40.相談
隼人が、一人きりで雑務をすること15分。
康夫が、固い面持ちで帰ってきた。
「彼女。行ったのか?連隊長の所」
何気なく尋ねてみる…。康夫が慌てて追いかけていったのが気になった。
「まぁな。ちょっと“ご忠告”。アイツさ。親父さんも叔父さんも。おふくろさんも。
あげくの果てに、フランク中将にも目を掛けられていて、周りは豪華なお偉いさん揃い。
連隊長に呼ばれてもさ、これっぽちも怖じ気づかないからさ…。」
康夫はそう言うが、隼人は違うような気がした。
葉月は確かにお偉いさん方に顔が広いと思うが
礼儀知らずではないし、むしろ、お嬢さんとして甘えることを嫌っている。
そんな彼女に“忠告”なんてしなくても、キチンと分はわきまえるはずだ。
康夫が、思わず追いかけていったのには何か違う理由があるような気が
漠然と隼人の中にあった。
しかし、それ以上突っ込んだ所で彼が口を割るはずもないので
隼人はそこで作業に戻った。
そして、康夫も再び雑務に戻る。
そうしているウチに、定時の夕方がやってきた。
康夫が腕時計を目にした。
「彼女。遅いね」
隼人も腕時計を目にする。
すると。
「ただいま。」 葉月が帰ってきた。
帰ってきたが、取り立てて変わった様子は彼女からは見られなかった。
「すっかりお話が盛り上がっちゃって…。定時近くなったのに気が付いて
やっと、連隊長“お開き”にしたのよ」
葉月がニッコリ余裕げに笑うので、康夫がホッとしているのを隼人は確かめる。
(きっと。連隊長の方が彼女を離さなかったんだ)
隼人は、そう思った。葉月はそんな所がある。
一緒にいると時間を忘れさせてくれる──。それが仕事でも、プライベートでも。
隼人は、それをこの1ヶ月感じてきたから連隊長が華の女中佐との対談に
花が咲いてしまってこんな時間になってしまったのだと。
「さて、今日も終わりだなぁ」
ホッとした康夫が中佐席で伸びをした。時計は定時を指そうとしている。
隼人も、おもむろにデスク回りを片づけた。
「康夫?この後いい??」
葉月が中佐席の前に立って康夫を見下ろした。康夫も伸びを直して『??』と葉月を見上げる。
「ああ。いいけど?」
「じゃぁ。後でね」
葉月はそう言って応接ソファーがある自分の席へと戻っていった。
康夫はまだ、中佐業務をしているし、葉月は康夫と何か話があるので
そのままソファーのある席で残りの雑務を始める。
隼人1人が帰り支度が済んでしまった。
「あ、隼人兄はもういいぜ? お疲れさん」
康夫が手持ち無沙汰な隼人に気が付いてニッコリ帰宅を許可してくれる。
「お疲れ様。大尉」
葉月もニッコリ送り出そうとしてくれていた。
なんだか急にムッとしてしまう隼人は…。
『そ、お疲れさん』と、二人に冷たい視線を投げかけてドアの前に立ったが
二人とも自分の手元に集中していた。
隼人はそのまま中佐室をでる。
(何だよ。相談って何だったんだよ?康夫で済むことなら俺にいうなよ!)
などといきり立つ自分に気が付いて隼人はハッとして我に返る…。
(何だろう…俺)
ここのところの情緒不安定はここ数年感じたことのない感触だった。
人に何を言われようが無反応。人が何をしようが無反応。
それで『冷静』とかいわれてきた自分が違う人間になりつつあるように感じた。
それも…『葉月』とかいう若い小娘1人にかき乱されているようだった。
『相談』と言われて、待ちかまえていた自分がいたことに気が付いて
隼人は、自分の中で葉月が大きく存在し始めていることに不安を感じた。
(もう。早く帰ってくれ。俺の平和な日々が崩れてゆく)
彼女のせいにするわけじゃないがそう思わずにはいられなかった。
「そうか、連隊長がね──」
隼人が出はからったのを確かめて、康夫と葉月はソファーに腰を据えて向き合っていた。
「そうなの。優秀な教官っていうのは認めているって。
でもね。サワムラはもっと実力がある。私が望むなら手放してもいいって。
その代わりテコでも動かない頑固者だって事は心得て…って言われたわ。」
葉月は連隊長に『どのような心づもりか…』を問いただされたのだ。
勿論。『ためらい』は残っていたが、今更後にも引けない。
この研修の目的は、『側近抜き』
その為に、不安定な自分の中隊を残して二ヶ月もの研修に来ているのだ。
ここにきて、ただの『航空研修』で終わらせてしまっては
残してきた後輩達に中隊管理を任せてきたのに顔向けが出来ない。
義理兄は『男としてはよく考えろ』と言ってはいたが
『側近としてはやめておけ』とは言っていない。
仕事のことでも義理兄はそれは厳しい男で、葉月が甘いことをしていると
平気で殴りつけたりもする男だ。
義理兄が言いたいのは、『仕事なら、しっかりやり抜け』。そういう事だろうと思った。
だから、連隊長の問いには『引き抜きたい』と答えておいた。
連隊長はその意見には賛成してくれた。後は、隼人の意志だと…。
それと共に『何故、フランク中将は辞令で即刻転勤を命じないのか』とも聞かれた。
それには、葉月も口ごもった。だが、自分で解っていた。
それは、この気難しい女中佐のためだと。
葉月の側で仕事をするとなると、密着すればするほど『御園のタブー』
つまり、葉月のトラウマが関わってくる。
葉月の気むずかしさに後に退いた男の数は知れず。
『どうして、彼女はあんなに冷たく平静でロボットのようなんだ』
そう囁く男が、本部の部下にも沢山いる。
遠野はそのじゃじゃ馬の乗りこなしに成功した上司だったし
達也は、じゃじゃ馬をサポートできる優秀な側近だった。
その上を行った男ですら葉月とは今もって一緒にいられなかったのだ。
だから、今更。どんな男を側に置いたって長続きしない。ロイはそう思っているから
『お見合い』の様な『側近抜き』を葉月に課したのだ。
連隊長にそのトラウマに関わる葉月の状態は語れなかったが
『じゃじゃ馬ですから…。逃げない男を捜しています』ととぼけておいた。
連隊長は勿論。そんな葉月の冗談に大笑いして、そこでいろんな話に花が咲いてしまったのだ。
葉月の事情を知っている康夫には、正直に報告をした。
しかし、義理兄が植え付けていった『ためらい』は一人胸の奥にしまっておいた。
「そうか。連隊長はOKだったか」
康夫はホッとしたように微笑んだ。
「後はお前の腕次第だな。どう隼人兄を口説くんだよ」
「自信ないわ。」
隼人の家庭事情を聞いてしまって『ためらい』はより一層深まっていた。
しかし、ギブアップをしたわけではない。
おいてきた後輩達のことを考え、遠野亡き後の中隊のことを考えると
『じゃぁ。次の側近候補を待つ』と言う答えを出すのは最悪の結果である。
とにかく、葉月に少しでも隼人がいいという意志があるなら努力はしなくてはならないのだ。
「そう言うなよ。俺から見ても。最初の雰囲気よりずっと予想外の展開してるぜ?二人とも」
康夫は相変わらず、先へと葉月を後押しする。
「お前がためらっているのは何だ?」
『ためらい』の一言が出て、葉月はドキリと顔を上げて康夫を見つめた。
彼には、やはり自分の様子は見向かれていると…。
「お前のためらいは“恋”か?」
それにももっとビックリした。そこは全面的に否定できなかった。
葉月は、義理兄に見抜かれたように隼人には『好意以上』の感情が芽生えていたからだ。
「だったら、その気持ちに素直になれ。お前が今までたくさん傷ついてきたのは解っている。
だがな、それを気にしていたっていつかはお前だって一生を共にするパートナーが必要だろう?
それとも?お前はもう誰も愛したくないのか??
お前は達也に何を教わったんだ。お前は俺のダチから“恋”とか“愛”とかそういうものを、
しっかり受け取ったと思っているぜ?“あんな事さえ”なければ達也だってお前だって
今頃は…結婚して…」
康夫の歯切れが悪くなり。彼は急にうつむいて黙りこくってしまった。
葉月もその事については思い出したくなく、しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「解ってる。達也のこと。今だって好きよ。感謝している。
彼がいなかったら私は人を愛せなかったと思っている。
彼が去ったことは恨んでいないわ。むしろ傷つけてしまったのは私の方。
だって、私…。子供を…」
「やめろ!!二度とその事言うな!!忘れるんだ!!いいな!!」
康夫が急に荒立てた声を上げたので、葉月もそこで言葉を引っ込めた。
葉月にとっても辛い経験だったから、康夫が気を遣って怒鳴った優しさだと解っていた。
「“恋”とかはまぁ。後にとってつけたとして。それがためらいなら
いつもの“冷たい令嬢”としてどう隼人兄を動かすかだな。
そこは紛れもない、女中佐の見せ所って所かね…。」
妙な昔話が出て疲れたのか、康夫はため息をついてサラサラの黒髪をかき上げた。
康夫の言葉は、夕べ義理兄が言っていたこととほぼ同じであった。
『本気になるかどうかは、ともかく。仕事ならいつも通り冷静にやれ』と…。
「その方が…。私らしいかもね」
葉月がフッと微笑んだので、康夫は「お?」と彼女に見入った。
「任せて…。とまでは言わないけど。やってみることは一つね」
「な、なんだよ」
こいつ……何か既に思いついているのか? と、康夫は急に大人びるライバルにおののいてしまった。
「ためらいは、あるわ。自信もない。でもやってみる…。」
「やってみるって??」
「そうね…。彼に遠回しな小手先の策は通じはしないわ。」
「じゃぁ???」
康夫が(まさか!)と、信じたくないように葉月に詰め寄ってくる。
「手出しはしないでよ。私は一人でする。しばらくほっといてくれる??」
葉月がハッキリした『方針』を告げてくれないので康夫はがっくりしたが…。
解っていた。葉月も、こうと決めたら突き進むタイプだ。
真っ正面でぶつかる決心を固めても、ただぶつかろうとはしないだろうと…。
「わかった。でも。いいな!時間がないって事忘れるなよ!!」
「解っているわよ。でも…大尉の方が『うわて』なのよ??お兄さんなんだから
こっちがたとえ“中佐”としてかかっても初対面の日のようにそっぽ向かれるのよ?
そんな人に小手先の戦略使っても頭いいんだから!こっちがうまーくやりこめられるわよ。
だから、タイミング見計らって正直に申し込んでみる。」
葉月の『方針』を初めて聞いて…、康夫は暫く腕組みして考え…。
「そうだな。それしかないよな。俺ならともかく…
葉月が言うことにゃ、もしかしたら隼人兄も耳傾けるかもな」
「???なんで?康夫が言ってもダメなら、私が言ってもダメじゃない?
それを、解っていてもやってみるって言っているのに…。」
すると、康夫が腕を組んだまま『ジッ…』と、葉月を見つめる。
葉月もドキリとして口を閉ざした。
「隼人兄さ…。お前の事なんて思っているか知っているか?」
「え??」
葉月はさらにドキリと胸が高鳴った。隼人になんて思われているか…。
そんなことを隼人が康夫にだけ打ち明けた本心があるのか??と戸惑ったのだ。
「“俺のこと空気みたいに扱って。ちょっと暗い顔をしたり。若いくせに妙に歳を喰ったことをいう”だってさ。」
康夫がまた、お決まりの見透かした意地悪笑いを浮かべたが…。
「それって褒められているの??」
葉月は喜んで良いのか悪いのか…。何とも言えない気持ちに包まれた。
「褒めているかどうかと言ったら。俺も解らないけどな?でもな……。
隼人兄が“人に興味を示す”と言うこと自体がもう、他の人間に接するのと訳が違うんだよ。」
「え?違うって何が???」
葉月には見当が良くつかなかった。確かに隼人は淡々とした冷たそうなところはあるが…。
決して、周りの仲間に嫌われている隊員ではなかった。
キチンと周りに合わせているし、信頼だってされている。葉月だって信頼感を既に持っている。
隼人にとって葉月という隊員は、他の仲間と同じ位置にいると思っていた。葉月は…そう思っている。
だから、今の康夫の言い方だと『お前は特別』と聞こえてならない。
だから、どう他の仲間と違うように見られているか解らなかった。
「だからな。隼人兄はお前とどう付き合ったらいいかって俺に聞いてきたんだよ。
ちょっと思っていたようなお嬢さんと違った。見当違いだった。
だから、今までなら適当に冷たくあしらっているところを、今回はキチンと付き合って日本に帰したい。
だから、どう付き合ったら気持ちよく理解し合えるかって事みたいだったな。
取り敢えず。か〜るく聞き流しておいたけど。長年付き合ってきた俺から見たら
内心驚きだったね。隼人兄が“上手く付き合いたい”って、望んで悩んでいることがさ。
つまり、お前は頑固兄さんの心を動かしたって事。今度は“意志”を動かさないとな?」
康夫がまだ戸惑う葉月を畳み込むようにニヤリと微笑んだ。
「“意志”…」
葉月はポツリと呟いて…。握り拳を唇にあてて考え込んだ。
“意志”。 これが動いてくれなくては葉月も快く隼人を迎え入れる気持ちがなかった。
たとえ、隼人が葉月を快く受け入れようとしていてくれても…。
隼人とまず『仕事』で、これからやっていくという、形が先だった。
『恋』。『友情』。はその次である。
「解ったわ。一週間時間をちょうだい。」
葉月が具体的な時間を示したので康夫もニッと頬をゆるめた。
「お前が帰るまで後3週間。やっと腰を上げるか」
「うん…」
それでも葉月は、自信などなかった。でも…ダメモトでもやらない限りは…。
フランスにはただ泣きに来ただけで終わってしまう。それも嫌だったのだ。
葉月は康夫がしばらくは好きなようにさせてくれるというのを聞いて…
いよいよ、隼人と正面切って本題に乗り出す決心をしたのだ。