-- A to Z;ero -- * 砂漠の朧月夜 *

TOP | BACK | NEXT

9.優しい誘拐

 ──動くな!

 黒髪の彼女にボウガンを突きつけられている葉月。
 しかも葉月の、いや御園の陣地内であるこの庭で──。
 庭仕事をしていた護衛の黒猫部員達が、ついにその仮面を取り去り、囚われている葉月の周りを取り囲んだ。

「や、やめなさい!」
「うるさい! あんたは私と来るんだ!」

 本気の彼女が持つボウガンの矢が、葉月の頭の後ろにちくりと突き刺さった。
 だが『来い』と言っても、今の葉月は立つこともままならない。立てたとしても、誰かのサポートがなくては歩けない。サポートがあって歩けたとしても、目の前の臨戦態勢を整えている黒猫にすぐに彼女は捕まえられるだろう。
 そう考えているうちに、葉月はなんとか冷静を取り戻す。
 取り乱しているのは『彼女』の方だ。
 昨日の落ち着いた様子とは打って変わったこの焦りようは何なのか? どこか哀しさを秘めていても柔らかい物を感じたあの声は、今はドスを聞かせるほどに興奮しているように思えた。きっと昨日の状態の彼女なら、車椅子に乗っている葉月を上手く連れ出すなんてことは、この警護の中、皆無だと判断しただろうし、その前にこのような犯行は実行しないはずだ。
 ……では? 彼女の目的は?

(もしかして、この私だけ……?)

 黒髪の彼女は何か差し迫ったことがあり、葉月に会わずにはいられない何かがあったのかもしれない。
 葉月は息を呑む。……これがもし幽霊である瀬川アルドの差し金で、それを娘に押しつけ命令をしているならば、安易に懐には入ってはいけない。だが、そうでなく彼女の単独犯行、感情的なものであるなら、そこはなんとかやりようがある。だが、そのどちらなのか葉月には分からない。

「娘、離れてもらおうか」

 静かな低い声。
 そこには純一が立っていた。
 彼はいつもの黒いスーツ姿で、銃を構えている。
 さらに左のジルの後ろにエドの姿が、そしてカルロの右側後方でジュールが遠巻きにするように、構えている。
 これで彼女は黒猫の包囲網に完全に囲まれてしまった。葉月を捨てるほか、逃げ道はない。

「う、うるさい! そこをどけ! さあ、あんた車椅子を動かすんだ」

 今度は葉月のうなじに、矢が当てられる。
 その時知った。彼女の手が震えていることを……。それもそうだろう。突発的に起こした犯行なら、今、目が覚めてきたことだろう。周りは本当のプロの男達が取り囲んでいるのだ。
 だが、葉月は彼女に言われたとおりに車椅子を動かした。

「近寄るな。一歩でも動けば、本当に撃つからな!」

 震えているくせに。彼女は必死に自分を守ろうとしている、その懸命さ。何が彼女をここまでにさせているのか。
 もしこれが瀬川の企みなら、娘を利用するなんて許せないところだ。

「お嬢様!」

 右側、カルロの前をついに葉月は自らの力で移動する。
 身体の大きな彼が強行に踏み込めば、きっとこの黒髪の彼女は間違いなく捕らえられるだろう。そして葉月はすぐに開放される。
 ──いや、待って? 葉月は、そこでふと思いとどまる。この子がもし本当に瀬川の娘なら。ここで捕まったことを父親が知ってしまったら……?
 あの男が娘をどのように思っているか、葉月には判断がつかない。だけれど、あの男が自分の不利になる状況、つまり『娘を捕らわれ、助けに来る』という『心情』を持っているなんて、想像が出来ない。それならば……?

(あの男は娘を捨てて逃げるかも知れない……!)

 そうなると今、近くにいるだろう幽霊はいったん身を退いて、また御園が油断した頃に何かを仕掛けてくる、また誰かが傷つくかもしれない!
 そんなことは、今回限りでなんとかしたいと思っていた、葉月は……。

「お願い。この子の言うことを聞いて……。こっちにこないで! 『私、死にたくない』、『殺されちゃう』!」

 葉月がそこで声を張り上げると、ジルを始めとする若い部員達はビクリと固まり、若い彼女から一歩退こうとしていたが……。純一を始めとしたジュールにエド、カルロは少しばっかり呆けた顔をしていた。
 つまり『大佐嬢のお前がそんなことを言う物か』と言う顔。

「ほら、殺されたくなかったら、早く進め!」

 震える手で、懸命に葉月を外へと連れ出そうとしている彼女。
 葉月は正面に構えていた純一の側を通ろうとしていた。だがその時、純一はだらりと腕を落とす。それは銃の構えを解いたことを意味するのだが……。葉月がそんな義兄を見上げると、彼はボスの顔、冷めた目つきで葉月を見つめ返してくる。その目は怒っているような、だけれどどこか葉月を見透かしているような冷めた目……。そんな顔をしている純一も葉月と黒髪の彼女に向かって叫んだ。

「やめろ……! なんでも言うことは聞く! 頼むから『いもうと』を連れて行かないでくれ。妹は怪我をして弱っているんだ。頼む!」

 そうして純一は庭道に跪き、弱々しい困った顔で黒髪の彼女に懇願している。
 純一を良く知っている者として、流石の葉月も唖然としたが、それ以上に純一の部下達が戸惑っていた。ボスがそんな情けない懇願をするなんて、と言うところだろうか。
 だが、これで葉月は確信した。──義兄に思いが通じた。

「ふうん。あんた、兄さんがいたんだ」
「そ、そうね」

 彼女の声が落ち着きを取り戻している。
 手の震えも止まっていた。
 葉月が彼女に怖れを抱いていること、そして助けにやってきた男が弱腰になり彼女に懇願をする姿を見て『自分は完全なる切り札』を今、手にして犯行は上手く行っていると安心することが出来たのだろう。
 その彼女がボウガンを葉月にぐうっと今まで以上に大胆に突き刺してくる。首の血管の位置だ。今度こそそれは痛みを伴うものだったが、葉月は堪える。

「来るな。お嬢さんを大事に思うなら来るな!」

 ボスの純一が動かないから、部下である部員達もそこから動かない姿勢を保っている。
 車椅子は門まで進んだ。徐々に彼女の急かす力が強くなる。
 そして葉月は門を出ようとする時、もう一度、庭へと振り返る。
 純一は部員達を差し止めるようにして、先頭から葉月が外に出るのを待っているようだ。そして……既にジュールとエドの姿が見えなくなっていた。

 門から外に出た時、やっと彼女が葉月の耳元で囁いた。

「安心して。なんにもしないから。だけど、付き合って欲しいんだ。警護が厳しくて近づけなかったから」

 それを聞いて葉月は、確信を得る。
 これは彼女の『単独犯』だと。

「しっかり掴まって、おもいっきり動かすから!」

 昨日聞いた無邪気さを思わせる声が、葉月の耳元で弾んだ。
 言われたとおりにしっかり掴まると、車椅子ががらがらと前へと疾走を始める。そんなに急がなくても『貴女は泳がされたのだから、誰も追ってこない』と言いたいぐらいに乱暴に急いでいる。だから、流石にその振動は負傷している胸の傷に響いた。

「ま、待って……」
「ご、ごめん! そこを怪我しているの?」

 車椅子でうずくまる葉月を見て、彼女が車椅子を停める。葉月が冷や汗をかきながらこっくりと頷くと、彼女はとても驚いた顔をした。

「でも、でも急いでいるんだ。どうしてもあんたと話したいんだ。それだけなんだ」

 今にも『そんなに慌てなくても、貴女は今は捕まらない』と言いたいが、葉月は連れ去ってもらうような芝居を続けなくてはいけない。

「嫌。兄のところに帰して、帰して頂戴!」

 彼女の顔が歪んだ。
 自分の願いが叶えられないもどかしそうな顔に。
 さあ、悔しければさらっていくがいい……! 葉月は彼女を睨みつけた。その睨みが効いたのか、ついに黒髪の彼女は葉月の腕をひっぱり車椅子から降ろそうとした。無茶だ。車椅子を捨てた方が遅々とした歩みになるのに。どうしてそれが分からないのだと、今度は葉月がもどかしく思ったのだが。

「少し、我慢してよ!」

 そうではなく、黒髪の彼女の背に乗せられていた。
 葉月を背負いながら突き進む彼女。時々、後ろを振り返っては彼女は歩いていく。
 やがて病院側で止まっているタクシーに葉月は乗せられた。彼女が都内のある区名を運転手に言いつけ、ついに葉月は彼女と二人きり、病院の外に連れ出されてしまった。

 

 やがてタクシーは都内のあるアパートへと辿り着く。
 この時になると、彼女はとても落ち着いていて、周りを見渡していた。

「きっとあの黒服達、側にいるね。あんたもそれで安心だろう? 変なこと絶対にしないから」

 そういう彼女の言葉に、葉月は驚かされる。
 彼女も後をつけられていることは承知済み。それほど『幼き犯行』だったわけでもないようだ。

 タクシーのドアが開いて、黒髪の彼女は辺りを見渡しているが、葉月が見ても黒猫らしい気配はない。当然と言ったところだろうが、彼女が言うように『側まで来ている』と信じていた。
 しかし葉月は、彼女の支えでなんとかタクシーを降りながら思う。

(当てが外れたわ)

 この彼女がもしかすると、父親がいる場所に連れて行くかと思い……危ない賭をし、義兄達を巻き込んでしまったのだが。だが、彼女は『この栗毛の女性をさらえば、警護の者にすぐに気がつかれるし、後をつけられ逃げられない』と言うことを熟知している。その上での犯行だったようだ。そこまで判っている上の犯行だったなら、このアパートには父親は居ないだろう。彼女はばれても構わない場所に連れてきたのだと思え、葉月は少し拍子抜けした。
 に……しては、あの警護を真っ向から刺激するような危ないあの犯行は『感情的で突発的だった』と、葉月は感じる。
 そのギャップは一体何なのだろう?

「大丈夫? 胸、痛い?」
「大丈夫よ。気にしないで」

 まだ足下がおぼつかない葉月を、また背に負ってくれる彼女。
 葉月も素直にその背を頼る。実際に、胸の痛み、かかった負担は大きかったのだ。

「ごめんね、本当にごめんね。会いたかったんだ、話したかったんだ」

 彼女がしきりに『ごめんね』と言う。
 ただ話したいなら、もっと遠回りに葉月と接触する方法を、この子なら考えついただろうと葉月は思う。それなのに、『もう待ちきれない』とばかりに彼女は葉月を強引にさらってしまったのだ。
 間違いない。この子は瀬川の娘だ。
 そうでなければ、あの家で傷を負っている女に会いたいなんて、『父親が何かをした』と疑う動機を持つことができる彼女以外には思わないだろうから。
 その娘が葉月に『ごめんね、ごめんね』と情けない声で何度も呟いているのだ。

 葉月の目に、ふいに涙が滲む。
 なんて皮肉なことだろう。この娘が父親の代わりに詫びてくれている気がしてならない。
 この子は、罪はないに違いない。
 この子を責める理由など、何処にもない。
 それに彼女は最近、父親を知ったばかりなのだ。
 そう、あの真一と同じように……。彼女は知らなかった父を最近知ったばかりなのだ。その父親が『どういう男』であるかを知っても、真一もそうだったように、彼女にとっても『ただ父親』なのだ。

 と、そんなことが葉月の頭には浮かぶのだが、決定的な思いがその思いに蓋をする。

 この子に罪はない。
 それだけ。
 葉月にとってはそれだけのこと。だから、あの男はやはり許すまい!

 不憫な子であろうが、それでも貴方の父親は許される者ではないのだ。

 葉月は彼女の背に、心の中で呟いていた。
 だが──彼女の話は聞いてみようと思う。
 きっと葉月がそうであるように、彼女も知りたいに違いない。
 この突発的な行動は、そこから起きたものに違いない。

 しかし、『私は貴女の父親に二度も殺されそうになった』。
 そんなこと、言う必要があるのだろうか?
 この罪なき娘に、言わねばならぬのだろうか?

 葉月は迷っていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 アパートと言っても、白い壁をベースにしたお洒落な感じの小綺麗な二階建て。
 その二階の一室へと彼女が向かい、鍵を手にしてドアを開けた。

 この彼女の部屋なのだろうかと、葉月は思ったのだが、ドアが開いた向こうに見えたのは、雑然と散らかっている部屋。一目で『男の部屋』と分かり、固まる。
 しかも煙草の煙がもうもうと漂っている最中で、そこに誰かがいるようだった。

(この子の……恋人?)

 そう思ったのだが、彼女が葉月をおぶったまま入った部屋には、だらりとした服装で煙草を吸っている若い男が二人。

「お。美波じゃねえか」
「誰なんだよ、その女」

 柄の悪い若者だった。
 髪の毛は一人は五分狩りのような短髪、一人は肩までの長髪で派手な色に染め、顔は無精ヒゲ。二人ともだぶだぶのティシャツの下は長袖シャツ。そして色違いのカーゴパンツ。お決まりの座り方で、目つきが悪く、『いかにも』だった。
 その彼等がくわえ煙草のまま立ち上がり、『美波』と呼んだその彼女の背にいる葉月を眺め始める。

「うっはーっ! お前にしちゃ、上品なダチじゃん?」
「そうじゃねーよ! きっとあれだ。翼への手土産だぜ! こいつで我慢しろってか!」
「まじかよ! 翼にくれるくらいなら、俺に先にくれ!」

 なんのことだか分からないが、若い彼等は大きな口を開けて、がははと笑い飛ばしている。
 だが、それが『男と女が寝るか寝ないか』の話であるのは察しがついたので、顔をしかめた。

「なんだよ。この女、かしこまりやがって」

 葉月が顔をしかめ彼等の会話に不快感を表したせいか、長髪の男が気に入らない顔で近づいてくる。そして葉月の顔に触ろうと手を伸ばしてきた。

「さわんな! 私の大事な客なんだからな!」

 黒髪の彼女がペシリと、その男が伸ばしてきた手を気強く叩いた。
 男は案外、素直に手を引っ込め、『いってえなあ』と手の甲を撫でるだけで収まったようだ。

「翼は?」
「ちょっと買い物だってよー」
「悪いけど、出て行ってよ」
「はあん? 美波、調子乗るなよ。お前、翼の何様だってんだ?」
「そうだ。お前が翼と『やってる女』ってなら、俺らも少しはなあ」

 黒髪の彼女に、にたりと笑う男達。
 その笑い方がなんとも……。そして彼等は揃って彼女に詰め寄ってきた。

「俺等の方が、翼と付き合い長いんだ」
「お前、勘違いするなよ」
「それとも。お前、やらせてくれるのか?」
「ったく。分かったよ……」

 どうやら、彼女の弱いところを掴まれたようで、『みなみ』の方が折れてしまった。
 こんな柄の悪い男達が居座れる部屋。ある意味で危険だと葉月は思った。だが、この『みなみ』がいる限りは、男達も様子を見てる気がする。
 それにこの部屋の主であるだろう『つばさ』と言う男。どのような男なのだろう。彼女『みなみ』が頼り、そしてこのような若者が身を寄せてくる部屋。
 当てが外れた上に、葉月はいらぬ事で我が身を守る為の神経を細かに働かせねば、ならなくなったようだ。

 さて、この部屋をどう出るべきか。
 義兄と黒猫はどのように体勢を整えているのか……。
 そして、せっかくこうして彼女の手に乗ったのだから、こちらも帰るにしても何かしらの情報は持って帰らねばならない。

 だが時間はかけられない。
 葉月の身体はそれほど長時間は持たないだろう。なんとか堪えても一晩を越すぐらい……か。

(まさか。父親がこちらを見ているとかないわよね)

「ここに座っていてね」

 『みなみ』は静かに背から降ろすと、壁に大きな白いクッションを立てかけてくれ、そこに葉月を座らせてくれた。

「痛くない? なにか飲む?」
「痛いわ。なにも要らない」
「そう……」

 つっけんどんに返す葉月に、黒髪の彼女はちょっと傷ついた顔になる。
 だが、葉月とて丁寧に扱ってくる彼女を邪険に思っているのではない。『隙を見せてはいけない』だけなのだ。今はまだ、彼女と親しげに話すことなど出来ない。今の葉月は敵陣に一人で乗り込んできたも同然なのだから。

 そして『みなみ』は、自分がやってはいけないことをやってしまったという事を『今』、痛切に感じたようだ。
 彼女は意外と脆いのか、葉月のその答え方が堪えたようで、少しばかり泣きそうな顔に崩れたのだ。
 それでも彼女は唇を噛みしめ、気を取り直し葉月に向き直ってくる。

「わかった。すぐに返すよ。でも、これだけ教えて。あなた、何故、ここを怪我したの?」

 『みなみ』が指さしたのは、サーモンピンクのブラウス、たっぷりとしたフリルが揺れている葉月の胸。
 逃亡中、葉月がそこを押さえて何度かうずくまったので、負傷位置は一目瞭然と言ったところだろうか。

「何故? 見ず知らずの貴女に言わなくてはならないの? さらってきたからには、その正当な理由を言って欲しいわ」
「それは……」

 きっぱりと言い返すと、彼女がやや恐れた顔を見せた。
 そして部屋の片隅に並んで座っている若い彼等も、息を潜め、こちらのやり取りを眺めている。

「理由が言えないのなら、答えない。私をいた病院に返して」
「ま、待って! 言うから……。そ、それはね、も、もしかすると、その理由の中に、私が深く関わっているかも知れないから!」
「深いって何?」

 葉月は座った姿勢から、側に跪いて自分を見下ろしている若い彼女を睨みつけた。
 こうして威勢を崩さずに牽制していかねばならない。
 そして聞かれたからとて、罪なき彼女に全てを答える訳にはいかないのだ。

 しかし葉月は、今、彼女が言った『私が深く関わっている』という言葉で、七割方、確定したと思った。
 彼女は幽霊と関わっているから、『貴女を怪我させたことと深く関わっている』と言えるのだと……。

 そしてやはり『みなみ』は、それ以上の遠回しな表現は思いつかないらしく、さらに、ズバリとした質問も避けたいのか黙りこくった。
 彼等もへんに神妙にこちらを見守っている。
 もしくは、彼等がいなければ、彼女はズバリと尋ねられたのだろうか?
 だが、彼等の顔があんなにだらしなくふざけていたのに、変に真剣な顔をしているのに葉月は驚いた。その顔なら、葉月は仕事を任せているかも知れないと言う顔だ。ああいった顔は、彼等のスイッチがオフになっている時の『仮面』だったのだろうか? 彼等はオンになれば、何かをやりそうな顔……。
 逆に『みなみ』という彼女を見守っているように見えた。そして『みなみ』が黙っていても、彼等は先ほどのような茶々を入れてこないではないか……。

 葉月は、ここを直ぐに出ていく気が薄れてきた。
 せめて、この部屋の主の『翼』とか言う男性を目してから、出ていくことを考えることにした。
 その男性と彼等が深く繋がり、『みなみ』と接していると思った。彼等なら、ここ最近の『みなみ』の事を良く知っているはず。『みなみ』が話しにくいことなら、彼等から聞き出すという方法もある。もしかすると、それこそ彼女の父親である瀬川のことを聞き出せるかと思った。

「言えないようね。それに貴女が深く関わっているって何?」
「その怪我は……誰かに襲われた傷? それとも?」
「ノーコメントよ」

 さらに葉月は『みなみ』のその質問で、確信を深める。
 『誰かに襲われたかどうか』を知りたいのは、『それが彼女と深く関わる人間がやったかどうか』を気にしている質問だ。まだ確定はしていないが、彼女が本当に瀬川の娘、または世間に知らせている女房であるのなら、『家族がやったかどうかを気にしている』と言うことになるではないか。

 だから、素直に言えなかった。
 彼女は既に、葉月が誰かに刺されたことを知っていて、そして誰に刺されたかも知っている。だけれどそれらは全て『予想』であって、信じられないから、葉月をさらってきたのだ。
 しかし、刺されたのは事実。しかし、葉月はそれをストレートには言えなかった。
 若い彼等は相変わらず、こちらを静かに見ているだけだった。

 だが、そうした葉月の強硬的な様子をただ手をこまねいて見ているだけでもないようだ。
 今度は、意を決したように『みなみ』の顔つきが変わった。
 ちっとも恐れていない葉月の性質を悟ったのか、彼女はちょっとばかり凄んだ目を見せ、葉月の肩を握り、ブラウスの生地を掴みあげた。

「言ったよね。教えてくれなくちゃ、返さないよ」
「構わないわ。言いたくないから」

 頑として突っぱねると、彼女が溜息をこぼした。

「あっそう。分かった。じゃあ、ここに居てもらうから!」

 それだけ言い切ると、『みなみ』は初めて葉月を手荒に押し倒したのだ。葉月は床に倒れたのだが、すかさず彼女が馬乗りになって来たので、流石の葉月も驚いて固まってしまった。彼女はそのまま、葉月のブラウスのポケットやスカートのポケットに手を突っ込んで何かを探していた。それが何か判った葉月は『しまった』と身体をくねらせたが、遅かった。スカートの右のポケットから携帯電話を取られてしまった。
 彼女はその葉月の携帯電話と、自分の携帯電話をジーンズのポケットから取り出し、外に出て行ってしまった。
 葉月は横に倒れたまま、一息つき、そのまま目をつむった。
 あの妙な若者と葉月は三人きりにさせられる。

 葉月はちらりと同じ部屋の隅にいる彼等を見る。
 彼等も葉月をじいっと見ている。
 目があったのだが、お互いに逸らすことはなかった。

「言えばいいじゃんか」
「そうだ。そうすればあんた、開放されるんだぜ」

 そう言う彼等に葉月は何も答えない。
 そんな葉月を見て、彼等がすうっと立ち上がる。
 そして二人揃って、一歩ずつ葉月に近づいてきた。
 油断は出来ないと、胸の痛みを堪え起きあがろうとしたのだが、その途端に彼等が飛びつくように葉月に襲いかかってきた。

「くっ……! やめっ……は、放して……!」

 一人に両手を頭の上へあげられ、床に押さえつけられる。
 そして、一人は葉月の身体の上に、先ほどの彼女のように馬乗りになってきた!
 だが今の葉月は、男二人に押さえられたら、ひとたまりもない。抵抗する力なんてないのだから。だから二人がかりで押さえにかかってきた男達にされるまま。ついに馬乗りになった男に、いとも簡単にブラウスを引きちぎられてしまう!

 だが、そこでブラウスを引き裂いた男の手が止まっていた。
 葉月の視界にいる彼等の顔つきが変わった。二人の目線は葉月の胸の真ん中だ。

「……これは」
「間違いない。あんた、やっぱり『刺された』んだな」

 彼等の驚いた顔。
 葉月は分かってはいても、少しばっかりの劣等を感じた。
 もし、彼等が身体が目的だったとしても、その気が失せるほどに、女の肌を曇らせてしまうだろうその胸と肩にある傷の有様……。
 彼等はそれを見て驚いているのだ。

 そして彼等の顔は、徐々に女を襲おうと見せかけていた色を潜めていく。
 そういう顔の男は幾らでも見てきた葉月は、彼等の目的は『女の身体』ではなく、『みなみ』が気にしていた『負傷の理由』を同じように探ろうとしただけだと分かった。

「そうよ……。三ヶ月前に襲われた時の傷よ」
「いくつか傷があるけど」
「……すぐには、いいたくな……い」

 葉月が静かに答えると、彼等は葉月の顔の上で驚いた顔を互いに見合わせていた。
 すると短髪の男が、ズボンのポケットから一枚の紙を葉月に突き出してくる。

『横須賀基地内で通り魔? 女性隊員が刺される』

 その見出しがついている新聞の切り抜きだった。
 流石に葉月は驚き、目を見開いて彼等の顔を交互に見た。

「この女隊員、あんただろう」

 まだよく分からなくて、葉月は頷くことは出来なかったが、彼等は彼等で『知っている様子』だった。

「あんたがこの隊員なら、さっきのように『美波』にはなんにも答えなくて良い」
「その代わり、俺達に合わせてくれ。そしてこの部屋の主『翼』が帰ってくるまで付き合ってくれ」
「その翼という男性は、彼女とどういう関係なの?」
「まあ、今のところ〜」
「ただの先輩、後輩かな?」

 二人がちょっとおかしそうに笑い出す。
 それを見て、葉月は思った。

「もしかして、その翼と言う先輩は彼女を守ろうとしているの?」

 その一言に、彼等の顔が引き締まる。

「あんた、話が早そうだな」
「まあ、そんなところ。俺達、室蘭からの仲間だから」

 『室蘭』と聞いて、葉月はさらに確信してしまう。いや、確定だ。
 だから、彼等に聞いてみた。

「もしかして。あの子は『瀬川みなみ』と言うの?」

 暫し、彼等が迷ったように葉月を見下ろしていたのだが……。短髪の彼が静かに頷いた。

「そう。『瀬川美波』。危ない父親がいるってあんたも良く知っているようだな」

 葉月は驚いて、強い眼差しを見せ始めた彼を見つめ返した。
 あの子は『瀬川美波』。間違いない。幽霊の娘だった!
 だから、葉月は降参したように彼等に告げた。

「そうよ。その記事の女性はこの私よ」

 彼等は確信したように頷き合っていたが、葉月はそれ以上は言わなかった。
 まだ誰にも彼女の父親が刺したのだとは、言いたくなかったのだ。ただ、刺されたことだけを……。だが、彼等は美波と同じように『彼女の父親がやった』と思っているようだ。

 そこへ、美波が帰ってきた。

「ちょっと! あんたの電話、どうなっているんだよ!? まともな名前で登録していないじゃないか!」

 そんな事を叫びながら彼女は帰ってくるのだが、リビングに入ってきて、知り合いの男が二人、葉月を取り押さえている姿を見て、悲鳴を上げた。

「お、お、お前達、何しているんだよ!!」

 彼女は真っ赤な顔で怒り、葉月の元にすっ飛んできた。

「ええ? いいじゃないかよ。美波〜」
「俺達、女に飢えてるんだぜ〜。お前がいなくなったからさー」
「襲っても良いのかなあと思って〜」
「そうだぜ、そうだぜ。襲っちゃいけないなら、ほったらかしにするなよ!」

 ちっとも悪びれずに、彼等は葉月の身体を触ってきた。
 しかも葉月の上に乗っている短髪の彼は調子よく、上から覆い被さり葉月に抱きついてくる。そしてにたつく顔で葉月の頬に舌を這わせ、怒る美波を見て楽しんでいるようだった。 いくら誤魔化すにしても、それはないだろうと葉月は顔をしかめたのだが、その覆い被さった身体で、葉月の傷を隠そうとしているのが分かった。
 きっと美波が見ると、父親がどれだけのことをしたのかと知ってしまうのを、避けているのだろう。だから、葉月も黙っていたのだが。……にしても『バカ!』と噛みついてやりたい誤魔化し方だ。

「おまえら、いい加減にしろ!!!」

 すっ飛んできた美波が、本気で彼等を蹴り飛ばした。
 葉月の上に乗っていた短髪の男の頭を蹴飛ばし、そして葉月の腕を押さえつけていた長髪の彼の胸をめがけてけっ飛ばし……。彼等はいとも簡単によろめいて、葉月の側に倒れていた。

「まったく、お前達、本当に帰れよ!! 翼に言いつけるぞ!」
「なーに言ってるんだ。お前の方こそ、どうするんだ」
「そうだ、そうだ。これはな『誘拐』という立派な犯罪だぜ」
「そだ、そだ。ついでにいうなら『監禁』もだ。翼が知ったら、それこそお前、怒られるぞ」
「うるさい! お前達が今、やろうとしていたことだって犯罪じゃないか!!!」

 彼等はしれっとしていたが、美波は顔を真っ赤にしたままギャンギャンと怒っていた。
 そうして美波が彼等へと怒りの矛先を向けている隙に、直ぐ側にいた短髪の彼が床に脱いだままになっている白いシャツを美波に見えないように指さしていた。『早く羽織れ』と言ってくれているように見える。きっとそうだろうと思い、葉月は寝たままそうっとそのシャツをたぐり寄せ、それで引き裂かれたブラウスの上に被せ、胸を隠した。

 葉月が胸を隠した途端に、彼等がそれを見届け、合図のように立ち上がった。

「つまらん。帰るべか」
「そだな。帰るべ」

 二人はこれまた、急速に思いついたお遊びの熱が冷めたとばかりに、あっけなくこの部屋を出ていった。

「ごめん! 本当にごめん!!」

 美波が葉月に土下座をして謝ってくる。
 彼等が彼女を本気で心配していることを、葉月は知ってしまったけれど、ここでは彼等がそう演じてるように、葉月もあの『馬鹿さ』に付き合わねばならないよう……。だから、葉月はとても不機嫌な顔を作って黙りこくった。

「あいつら、ちょっと頭軽いだけなんだ。きっとあんたをからかっただけなんだよ。そんな気はまったくないんだって……! いつもあんな悪ふざけはしょっちゅうで……悪気なんてなくって……」

 そんな彼女も、彼等を一生懸命にかばっている。
 必死に葉月に頭を下げて、かばっている。
 葉月は美波が下げている頭を見て、微笑んでいた。
 そして安心した。

 ……良かった。この子には帰っても大丈夫な場所があった。

 だけれど、葉月はここでは怒った顔を押し通す。
 やがて無口で無愛想な葉月に疲れたのか、謝るのをやめ、それ以上に葉月を遠巻きにしてキッチンへと行ってしまった。

「もう、夕方だね。なにか作るね……」

 優しい子。
 なんでこんなに良い子が、あの男の娘?

 葉月の目に、なんだかどうしようもない涙が浮かんでくる。
 この部屋の窓辺に、夕焼けの光が射し込んできていた。

 とにかく、あの『ふざけた彼等』が言い残していった『翼』という男性に会おうと、静かにそこに座り込んでいるだけだった。

 暫くこの誘拐には付き合わねばならないようだ。
 だが、葉月は美波が夕食の準備に夢中になっている間に、いろいろと思い巡らせる。

 さて、この『室蘭チーム』とどうやっていけば、こちらの有利になるのか──と。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 買い物に出かけているというその『翼』から、彼女の携帯に電話が入る。
 どうやら彼はそのまま『仕事』へと向かったようだ。

 少しばっかりがっかりした顔をした美波が、リビングのローテーブルの上に出来上がった料理を並べる。
 どれもこれも、美味しそうな和食で驚いた。

 葉月は素直に頂くことにした。
 彼女はちょっと怖々と葉月を見て、どんな反応をするのか窺っている。
 だが、葉月はなにも言わない。申し訳ないが、彼女には『怒っている顔』を続けていた。
 静かに進む夕食の最中、彼女がぽつりと独り言のように呟いた。

「紹介したかったのにな。カッコイイ兄ちゃんなんだ」

 葉月がちらりと彼女を見ると、彼女はちょっと頬を染めて俯いていた。
 きっと好きなんだろうな。頼っているからこうして来たんだなと葉月には思えた。

「ご馳走様。美味しかったわ。お上手なのね」

 食べ終わってからそういうと、彼女が初めて愛らしく微笑む。
 だが葉月としては、複雑な心境だ。
 なにせ、今まで一番の恐怖の記憶の中に埋め込まれていた顔と似ている顔が、目の前で微笑んでいるのだから。
 しかし彼女の顔は清らかだ。もっと言えば、姉と義兄に間にいて笑っていた瀬川のあの笑顔と同じだ。
 あの瀬川の笑顔……。あの写真に写された時の笑顔は、もしかして『清らかな笑顔』だったのだろうか? だとしたら、彼を変える何かがあったのだろうか?
 姉との間に? それとも義兄との間に?

 彼女はそれで少し、安心したのか、紅茶を入れてくれたり気遣ってくれる。
 風呂に入りたいなら手伝う、とまで言い出したが、葉月は遠慮した。
 聞けば、彼の仕事は『夜の飲食業界』のお仕事だとかで、朝方まで帰ってこないとの事だった。だから彼女は葉月に先に寝てくれと言う。
 しかし葉月は眠る気分ではない。これが訓練されている身体なのか。安堵できない場ではあまり眠くならないし、眠ってはいけないと精神が逆立っているのだから。
 だが、葉月がそうしていると彼女が眠ろうとしない。そして彼女は自分が先に眠ってしまうと葉月が逃げては困るので、彼が帰ってくるまで起きているつもりのようだ。

 二人の女の『どちらが先寝るか』の根比べが始まる。
 だが、先に折れたのはこの葉月。──と、言っても葉月は寝たふりをすることにしたのだ。案の定、葉月が寝ても頑張っていた美波だが、ついに彼女が寝てしまった。

 さて、どうする?
 逃げることも出来るし、携帯電話を取り返して外で待っている純一にでも、隼人にでも連絡することが出来る。そう考え、葉月はまず『無事』であることと『翼』に会うことだけでも連絡をしようと思った。
 だが、そうしようと美波の側に近づいた途端……。まだ夜中の一時だと言うのに、ドアが閉まった音。そして廊下から誰かがこちらにやってくる足音……。

「こんばんは。御園さん……でしょ」

 リビングに現れたのは若い男性。洒落た白いジャケットを着た白金髪の男性。その彼が葉月を見るなりそう言って微笑んでいた。

「今日は日中、俺の仲間がふざけたことをしたようで……」
「貴方が翼さん?」

 彼がこっくりと頷く。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.