であろうが、それを全うするのが軍人だ。以上に、軍たるもの、元を辿れば『戦争があることを想定し存在している』わけだ。ということは軍人たる者『殺人を想定している』。この『重み』があって当然の仮定で存在する。軍人は誰もがその覚悟をもっていなくてはいけない」
覚悟? 英太は片眉を吊り上げた。
「では、大佐や准将は、いままで何事もなく来たわけではなく、上官の命令で躊躇わずに侵犯をやってのけ、『人を殺したこともある』と言いたいのですか」
「いや、だからそうではなくてだな……っ」
口が減らない英太の切り返しに、どうしてかコリンズ大佐がどもりはじめる。
ほらみろ。危ないドッグファイは経験済みだろうが、自分達が現役だった時は無難に損害なく相手国との均衡を保つ努力をしてきただろうに。なのに甲板という安全地帯に降りてしまったら、そんな努力は忘れ、成果を出す為に危険というカードを平気で切る。それを英太は抗議しているのだが……。
「あるわ。殺したことがある」
突然、湧いてきたその言葉に、英太は固まる。そして、それはミセスの声だった。
「嬢、お前……」
「よろしいのよ、大佐。私を庇ってくださらなくても」
コリンズ大佐が先程、最後まで英太に言い切れなかったのは、ミセスの何かを庇ってということだったらしい。
だが英太は、いや、隣にいるフレディも。そして彼女の側にいた佐々木女史も目を見開いて硬直していた。それでもミセス准将は、先程と変わらずに英太を見据えている。
「私が貴方達ぐらいの年齢の時、どうして大佐嬢と呼ばれる地位についたか……聞いたことある?」
英太より先に、フレディが『いいえ』と首を振った。彼の方がショックが大きいようだった。
「そうよね。あるはずないわよね。もう随分と昔の任務。私はフライトでニアミスのドッグファイをしたことはあるけれど、撃墜をしたことはない。でもある任務でテロリストに囚われてしまったフロリダの特攻隊を解放する為に、当時任務総監責任者であった父に単独潜入を命ぜられ、テロリストを幾人かこの手で殺したわ。その任務の後、大佐に昇進できたのよ」
パイロットなのに。潜入任務? それが成功しての昇進だと? しかも彼女の父親の命令?
それだけでも絶句するしかなかった。
「違うんだ。あれは、この嬢がそれに至ったのは、『正当防衛』で――」
コリンズ大佐はミセス准将のイメージを維持しようと必死に弁明しようとしているのだが、ミセス自身はいつもの通りの表情を崩すことなく。
「正当防衛だろうがなんだろうが。殺したことには変わりない。四人よ。テロリスト四人。しかも最後に主犯格三人、私の手ではないけれど海野准将と仕掛けた作戦で討ち取ったわ。生きるか死ぬか、それしかない現場では血だけしか思い出せないほど凄惨なもの。忘れたことはないわね。この大佐が言うとおりに、軍人とは誰もがそれに遭遇する。その覚悟がいる。正義をどんなに唱えてもね、『綺麗事』ばかりでは済まない。それが軍人よ。貴方達もいつかは私と同じように『やる日』が来るかもしれない。危ないだのなんだの四の五の言っても構わないけれど、今日、味わった『恐怖』が実は『死ぬ、死なせる』ということが根底にあると知ったでしょう。それをその胸に。忘れないで欲しい。私はその為にこの甲板にいることも」
言い終え、彼女が黙ると、甲板がシンとしていた。
風の音と、艦が海原を進む音だけ――。
「それだけよ。本日は、これまで」
今度こそ、彼女が背を向ける。
いつものように冷めた横顔に固めたまま、彼女は何事もなかったように静かに去っていく。
「嘘だ」
そう呟いたのはフレディだった。
「飛行技術が優れ、女性でも海の男達からの人望があるから、大佐嬢と呼ばれる人になったと……」
憧れの女性パイロットは……。彼にとって『ミセス准将』とは、まさに綺麗事だけでのし上がってきた理想人だったのだと英太は思った。
しかしそれは英太も同じか。だが……。
「……えっとな。嬢に俺が教えたとか言うなよ」
バツが悪そうなコリンズ大佐が、『俺が言い出しっぺになってしまった』と舌打ち。
「ああやって『綺麗事で任務は出来ない。殺す殺されるは本当にある』とか言って、嬢ちゃんがつっぱっているけどな……」
彼女の親しげな兄貴といわんばかりの困り果てた顔で大佐が教えてくれたこと。
「あの嬢が女だてらに単独潜入を決したのは、その囚われた特攻隊の中に、システムを復旧させる任命をされた『サワムラ』がいたからなんだよ。まあ、いわば。『恋人を助けたくて必死になって』が真相だ」
「御園大佐もその任務に! それを助けたくて、テロリストをってことですか」
その話を聞いて、英太も驚く。そして隣のフレディもどこか救われたように落ち込んだ顔を上げた。
「そうだよ。なんでパイロットの嬢があんなことになったのか、俺だって側にいたのに訳が分からなかったが。気が付いたら、嬢が飛び出していった」
さらにコリンズ大佐の話では、空部隊としての任務を終えた帰りの輸送機で、共に乗っていたコリンズ大佐の目の前で、彼女がスカイダイビングをして飛び出していったとのエピソード。
それには英太も吃驚。そしてフレディも唖然としていた。
「確かにあれは無茶な手腕をふるう。だが、わかるだろ。何に対して必死か。お前達も……そんな嬢を見つけてやってくれ。そして『通じて』欲しいんだよ」
それは『信じてやってくれ』というコリンズ大佐の言葉だった。
Update/2009.8.25