55.送別会
「ただいま」
隼人が講義をしてランチをとって帰ってくると葉月が一人で雑務をしていた。
「お帰りなさい。どうだった?」
心なしか…葉月の目が赤いように感じた。
「何かあったの?」
すると葉月はハッとしたように目元を押さえて…
「うん。久々に康夫とやり合っちゃって興奮したの」
と、力無く微笑んだ。
「側近のことで?そんなに責められた!?」
何も泣かす程、責めなくてもいいだろう??と隼人はちょっとムッとした。
しかも隼人がいない間に、女の彼女を総攻撃したのか!!と。
「ううん。側近の事じゃなくていつもの他愛もないこと。
康夫ったら…長い付き合いかさにしてなんでもずけずけ言うから…
私もエキサイトしちゃって…ほら…もう帰るでしょう?
これからの事とかいろいろ…意見がすれ違ったらいつもこんなよ」
葉月はそう言うが…『これからの事』話したならやっぱり隼人の側近抜きが
失敗に終わったことを責めたに違いないと思った。
「康夫は…本当に私のこと考えてくれる『友達』よ。言い合ったらすっきりした♪」
葉月がそう言って…清々しく微笑むので隼人はもう二人のことと納得することにした。
隼人はテキストをおいて席に着き…ノートパソコンを広げて自分も雑務に入る。
「生徒達。張りきっていたよ。来週は…空母艦だ。お嬢さんにも見て欲しかったって言ってる。」
「ほんと?残念。私もあの子達の手で飛びたかったな」
「奴らもそう言っているよ。いつかきっと『島』に仕事で行って中佐を飛ばすんだって」
「そうなったらいいわね♪楽しみにしているわ」
「うん。俺もいくからね」
二人で微笑み合ってお互いに手元に集中した。
隼人も作業に入ったら周りは気にならずかなり集中する方だが…
なんだか葉月の勢いが今日は目に付く。
とにかく。脇目もふらずにバリバリ…と言う感じで…。
二時間経っても手元が休むことがなかった。
「すごいね…。そろそろ中休みだけど…行かないの?」
「あ…。うん。お構いなく」
「ランチ…とった??」
「え?ええ。」
葉月が嘘をついているとすぐに解った。そんな表情まで読みとれるようになったのだ。
「なんでそんなに慌てているの?まだ、書類提出まで日があるだろう??」
三日間。一日中やっていれば終わること。まだ月曜日。今週は始まったばかりだ。
いくら今週末、帰国するといってもまだ充分ゆっくりやって間に合うはず。
しかし葉月の勢いは『今すぐ提出』と言う勢いだった。
そんなにされると、今すぐにでも葉月がいなくなりそうで隼人は落ち着かなかった。
そして、隼人はメモ紙を一枚破る。
それに書き込んで…葉月がいるソファーへと向かい彼女の向かい側に腰をかけた。
そしてそっと葉月の手元に差し出す。
「なぁに?これ」
葉月もそっと手にとって開いてみる。
「俺の…住所・電話番号。それから…メールアドレス。お嬢さん…パソコン持っている?」
葉月はビックリして隼人を見上げる。
「持っているけど…。私はワープロ程度にしか使っていなくて…甥っ子はよく使っているけど」
「メアド持っているなら一応教えてくれる?」
すると葉月もメモ紙を一枚破って書き始めた。そして隼人に差し出す。
「私の住所・電話番号。メアドも…仕事用だけど。」
隼人もニッコリ感激して開いてみる。しかし…住所の最後にふとビックリした。
「『レイチェル・ヒルズ』?レイチェルってお祖母さんの名前じゃなかった??」
「あ…そうなの。実はお祖父様が建てたマンションに住んでいるの」
葉月が誤魔化し笑いを立てた。『令嬢』の一部を証したのが恥ずかしいらしい。
「みんなは『丘のマンション』って呼んでいるわ。本当に丘の上に建っているの。
小さなマンションなの。戸数は少ないし。でもね。島は『高齢者』が多いから…。
バリアフリーにしてあって。住人も島のお年寄りが殆どなの。」
「…って?お嬢さんがオーナーとか言わないよな???」
すると隼人の勘の良さに葉月がうつむいてしまった。どうやら図星らしい…。
隼人は絶句したが…。今までだって葉月がすごい贅沢をしているのは見たことがなかった。
強いて言えば着ている洋服と持っていたバッグが良いもの…と言うだけ。
そんなのは他の女性達が同じようにしている程度だ。
だから…気にはしないが改めて彼女が『資産家軍人の一人娘』と言うのを知ったように感じた。
「えっと。クリスマスには…こっちの綺麗なカード送るよ」
隼人がそっと話を逸らすと葉月もニッコリ微笑んでくれた。
「じゃぁ。私は年賀状」
「年賀状か…懐かしい響きだ」
二人はお互いの住所を眺めて笑い合った。
「生徒達が幹事をやるって…送別会のことで張りきっていたよ。
ジャンの所にまでやってきていろいろ聞いていくってさ。」
「ママンとおじ様も張りきっていたわ。楽しみ♪」
「俺も。ママンの手料理美味いからな♪」
お互いにクスクス微笑んだ。こんな時間が惜しいくらい…もう別れはそこに来ている。
「カルボナーラ…美味しかったわ。あの日はごめんなさい」
「いいや、しようがないよ。お嬢さんだって悩んだのだから。
それより…何か食べないと。一緒にカフェに行く?」
隼人の誘いに葉月もウンと笑顔で頷いた。
「じゃぁ。ちょっとお手洗い行って来る」
『行ってらっしゃい』
隼人は葉月を見送って…そっと書類を手に取ってみた。
(!?半分も終わっている??)
今日半日で…。こんなに仕上げてどうするつもりだろうか???と隼人は首をかしげた。
そうして…葉月はこの勢いでこの二日ずっと書類作成に意気込んでいた。
隼人が中佐室に帰ってきては出掛けるときと同じ姿勢でいるのだ。
「なぁ。彼女食事行っていた?」
中佐室の入り口にデスクを持っている金髪の大尉に聞いてみた。
「そう言えば…行ってなかった気がしますけど…さすがですね〜。仕事への意気込み」
隼人は葉月にはなんでも『すごい・すごい』の彼に苦笑い。
ちっとはおかしいって思えよな…と思ってしまった。
しかし、そんな葉月を見ている康夫も一言も口を挟まなかった。
そして…水曜日の夕方。
「康夫。これにサインくれる?」
葉月がとうとう書類の束を康夫に提出した。
「もう?出来たのか???」
康夫は葉月が余程、甥を心配しているという勢いが解って驚きつつもその書類を受け取った。
「解ったよ。一応目を通しておく」
康夫は受け取ると自分の仕事を放ってまでその書類を優先に目を通し始めた。
隼人は康夫も急いでいるようでいぶかしんだ。
「今日は送別会だな」
康夫が目を通しながら囁いた。
「そうね…」
「ま。良かったじゃないか。見送ってもらえてさ。」
心なしか康夫が寂しそうに笑っているように隼人には見えた。
「雪江さんも来る?」
「ああ。もちろん。ここのところお前が忙しそうでちっとも顔が見れないってぼやいているぜ。」
「そう…」
二人の会話がなんだか切々とした声で隼人までしんみりしてしまうではないか…。
やはり…葉月はいなくなる…。
風が…台風が去ってしまった後…。この中佐室はどうなるのだろう??
隼人はやっぱり…しばらくは寂しいだろうなと…いつになく感傷的になってしまった。
「ボンソワール!!ママン!!」
「おや!!早速来たね♪今日は今夜のために朝から店閉めたんだよ!あんた達も手伝いな!!」
夕方になって顔を出した研修生にママンは張りきって『送別会』の準備の手伝いを言いつける。
研修生達も張りきってママンと共にテーブルセッティングを始めた。
「所で主役はどうしたんだい??」
ママンはいつもなら帰ってくる時間なのに葉月が帰ってこないので掛け時計を見上げた。
「フジナミ隊長とまだ仕事が残っているって…。でも時間には絶対来るって言ってたけどな?」
「まぁ。ここが今はあのこの帰る場所だから遅れてもやってくるだろうさ」
賑やかになり始めたレストランにフロントから親父さんがひょっこり顔を出してそう言った。
「親父さん!!中佐は何階に泊まっているの???」
「ばかもの。軽々しく教えるか!!」
『ちぇ!!』
ガードがキツイ親父さんに研修生達はふてくされたがそれは冗談で
研修生達は意気揚々とオードブルを並べ始めた。
「確か…7時からだったね。そろそろ仕込みを仕上げようかねぇ。」
ママンはいそいそとエプロンで手を拭きながら厨房に入っていった。
研修生達ががやがや準備をしているうちに先輩のメンテチームと
パイロットチーム員がちらほらと集まりだした。
7時が近くなって雪江が制服のままやってくる。
「あれ??ウチの旦那は??」
「まだ。仕事してましたよ。中佐と仲良く♪」
「あっそ。そんなこといって煽っても無駄よ♪」
雪江の余裕に研修生達はまた『ちぇ!』とふてくされた。
しかし雪江には解っていた。葉月が真一のために早急に仕事を切り上げようとしていることを。
雪江も心の中で祈っていた。
(シンちゃんに…まだ知られません様に…)と。
あの愛らしい少年が母の死を知るにはまだ酷すぎる…そう思った。
葉月の鬼気せまるここ数日の仕事ぶりは夫から聞かされていた。
それと同時に…
「ボンソワール♪お!集まっているなぁ」
「教官!!遅い!!!」 研修生達は夜空になってからギリギリにやってきた隼人にむくれていた。
ジャンが既に来ていたので隼人はジャンの所にすぐに寄っていった。
そして…。
雪江はそっと隼人とを引っぱり出した。
『どうだった???』
『あ…ウン。ちゃんと買ってきた』
『頑張ってね!!!』
それだけ言って離れると隼人が照れてうつむいていたので雪江はクスリと笑ってしまった。
それにしても…二人が出した結果には納得いかない腑に落ちない気持ちが雪江にはあった。
それでも…夫から聞いた葉月の『ためらい』には何にも言えない。
同性として、なんだか身につまされる葉月の思いに雪江はまたため息をこぼした。
「ただいま♪ママン」
「おっす!!おおお!!ご馳走だ♪」
『おかえり!!葉月!!』 ママンと親父さんが揃って出迎える。
『ようこそ!!中佐♪』 研修生達が揃って声を上げた。
主役と隊長がやっと来て自然とレストランは盛り上がった。
いつの間にか立食のパーティが始まって、この二ヶ月間の話題に花が咲く。
ジャンのメンテチームは『デビュー実施』の事に力が入り、
康夫のパイロットチームは『アクロバット訓練』の事で葉月を捕まえる。
研修生達は『空母艦』に早速乗り込む喜び…そしてこれからの目標をしきりに葉月に伝えていた。
その間…いつも側に一緒にいた隼人は壁際でそっとワインをすすって
そんな葉月をジッと見守っていた。
「よう。壁際の色男」 ジャンがそっと寄ってくる。
「なんだよ。」
「今日は側にはいないのか?そりゃそうだよな。いつもずっと側にいたんだからな」
「まあね。でも…見ろよ。今のこの賑やかさ。彼女が勝ち得た賜だよ。」
隼人はそうしていつの間にか中心にいる葉月が誇らしくなった。
いつもは『人見知り』したり、冷たい表情を刻んでいる。
やってきたときは、研修生達とは見えない壁があって…
研修生達に変な質問をされたり…からかい半分に武道指導を頼まれたり
無理難題押しつけて研修生を驚かせたり…。
それでもいつの間にか彼女は『風』を運んで中心になって周りをまとめてしまっていた。
「彼女はもしかしたら…本当に『大物』かもな」
ジャンもグラスを傾けながら引っ張り凧の葉月を眺めて微笑んだ。
「静かになるよな…。彼女がいなくなったら。結構面白かったぜ。」
ジャンまでそう言う…。彼も心なしか寂しそうに見えた。
隼人も…『ウン』と微笑んで彼と一緒にこの賑やかさを見守り続けた。
そんなうちに宵もやってきて料理もすっかり空になった。
『よっし。つぎいくぞ〜〜』
康夫がほろ酔いでレストランでの『お開き』を告げた。
皆。葉月とは話し尽くした様子で満足していたが…
「中佐も行くでしょ??」と誘ってくる。
しかし…葉月は首を振った。実は…一人一人に勧められたワインを重ねているうちに
だいぶ酔ってしまい立っているのがやっとだった。
「ほっとけ!!男達だけでいくぞ〜〜!!研修生も来い!!俺のおごりだ!!」
康夫は酔った勢いでザッとチームメイトを引き連れて外に出ていってしまった。
「ほら!!何しているんだい!!レディとは充分話しただろう??
これ以上いい男は振り回しちゃいけないよ!!」
親父さんは葉月の側に寄って物足りなさそうな研修生達を追い払った。
「なにしているの〜〜。ウチの旦那滅多におごってくれないわよ〜〜♪」
雪江も研修生達をレストランから引っぱり出そうとした。
つまり…康夫と雪江の狙いは今からは隼人と葉月を二人きりにさせようって言う魂胆だった。
それが通じているかどうかは解らないがジャンまで…。
「じゃ。隊長のおごりにあやかるか♪」
『上手くやれよ』と隼人の肩を叩いてメンバーを引き連れて出ていってしまった。
まだ飲み足りない研修生達もまだ若さで騒ぎたいようで…
『中佐〜〜。まだ逢えるよね〜〜』と、一言残して『おごり』の方に傾いていったようだった。
隼人は葉月を眺めながらとりあえず皆に怪しまれないよう自転車を手にして帰る振りをした。
『教官は??』
「あ。俺は帰る。じゃな!!」
研修生や他のメンバーがレストランから退くまで隼人はそっと近くまで自転車を走らせる。
そろそろいいか??と言う時間が経ってもう一度レストランに戻った。
レストランは閉めてあり…ほんのり灯りだけがついていた。
そっとガラス窓を覗くとママンが祭りの後をいそいそと片づけていて。
葉月は窓際の席で親父さんに水が入ったコップを渡されてグッタリしているところだった。
窓ガラスを叩くと親父さんがビックリして…そして嬉しそうにドアの鍵を開けてくれた。
「やっぱり。心配で戻ってきてくれたんだね。そうこなくっちゃ♪」
「おや。やっぱり隼人だね。この子を上に連れていってくれよ」
ママンもさすがと言いながら隼人を迎え入れてくれた。
二人の期待顔がなんだか気にはなったが…。
葉月とは二人きりになって、話したいことがあったので言われるまま
隼人はグッタリしている葉月に声をかけた。
「お嬢さん?大丈夫??」
「う〜〜ん。わかんない。どうしてワインは後から来るの???やっぱり私は日本酒よ…」
かなりめいっているようだった。
日本語だったのでママンと親父さんは『なんだって??』と心配そうに隼人に尋ねてくる。
「うん。ワインは慣れてないみたい…」
二人はため息をついて葉月を無理に起こしあげる。
「連れていってくれよ。酔い覚ましにコーヒー持って行くから」
ママンに起こされ親父さんに支えられて葉月はやっと立ち上がった。
「う…ん。隼人さんは…行かなかったの?」
「テキスト…返そうと思って…」
隼人がそう言うと葉月はやっと自分であるきだした。
「コーヒーより…味噌汁とお茶漬けがいい」
「はいはい。日本だったら出してあげるから」
日本語だから良いものを…隼人は酔っぱらいの葉月に呆れて後を付いていった。