-- 蒼い月の秘密 --

TOP | BACK | NEXT

 
 
6.殉職シミュレーション

 

 鈴木青年の飛行を見て、ミラーが突き動かされた衝動とそこから出てきた提案には、葉月とデイブも異論はなくすぐに賛成だった。それだけ……この三人で、あの暴れん坊を案じていると言うことなのだ。

「おい、ミセス。聞いていているのか!?」
「は、はい。聞いております、大佐」
「嘘だっ。君はどうしていつも他の者が真剣に話し合っている時に、一人だけ上の空なんだ!」

 今回はそれだけ真剣なだけに、ミラーも少しばかり神経が敏感になっている。だから葉月もちょっとのことですぐに説教されてしまったり。

「あははー。ブライアン、それは無理だって。嬢はずうっとこうだったんだから」

 デイブは流石、慣れっこになっているのか、同じ感覚の持ち主なのか、大らかに笑い飛ばすだけ。
 だが葉月はいつかのように、泥まみれで侵入してきたドラ猫のようにミラーに後ろ襟を掴まれる。そして容赦なく持ち上げられていた。

「お嬢ちゃん、俺を怒らすとどうなるか分かっているな」

 葉月は先程の、あまーいパフェの味を懐かしく思い出しながら、半泣き顔。

「お願いー。もう勘弁してー。ちゃんと把握しているし……。チェンジに乗って証明するから!」
「本当だろうなー。チェンジで当てずっぽうの飛行をしたら、ただじゃおかないぞ」
「そうだ、そうだ。嬢に三日ほど、奢ってもらおうぜ」

 それいいなーと、ミラーがにやっと笑った。

「なによ、なによ! 私をいったい誰だと思っているのよ!」

 この手を放してよーと、襟を掴まれているミラーの手を払いのけた。

「でもな。そうしてぼんやりしているのに、きちっと最後に収まっているのが嬢ちゃんなんだよな」

 デイブの呆れたため息。
 そしてミラーもどこか諦めのため息。

「だよな。俺も怒って損したことばかりだ。まったくこのお嬢様には何度、やられたことやら」

 そんな二人に葉月も言ってやる。

「お嬢様じゃないって言っているではないですか。もうおばさんなんだから。嬢とかお嬢とかお嬢ちゃんっていうのはやめてくださいませんか」

 だが二人が益々しらけた目線を――。

「澄ましたミセスでも――」
「――中身はちっとも変わっていない、サワムラもぶっ飛ぶじゃじゃ馬お嬢だもんな」

 そこで二人はどっと笑い出す。そしてブライアン=ミラーがなにやら「この前の、あれ……」とニタニタとした思い出し笑い。なにかが通じたようにデイブも「あれなー」と、二人の男が息を合わせたようにまた大笑い。「あれってなによ」と、葉月だけ眉をひそめて置いてけぼり状態だ。
 そこでミラーが葉月をちょっと優しく見つめてきたので、何事かと固まった。

「ホワイトは女性よ。恋人を抱くように操縦しなさい――」

 そこに来たかと、葉月は飛び上がる。
 そしてデイブも。

「頬に触れる時のやわらかい手つき、肌に触れる時の優しさ……彼女の髪を撫でる時の……」
「やめてーっ。今、ここで言うことでもないでしょー!」
「サワムラにそうしてもらっているんだなーって、俺は安心したぞ、嬢」
「ずっと愛されているんだねえ。准将嬢様は」

 もうなんなの、この兄貴達はと、結局は彼等の前ではずっと変わらぬお嬢に逆戻りになる葉月。そして二人の先輩パイロットはそうしてお嬢に振り回されている日頃の仕返しをして、楽しんでいるのだ。 

 このお兄様方だけは、いつまで経っても敵わないのかもしれないと、葉月はここでも項垂れた――。

「さて。冗談はここまでにして、明日は時間内で成功するように、最後の打ち合わせだ」
「オーライ、ブライアン」
「オーライ、ミラー大佐」

 明日、三人はチェンジに乗り『ある日のスクランブル』を再現する。
 十年前、ブライアン=ミラーが窮地に陥った不明機との接触。

 その時、葉月は彼の戦いをこの目で確かめることも出来ない空母管制室でレーダーを眺めているだけだった。

 一対二のドッグファイ。演習じゃない。実際にあったスクランブルとドッグファイ。
 ミラーの記憶を頼りに、葉月とデイブが敵機を演ずる。

 そのデーターを、現役のパイロット達の為に遺しておくことにしたのだ。
 そしてそのきっかけは、やはりあの無茶な青年――。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 自分が何をしたのか解っているのだろうな!

 今日もまたその一言が英太に飛んできた。
 その時には必ず目の前に、目くじらを立てている御園大佐がいる。

「解っています。もうしません!」
「嘘だ。お前はまたやるに決まっている」

 かなり信用を無くしたようだ。
 勝手な独断テスト飛行をしてから数日。初日からレッドカードを出されてしまい、英太は甲板から退場状態。何日経っても御園大佐は許してくれなかった。
 その罰が……その罰が……。英太は目の前に差し出されたテスト用紙を眺めて、泣きそうになった。

「今日のテストはこれだ。答合わせをした後、間違った問題のレポートをまとめ明日の朝……」

 御園大佐が英太が座る机に置いたテストやらは『世界史』。
 英太が一番苦手としているところだ。世界のことなんかどーでもいい英太にとって本当にどーでもいい問題ばかり。だが御園大佐はしつこくこの高校生並みのテストをさせる。
 なんでもここの高等訓練生が中間やら期末テストやらで出されたものと同じものを、訓練校から借りてきて英太に出しているらしい。

「世界史、昨日もやったし……」
「軍人たるもの、世界の歴史ぐらい覚えておかねば、お前みたいな歴史無知のパイロットが出来上がるんだ」

 歴史があってもなくてもパイロットには関係ないだろうーっと叫びたいところだが、御園大佐はこれまでの大らかさを一切見せなくなってしまった。言うことも今まで以上にキツイ。それだけ『怒っている』ということらしい。

「今まで世界で何が繰り返され、何を判断してきたか。歴史上の人物のその判断がなにを生んだか。それを知るのも判断力を養うひとつの学び方だ」

 ――このテストで叩き込んでおけ!

 御園大佐はここ数日、本当に手厳しい。
 今まで、英太の粗暴さに手を焼いてきた上官も結構いた。だがそれは英太の意志がかなり強固であった為で、そして英太はその自分の意志の強さで上官達に訴えてきたのだと思う。だがこの御園大佐は本当に強敵だった。とにかくこの人もかなり『頑固』ということだ。英太が喚こうが抗議しようが『それがどうした若僧』といわんばかりの強固さを見せるつける。またその忍耐強さに持久力に、英太もへとへとになりそうなほどだった。
 英太をここまでに追い込むほどに、現代国語の文学作品を読み解く問題や、日本史、世界史、そんな文系のテストばかりやらされた。

「だいたいに。お前はそうして物事の向こう側を見ようという気持ちがないのか?」
「それなりに見ているつもりっすよ!」
「俺も文系は苦手だ。数字の方がすっきりする。だけれどな、お前はそこだけに逃げ込んでいる!」

 そんな御園大佐の指摘に、英太は固まった。
 そんなこと初めて言われた気がした? 別に文系理系などと思ったことはないが、それ以外の生活でなんとなく思い当たる節がなきにしもあらず? そんなふうに、最後にはハッとさせられて御園大佐の言うがままに丸め込まれている数日だった。

「今日のこれが出来たら、明日からチェンジに乗せてやる」
「……チェンジって。俺はまたいつ甲板に?」

 もう反省ばっちりだから、早く甲板に!
 流石の英太も、御園大佐に泣きつきたくなってくる状態だった。
 だが御園大佐はそこでやっと、いつもの余裕の笑みを見せてくれた。

「さあな。航行まであと半月か。間に合うかねえ」
「ちゃんと大佐の指示に従うし、准将の迷惑にならないようにします!」

 と言う気持ちに嘘はない。
 ただ空に出ると自分でもあんなふうに訳が分からなくなってしまうほど、自分をコントロールできないことはある。それを解っているのだが……。
 しかし御園大佐は、少し呆れたため息を疲れたように落とし、持っていたテキストを教壇で束ねながら言った。

「いいや。お前はまたやるよ」
「だから……」

 そして御園大佐は小さく言った。

「反省しているなら良い。だが、小さくなる必要はない」

 え?

 最後、小さく聞こえた一言をもう一度言って欲しいと英太は御園大佐をすがるように見つめたのだが。それを『聞き返すな』とばかりに、御園大佐に視線を逸らされてしまった。

「そこで本を読んでいるから、テストを始めろ。時間は五十分。それが終わったら答合わせだ。いいな。今はとにかくそれをやれ」

 また。ここ最近のかなり怒っている顔を見せ、御園大佐はテキストを小脇に、教壇の下に用意しているパイプ椅子に座ってしまう。
 もう仕方がない――。この状況を打破するには、いま用意されたことをするしかない。英太ももう諦めて、訓練高等生がやっているという用紙に向かった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 御園大佐のお怒りとお説教の日々を乗り越え、英太はやっと講義室から解放される。

「今日からチェンジに復帰するが、いつもの演習シミュレーションとはちょっと違うことをするからな」
「ちょっと違うこと、ですか?」

 まだ不機嫌なのか、御園大佐は答えてくれず、ただ背を向けるだけ。
 日頃、大らかな人を怒らせると、やっかいなんだって。やっと分かったと、英太も散々な思いだった。

 御園大佐はそのままいつものIDカードをシミュレーション室の入り口に差し込む。
 ドアが開き通路を歩く。すぐ目の前にある扉を開ければチェンジが並んでいる室内になる。その扉を開けながら大佐が言った。

「今日はあるデーターに搭乗してもらう」
「あるデーターに?」
「本日のご指導は、ミラー大佐だ」

 その言葉にはっとした英太が見たのは、チェンジ側に既に並んでいる三人の上官。
 今、御園大佐が言ったミラー大佐。そしてどうしてかミセス准将の葉月と、コリンズ大佐がいた。まるであの日の、英太が無理を言った限定研修の時のように。

「どうして」

 すると御園大佐が少しばかり英太に悪戯めいた微笑みを見せたのだ。
 先程までかなりの仏頂面で数日間怒り続けていた人が、急に笑うのは非常に不気味だった。

「この前はお前が我が儘を言ってあの三人を動かしてしまった。今度は逆だ。あのお三方が『パイロット達』を動かしている。今日は、お前の番が回ってきたってこと」
「俺の番?」
「だから文句なしだ。空部隊のお三方がわざわざやり出したこと。有り難くご指導を受けるんだな」

 そこも御園大佐はどうしてかとても不服そうに機嫌が悪くなる。
 そのまま英太は、空部隊の要と言われているスリートップ三人の目の前に差し出されていた。

「先日は大変ご迷惑をおかけしました。鈴木をお連れしましたよ」
「ご苦労。御園大佐。では早速、彼を借りるよ」

 甲板で迷惑をかけたパイロットの責任者故か、御園大佐はとても腰を低くしていた。
 そしてミラーは英太を見るやいなや、『お前、来い』とかなり威圧的な視線で英太を指示する。

 ミラー大佐の指導とはなんだろうか。
 それにミラー大佐についていくのだが、ミセスとコリンズ大佐は黙ったまま見送るだけ。チェンジに乗る気はないようだった。

 英太がミラー大佐に連れて行かれたのは『チェンジ二号機』。先日、葉月と一緒に乗った二人乗りのシミュレーション機だ。

(まさか。このミラー大佐と?)

 えーなんか、この冷たそうな人とこんな狭い空間に押し込めれるだなんて嫌だなと、眉をひそめてしまった。

「よう。大尉。また会ったな」
「澤村副社長――」

 また二号機には、紺色のスタッフジャンパー姿の副社長がドライバーを持って笑っていた。

「ミラー大佐、座席調整ばっちり。コックピットで操縦準備が整ったら合図を下さい。データーを始動させます」
「サンキュー、和人」

 あのミラーがほんの少し微笑みかけると、澤村副社長は英太に向かって『グッドラック』のサインを残して行ってしまった。

「さあ、今日はお前が上。そして俺が下のコックピットだ」

 葉月の時と逆の位置に座るように促される。
 きっと口答えも許されないだろうし、英太もなにやら興味が湧いてきたので黙って従った。
 ミラーが下のシートに腰をかけ、ゴーグルを頭にセットする。英太も上のシートに座りベルトで身体を固定すると、追うようにゴーグルをセットした。

 下で準備が済んだミラーが『和人、OKだ』とヘッドホンに声をかける。
 いつものように室内が暗くなり、暫くすると青空の映像が浮かび上がり、コックピットは明るくなる。

「操縦桿を握っておけ」
「今日はもしかして俺が操縦できるのですか?」

 この前は、上のシートに座った葉月が操縦桿の主導権を握っていた。そう思って英太は手元の操縦桿を動かしてみたのだが――動かなかった。

「あれ?」
「今日はお前のも、俺のここにある操縦桿も動かない。ただ激しくシートが回るから覚悟しろ」
「どういうことですか?」

『始まりますよ。二号機、動きます』

 副社長の掛け声で、チェンジのシートがガタンと動き始める。
 だがコックピットに映し出された景色は、空母のカタパルトからではなかった。しかもいきなりレーダーがぴーぴーと鳴り始める。何事かと英太がレーダーを確かめると、どこからともなく既に二機がこちらに向かってきている。

 操縦桿は動かない。自分のも、ミラー大佐のも。

「な、なんの訓練ですか!」

 シミュレーションと分かっていても、ここで二機が迫ってくること自体、パイロットにとっては危機感を募らせるもの。

「黙って乗っていろ。今日は『ある日のスクランブル』を再現したデーターを体感してもらう。操縦はその時のパイロット任せ。さあ、そのパイロットは領空を侵した二機を目の前に生きて帰れたか、殉職したか。本当にあったドッグファイだ。それを操縦桿と身体ごと体験してもらう」

 実際にあったスクランブルのドッグファイ?

 つまり副社長が投入したデーターの言うがままにチェンジが動くだけ。
 それを英太は今から、ミラーと一緒に体感すると言うことらしい。

 だが二機はかなり接近してきた。

「味方は――」
「いない。この機、一機だった」

 なんだってと英太は目を見張る。

 そんな驚きの中、コックピットのシートがぐるんと回転を始めた!
 かなりの揺さぶり。いや、これぐらいの操縦をしないと、挟み撃ちにされた二機から逃れることは出来ない。
 右からも左からもすぐ側をぶんぶんと二機が集るハエのようにまとわりついている。

「どうして撃墜しない!」

 これだけ側に近づいてきたなら、とっくの前にロックオンで撃墜できているはずだ。

「馬鹿者。敵機は日本の領空に入ってきているんだ。ここで日本の機体を撃墜すれば、それは侵略を意味する。そんな馬鹿はやらない。たとえ、領空を割ってきてもな」
「だったら、何故――」
「防衛パイロットなら、ここでこそよく考えろ。派手な飛行しかできない若僧は無理そうだがねえ」

 そんな口悪が飛んできて、英太はムッとしたくなったが、今はそれどころじゃない。
 ミラー大佐の言うところを必死に考えた。嫌だ、いくらシミュレーションでも、『殉職パイロットのある日の最期の飛行』を経験させられるだなんて嫌だ! だから必死に考えた。

 なのにこんな時に何故か、ここ数日、うんうん唸りながら覚えた世界史を思い出していた。
 ああ、トラトラトラ。パールハーバー? そんな言葉がぐるぐると回る。シートも回る。操縦桿も忙しく動く。それにしてもなんて不規則に動く操縦桿か――。それだけ切羽詰まっていることが通じてくる。いったいどんなパイロットがこんな危機迫った操縦を。そう、きっと訓練では冷静に決まった操縦をしていただろうパイロット。このデーターのパイロットに限らず、きっと誰もが、英太も。実際のドッグファイに遭遇したならば、訓練の時に頭で判断して操縦しているのとは訳が違うはず。今、英太が握っている操縦桿はまさにそれを物語っていた。

(こんなにガクガク動かして――)

 見透かしたようにミラーが言う。

「本番では、どう動かせばいいだなんて余裕はない。それこそ日頃の訓練で培ったものが咄嗟に出る。まあ、そこのところ、鈴木は上手そうだな。だが、まだ先程の判断が出来ていない」

 英太はくっと唸る。
 俺があの敵機なら、ここでロックオン、撃墜している。だがシミュレーションの二機はただ煽っているだけで、攻撃してくる気配はない。ただロックオンをされそうになる――。それを繰り返してこちらを脅している?

「まだ分からないのか。レーダーを見ろ」

 言われたとおりにレーダーを見て、やっと気がついた。

「あっちの領空に連れて行かれる!?」
「やっとわかったか。二機の目的はそれだ。この日本国機を自国へ押し込み、日本国機が領空を侵したから撃墜した――。その事実を作りたい作戦だ」

 ――何故! そんな回りくどいこと!?

 だが英太はそこで、御園大佐がいろいろと講義をしてきた中で世界史ではなく『近代社会』で起きたある事件を思い出していた。
 ある国の戦闘機がスクランブルの際に撃墜されたことが大々的に新聞に載ったという自分が生まれる前の新聞記事。それを御園大佐が見せてくれ――。

「まさか。領空を侵した国を責めるため?」
「そうだ。自国内での撃墜はいわゆる『正当防衛』とされる。空でどのような駆け引きがあっても、あちらの狙った作戦でも『結果』なんだよ、なにもかも。そこまでパイロットにやらせる国家の駆け引きがあったということだよ。相手国に落ち度を作らせるんだ」
「そんな――」
「忘れるな。俺たちはそんな駒だってことを。相手のパイロットもだ。国家命令で動いている。無闇にロックオンをして撃墜すれば良いというわけではない」

 でもそれでは俺たち、自分達を守れない。
 データーで動くコックピットはありとあらゆる回転と操縦を駆使し、なんとかすり抜けているがそれでもパイロットにしてみれば、瀕死の状態だ。
 この時のパイロットはたった一人――。どんな思いで?

「鈴木。お前、今、何歳だ」

 いきなりなんだと英太は思いつつも

「二十五です」
「このドッグファイの時、ミセスはこの機を管理している空母艦の管制室にいた。今、なにも判断できなかったお前と違って、今のお前と同じ年頃だった彼女は的確な判断を下していたぞ」

 なんだってと、英太は目を見開いた。

「彼女もお前ぐらいの年齢だったが、艦長不在の管制室で、大佐として毅然とした判断で『この俺』を守ろうとしてくれた」
「こ、これはミラー大佐の……ドッグファイ!?」

 シートがガタガタと右へ左へと揺さぶられている中、ミラーはいつもの冷たい声で『そうだ』と答えてくれる。
 英太は益々驚愕した。では、この危機に陥っている機体は現役時代のミラーのもので、そして、その向こうの管制には、今よりもっと若かった二十代のミセスがいたのかと!

「俺も、彼女には絶対に責任がかからないようにと、だから、『反撃』はしなかった。だが、彼女は言った。――パイロットはそんなことは考えなくていい。帰ってくることだけを考えろ。貴方達の『迷い』、『躊躇い』、『戸惑い』──それらは全て司令官である『私がすべて引き受ける』べきものだと言い切り、俺に反撃の一声をあげようとしてくれていた。俺が国内で撃墜すれば俺は助かっただろうが、国は国家レベルでの国際情勢的ダメージを負い彼女は反撃命令の責任を負い、軍人としてここにはいなかったかもしれない」

 やがてレーダーに数機の点が出現した。

「ギリギリで湾岸部隊の応援が来てくれ、俺は危機一髪、助かった。敵機が諦め自国へ引き上げてくれた」

 そこで飛行が水平に戻った。
 コックピットの外で味方の機体が数機、在りし日のミラー機を飛び抜かして前方へと消えていく――。
 そこでシミュレーションが止まった。

「これで終わりだ。このデーターは、俺の記憶を頼りに、敵機はミセスとコリンズ大佐にチェンジの一号機と三号機に乗ってもらって再現したものだ。雷神のパイロットにも既に講義済み」

 この危機感迫るデーターを、シミュレーションとはいえ、ここまでリアルに再現した?
 敵機を演じたのは、これまたあの二人だと知って、その的確さに驚かされた。

(やはりこの人達、すごく飛び慣れている)

 どのようにも飛べると言うことだ。

「まあ、和人のデーター変換もお見事と言うべきだろう。まさか、記憶にしかない戦闘がこのように残せるとはたいしたものだ」

 それもごもっともだと英太は思う。
 このチェンジに出会ってから、英太は訓練だけでは決して得られない驚きや刺激に出会ってばかりだから。

 額に汗を浮かべていた。
 コックピットの明かりが落ち、ミラーがシートベルを解いたので、英太も同じように解除した。
 シートから降り、光が差し込んできたシミュレーション室内。ミラーが扉を開け、先に出て行こうとしていたが、そこでなにかふと思いついたように呟いた。

「……彼女は、俺の一番の戦友だ。俺はこの時を忘れたことはない」

 肩越しにちらりと見せられた冷たい目線。
 それが英太になにかを言いたそうにじっと見ている。
 だが……英太には今はなにがなんだか、驚きばかりで心の整理がままならない。

「世界と、上官と、パイロット。繋がっている。忘れるな」

 そこで英太はやっと解ってきた気がする。
 つまり『自分の気持ちだけで飛ぶな』ということらしい。
 それには何か思うものが生まれてきたのは否めなかった。

 これでミラー大佐直々のご指導は終わりということらしい。
 英太はそのまま御園大佐の元に返される。

「どうだった」
「いえ……凄く、リアルでした」

 率直な感想に、今日の今まで怒っていた御園大佐がやっと良く知っている大らかな微笑みを見せてくれた。

「航行に行くんだ。忘れるな。丁度良い機会だったと思う」

 だからか。だからここ数日、どの国でどのような事件があったかを講義していたのかと思った。
 ミラーのこの指導があることを分かっていた大佐は、そこを思って、英太に世界情勢の講義をしてこのドッグファイとリンクさせようとしていたのだと。

「では、ご指導有り難うございました」

 御園大佐が、トップ三人に頭を下げたので、英太も伴って頭を下げる。
 顔を上げると、そこにはいつものように淡々としている様子のミセスが英太を見ていた。
 数日ぶりに彼女に会い、そのうえ目が合ったので、英太は少しばかりドキリとしたのだが――。

「御園大佐、もういいわよ。明日から大尉を甲板に戻して」
「よろしいのですか?」

 御園大佐は心外だったようだし、英太もまさかミセス直々のお許しがでるとは思わなくて驚いた。
 だがミセスはいつもの冷めた表情のまま、それでも英太の目をしっかりと見て言った。

「見れば分かるわ」

 分かったとは何が分かったのか?
 だが英太にもなんとなく通じるものがある。

「それだけよ。早くホワイトを乗りこなしなさい」
「イエスマム。ミセス」

 ミラー大佐とコリンズ大佐を伴って去っていこうとするミセスに、英太は敬礼をする。

 英太は去っていく彼女の背を見て思う。
 あの人は、俺ぐらいの歳の時に、すでにあんな重いものを背負っていたのかと。
 あの人は、どうやって生きてきたのだろうかと。益々募っていくそんな衝動。

 

 

 

Update/2008.10.22
TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2008 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.