-- A to Z;ero -- * 秋風プレリュード *

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7.大佐嬢の未来

 連隊長室を始めとする数々の将軍室にその秘書室が並ぶ『高官棟』。
 この棟の五階が、全隊員が集まるカフェテリアだ。
 四階には連隊長室──。そして、そこにこの基地で一番の会議室がある。

「やっぱり、緊張してきた〜」

 吉田小夜は、その品格ある造りになっている会議室がある四階まできて、身震いを起こす。

「なに言っているんだよ。初めてじゃないだろ。海野中佐と何度も出入りしているだろう」

 落ち着きない小夜の横で、落ち着き払っているテッドが呆れたため息。

「でもーっ。今日はフランク連隊長に、あのおっかない細川中将に……。ううん! こういう会議で一番怖いのは……副連隊長の『永倉少将』!」
「うーん、確かに強敵。特に今日は……」
「そうよー! そういう時に、大佐の会議の付き添いになっちゃった! しかも『中隊長会』! どうしよー、どうしよーー」
「お前、いい加減、うるさいぞ」

 じたばたとしている小夜の横で、テッドが耳をふさぎながらツンとし、さっさと前を歩き出す。
 その先には葉月が歩いている。

 背筋をピンと伸ばして、迷いもなさそうに補佐より先に歩いていく葉月をテッドが追いかける。

『大佐。気合い入っていますね』
『そりゃね』

 テッドの声かけに、大佐嬢が優雅な微笑みで肩越しに振り返る。
 その微笑みも余裕だった。
 テッドの満足そうな顔。小夜と並んでいるときに見せるちょっと偉そうで冷徹そうな顔など『どこにいったのよ?』と言いたくなるぐらいに、やんわりしているのだ。

(なによ……)

 今となっては『葉月』のことは大好きだし、尊敬もしているが……。
 時々、おなじ女としてものすごく劣等感を抱いてしまう時もある……。
 そこで小夜はハッとする。

(い、いけない……! また基準が『女』になっていたわーー)

 それになんで? テッドがどんな顔しようと関係ないじゃないかと我に返った。

(ふん、あんな偉そうで冷たいやつなんて。こっちからお断りよ)

 小夜はにやけているテッドの背中に向けて『補佐バカ』と心の中で言い捨てる。
 そしてこの基地最高峰の重みがある大きな会議室の前にやってくると、体格ががっしりとしている金髪の男性と出会った。

「やあ、お疲れ。大佐嬢」
「こんにちは。マクガイヤー大佐」
「今日は覚悟しないとね。だけど、私は賛成だから」
「有り難うございます」

 第二中隊長のマクガイヤー大佐だった。
 空部隊を多く抱えている二中隊だけあって、空軍所属の葉月とはいつも穏やかな言葉の掛け合いをしているようだ。

 いよいよ会議室に入る。
 ながーい木目のテーブルに、座り心地が良さそうな大きめの椅子が並べられている。
 各席には今会議の資料などが並べられている。
 準備しているのは勿論──『連隊長秘書室』の人たち。指揮をしているのは、あのホプキンス中佐だ。
 小夜から見ても、ホプキンス中佐は最高の秘書官。あの不思議な色合いの紫っぽい目が魅力的と女性隊員達は囁くが、恋の話はいっこうに聞こえてこない。『あの笑顔が怖い』という女性も多い。そんなホプキンス中佐は遠い人だ。
 その人が出ている会議に『来ちゃった!』と小夜は……また密かに心が落ち着かなくなる。けど、顔はちゃんとちゃんと引き締めて。

「格好いいよな〜、ホプキンス中佐」

 小夜どころか、隣にいるテッドが惚けた顔でホプキンス中佐のキビキビとした指揮を眺めているのだ。
 テッドの『憧れの人』なのだ。だが、小夜は心の中で『あんたがなれるか』と悪態をついてみる。
 どうみたって、あんな格好いい人にお隣の『坊や』がなれるとは思えない。

「おっといけない。大佐の席にある資料を確認しなくては。お前もみとけよ」
「はーい」
「なんだ、その返事は」
「はいっ。少佐」

 本当に偉そうと小夜は密かにぼやく。
 最後に『少佐』とつけておけば、大抵はそれで終わる。
 小夜は『なによ、なによ。本当に偉そう』と、またそう思って『ふん』と鼻息を荒くしつつ、テッドが確認し終わった資料を一枚ずつ送り渡してくるので、同じように眺める。

 テッドが『今日は特に』と言ったり、マクガイヤー大佐が『覚悟』と言った内容は、葉月が先頭に立って出かける『シアトル湾岸部隊合同航行』についての最終確認とその最終的な了解を得る議題項目があるからだ。
 もう細々とした許可という許可は取れているから出かける二ヶ月前になって『最後の許可が出せない』ということはないらしい。だが葉月曰く『もし、どんでん返しがあるなら最後の中隊長会』だと言っていた。
 連隊長に副連隊長、他の管理幹部に、他の中隊長──。彼等も既に知っているだろうが、もしかすると、ここで最後の『反対』が出るかも知れない。その反対によって『大佐嬢の計画』がおじゃんになることはなくても……大変な『抗議やお説教』を受けるかも知れないと言うのだ。つまり『大佐嬢への批判』と言うことだ。

 だから、テッドは葉月に『気合いはいっている』と言い、マクガイヤー大佐は『同じ空部隊として賛成』と言ってくれたのだろう。

(はあ、お偉いさんになじられる葉月さんなんてみたくないな……)

 小夜はドキドキしてきた。
 そして──そのテッドが言っている『強敵』がついにこの会議室に登場。
 基地一番の『嫌味将軍』と囁かれている『副連隊長の永倉少将』だ!

(うー。これさえなければ……)

 恰幅良い体つき、そして少しばかり突き出ている腹をさらに突き出して怖い物なしとばかりに、堂々としている風格がまさにと言った様子で、小夜は思わずテッドの背に隠れてしまう。
 それに気がついてくれたのか? 彼が『大丈夫だ』と言いたそうに小夜の背をぽんと後押しするように叩いてくれた。
 テッドと目があって、小夜もこっくりと頷く。

 葉月が目の前の椅子に座る。
 その隣にテッド、小夜の順で座った。
 テッドが手帳を広げる、小夜も形ばかりだがメモ取りの練習。同じように手帳を開いてペンを手に取る。
 四中隊の隣は勿論五中隊。小夜の隣は五中隊の管理官。時々書類を届けるときに顔を合わせるおじさんだったので、目があった小夜は軽く会釈。向こうも僅かに口元を緩めて会釈をしてくれる。ウィリアム大佐と六中隊の佐藤大佐が肩を合わせて並ぶ形の座り方を選んだようだ。ふたりのおじ様は、四中隊には好意的。一人は甲板で訓練を共にしている大佐。片やもう一人の大佐は、若き四中隊を見守りながら提携運営をしてきてくれた『お父さん的存在』の大佐だ。
 大佐嬢が攻撃されるなら、どうするか……なんて、話し合っているといいな。と、小夜は思ってしまった。
 この長いテーブルの同じ列に六人の中隊長が並び、向かい側には中央に連隊長、両脇に副連隊長の永倉少将と細川中将が並び、向かい合わせる形。

「では、始めたいと思います。まず資料の最初のページを……」

 ホプキンス中佐がマイク片手に資料を眺めながらの進行を始めた。
 その彼の声についていくように、皆が一斉に資料をめくる。
 各議題、連隊長の意見を挟みつつ、順調に『皆、合意』の締めくくりで進んでいった。

 会場はシンとしているし、そしてどの中隊長も無言だった。
 連隊長のちょっとした見解を挟みつつ、ホプキンス中佐の進行だけで進んでいく……。
 だけれどものすごい重い空気を小夜は感じ取っていた。達也の付き添いでいく会議は、まだどこか皆活気があって遠慮なく意見を取り交わしている気もしたのに。
 この中隊長会は静かで重い。それに小夜は思った。『無言だけど無言じゃない』と──。
 皆、黙っているがそれぞれの思惑を張り巡らせて、黙っていることで周りを威圧しているような気もする……。
 隊長と言うだけあって、発言には慎重なのだろうか? どこかで誰かが水漏れをするような穴をあけるととんでもないことになるのか? と言うぐらいの『無言の張り合い』を感じたのだ。
 手が汗ばんでくる小夜──。そしていよいよ!

「それでは、最後になりますが……。四中隊の御園大佐と空部隊の中佐二名が企画しました『湾岸部隊合同航行』についてですが……」

 小夜は誰かが何かをいうのだろうか? と、我が事のようにドキドキしてきた。
 だけど誰も何も意見もしてくる様子もなく、ただホプキンス中佐の概要説明が進んでいた。
 その間、葉月の冷たい横顔は会議が始まったときのまま、崩れることもなく、変化はない。他の中隊長と同じくそして負けない重厚な空気を放っている……。
 彼の説明が終わる──。

「いよいよだな。大佐嬢──これも良い機会だ。存分に『恩師』と空の防衛について『現場』で感覚を身につけてきたらいいだろう。細川も今回の試みには大いに期待しているようだし、これで小笠原の空部隊の向上になればと私も期待している」

 フランク連隊長の笑顔の激励に、葉月はただ無表情に『有り難うございます』と答えただけ。
 連隊長が推しているのだから、これで大丈夫と小夜はほっとした……その時だった。
 フランク連隊長の隣にいる『嫌味将軍』が、あからさまに舌打ちをしたのだ。

 ロイがふと永倉を斜め下に見下ろし黙ってしまい、他の幹部に中隊長達の息づかいもピタと止まった気がした。
 そしてその永倉少将がにやりと意地悪い笑みを浮かべながら……葉月を見ている!
 葉月も目を合わせてしまっているようだが、淡々としていた。
 テッドの顔つきは既に何か構えていて、二人の隣に座っているだけの小夜はもう心臓が爆発しそうなぐらい……!

「やれやれ。どうしてこうもいちいち『面倒がかかる大がかりな企画』を『わざと』立てるものかね。どうも中隊管理をしているだけでは物足りなさそうですな。まあ、今回『も』ラッキーでしたな、大佐嬢。『恩師』であるシアトルの空部隊長トーマス大佐が『たまたま聞きつけた』から、実行することが出来たのだろう? そうでなければ、『お話だけで終わっていた』と思いますなあ」

 すると、中隊長の中では一番権力を持っているという第一中隊のフォード大佐までもが、『ははは』と笑い出した。
 それでくすくすという笑い声が所々でさざめいた。

 これが噂の『ねっちり嫌味』なんだ──と、小夜はくらくらしそうになった。
 だけど、葉月はいつもの平坦な顔。でも、心の中ではどうなのだろう? と、小夜はハラハラ。
 今まで、小夜が経理班にいるときでも、時々流れてきた噂では『御園がまた生意気叩いて、副連隊長を怒らせた』とか良く聞いた。と、言うことは葉月も引き下がることなく、その攻撃を受けて立ってきたということでは……? だからもしかして、今日も……!? と、小夜はそう思ったのだが。

「おっしゃるとおりでございます。副連隊長」

 葉月は微笑みながら静かに、一言そう言っただけだった。
 その大佐嬢の一言で、どこか滑稽そうに聞こえていた密かなる笑い声がふっと消えた。
 だが、やはり一人だけ。永倉少将はさらににやりと笑ったではないか。

「いいかね! 御園君。ひとつの事をするのにだね……!」

 この後、永倉少将のマシンガンのように飛んでくる細かいお説教の言葉が延々と繰り出され、葉月に向かってきた。
 五分、いや、まだ? 七分……まだ喋っているこのおじさん! 小夜としては言っている内容が解るようで解らないけど、『経費がかかる』とか『一つの仕事に集中が出来ず、一人一人の部下に負担がかかっているはず』等々──。そりゃ、そうだろうけどとも言いたいありきたりだけどごもっともなお説教が続く続く。

(噂には聞いていたけど、本当にねちっこいっ)

 小夜もイライラしてきた。
 隣のテッドも唇を噛みしめているように見える。目が怖かった。
 だけど──やっぱり葉月はいつもの冷めた顔つき。
 彼女のことを『無感情令嬢』と人々は言うけれど、これはもしかしたら、そうでもなくちゃ『やっていけない』と──こういう彼女の現場に触れて初めてそう思えた気がしたのだ。

 あー、むかむかすると思っていると、その永倉がトドメの一言を吐いたのだ。

「近頃では、君の一番のお気に入りである『恋人』までもが、工学科に勝手に出入りをしているとか? これも途方もないプロジェクトのようだが、いくらマクティアン大佐の協力があるとはいえ、軍だけでは済まぬ話。これも『彼の趣味的なお遊び』で終わらぬといいがね」

 小夜の中で『ぷつん』と何かが弾けた。
 それ! 私もつい最近までその若上司と一緒に真剣にやっていた仕事! それを『趣味のお遊び』とバカにした!
 憧れていた隼人がどれだけ真剣に取り組んでいるか知っているだけに……! 小夜の中でふつふつとした煮えたぎる物がわき上がってきた!

 『違います!!』──そう言いたい!
 小夜の腰が椅子から浮いて、勢いよく立ち上がろうと手が机に着いたときだった!

「副連隊長──。それは言い過ぎではありませんか」

 そう静かに入ってきたのは、二中隊のマクガイヤー大佐だった。

 その声に諭されるように、小夜の浮きかけた腰がすとんと落ちていくのが解った。
 そしてよく見ると、机についた手、その手首をテッドが掴んでいたのだ……。
 彼がこっちを見ている。そして静かに首を振っていた……。
 小夜の額には、汗が滲んでいた。
 立ち上がろうという気持ちはあったけど、立ち上がれなかったのだと気がついた。
 そしてその勢いだけでついた手を、テッドが気がついてさっと止めていたことに、今、気がついた。
 彼のその押さえる手は強い力でなくて、本当になだめると言ったように──柔らかい力。
 暫く──彼の手がそのまま小夜の手首を握っていた。
 力が……腰が抜けていた。

 その間も、マクガイヤー大佐の『今後の空部隊には必要だ』と言う力説が続いていた。
 そしてその隣に静かに座っていた……先ほど一番に笑い出したはずのフォード大佐が、立ち上がって話し出した。

「私もそう思いますね。私は陸部ではありますが、部下にパイロットを持っております故に、この小笠原内の業務だけではパイロット達はほぼ訓練で終わっていることに懸念を持っています。フロリダ本部からもそれほど重要な防衛現場に指名されることもないまま、ただの訓練タンクにされている気もしますな。このままではパイロット養成場にされてしまう。大佐嬢がそうしたように、先を案じてこっちから打って出てみるのも良いでしょう。あとは連隊長がフロリダへの許可なりフォローをしてくだされば良いことで」

 中隊管理では一番の大御所が、先ほどの笑いとは裏腹に、大佐嬢を擁護したので小夜は驚いた。

「私からもお願い致します。ここ数年で小笠原の隊員数もだいぶ増え、少ない人数でちぐはぐに編成してきた中隊では立ちゆかなくなってきております。そろそろ、陸部と空部と大きく分けてみる準備を始めてみてもよろしいのでは?」

 そんな大それたことを言い出したのは、五中隊のウィリアム大佐。
 そして最後に佐藤大佐がこう言い出した。

「そうだね。私も訓練におつきあいさせてもらっているが──今後、その空部をひっぱっていくのは間違いなく、御園大佐とその補佐の澤村中佐でしょう。彼女がその今後を見据えた『大胆な企画』といっても、そこはやってみて損はないかと思いますね」
「私も同じくですね」

 佐藤大佐と同じ教育部隊的になっている第三中隊の大佐も同意してくれた。
 なんだか小夜は涙が出そうになってきた。
 だけど、目の前の嫌味ジジイはまだまだニヤリと笑っているのだ。

「ほう。御園君、だいぶ根回しも充分のようだねえ。よかったねえ、周りの優しいおじさん達が味方に付いてくれて──」

 『根回しなんかしてないやい!』と、小夜は目つきだけで、おじさんに食ってかかってしまっていた。
 だけど、そこでやっと葉月が立ち上がった。

「ご理解、有り難うございます」

 葉月が左右にいる大佐達に頭を下げた。
 そして今度は目の前の副連隊長に向けて、葉月の表情が引き締まった。
 小夜もドキドキが急激に最高潮! 隣のテッドも息づかいが荒くなっている気がした。彼もドキドキハラハラしているのだろうか?
 そして葉月が永倉に向かって口を開いた。

「お言葉、ごもっともです。貴重なお言葉の数々、肝に銘じさせていただきます」

 静かにそして厳かな微笑みを浮かべ、丁寧な姿勢で葉月は永倉に頭を下げた。
 すると永倉が一言──。

「……さて、なんのためなのかね。御園君」

 その問い。その問いかけをした永倉の顔はにやついてはいなかった。
 そんな問いに葉月は迷う隙もなく、即答で彼に向けて発していた。

「私たち軍人は闘うためではなく『防衛』の為、一般市民を護るのが義務。そして私たち軍人は必ず、家族と仲間の元に還ってくるためにある──です」
「ふむ」
「そのために一般市民と隊員達の命を守る術を訓練したく……そう思っております」
「うむ」

 何故か、そこで永倉が妙に納得して頷いているじゃないか?
 小夜は『今までなんだったのよーー』と叫びたくなった。

 だけど──葉月と永倉の短いけど生真面目なその会話の後、会議室がシンと静まりかえった気がした。
 そして何故か……その二人の間には、目線だけで繋がったなにかがあるように小夜には見えた。

「もういいか? 永倉」
「いいですよ。ロイ君」
「では、終わろうか。リッキー終わりだ」

 ロイの冷めた声で会議があっと言う間にお開きになったのだ。
 これだけ中隊長達が結束して永倉の嫌味をはね除けたのだから、連隊長のロイが少しは怒ってくれたらいいのに──と小夜はちょっと不満を覚える。
 だけど、そのロイまでもがあっさりと終わらせた。
 なんだか『野放しじゃないか』と小夜はふてくされつつ──。ダメージもなさそうに爽やかな顔をしている葉月の後をついて会議室を出た。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 そして葉月を擁護してくれた中隊長達もあっさりしていた。
 先ほどはあんな熱弁をしてくれたのに、会議が終わると葉月とは言葉を交わすことなくさっさと側近達と出ていったのだから。
 そして葉月もあっさりしている。先ほどのお礼は会議の中で済ませたと言うところなのだろうか?

(どんな世界よっ)

 小夜はイライラしてきた。
 これなら補佐官達が集まっている達也との会議の方が解りやすい気がしたのだ。

 だけど会議室を出て、エレベーターへと向かうときだった。
 葉月より先に出ていったおじ様達はそのエレベーターの前で明るく会話をしていたのだ。
 そして佐藤大佐が葉月を見つけて、手招きをしているのだ。

「どうだい? おじさんがおごってあげるよ!」

 他の中隊長達も笑顔で葉月を見ていたのだが葉月の返事は『また今度』だった。
 佐藤大佐が『残念、ふられたよ』と言うと他の中隊長達も笑い声をたてて、そのままカフェへあがるエレベーターに乗っていってしまった。

「たまにはお付き合いすればいいじゃないですか。ここのところ、断りっぱなしですよ」
「たまにはそうしているじゃない? いいのよ、今日はきっとおじさんだけであれやこれやと話すつもりよ。お嬢ちゃんは笑ってみているだけよ」
「それもそうですね」

 テッドと葉月の会話。
 お茶であれやこれや話すなら、会議で思い切り話せばいいじゃないかと、小夜はなんだか益々腑に落ちない。

 そして自分たちはおじさん隊長達のような余裕はない『若僧中隊』だから、優雅にお茶をしている暇があるなら大佐室で皆で力を合わせないとやっていけない仕事をしなくてはならない。
 だからテッドは降りるボタンを押した。
 先ほどおじさん達を乗せたエレベーターが上について、直ぐに降りてくるだろう。
 そのほんのちょっとの待ち時間の時だった。

「君はいかなかったのかね」
「永倉少将──」

 小夜どころかテッドもどっきりしたようだ。
 葉月の背後に、恰幅良い白髪交じりの永倉が偉そうな姿勢で側近と立っていた。

「少将も一息ですか?」
「ああ。そうだよ。君への説教で喉がからからだ」

 葉月の落ち着いた応答に対しても、永倉は本当に素直じゃない言葉を返してきて、小夜はうんざり目を逸らしてしまった。
 だけど──そこでも葉月は楽しそうにくすくすとこぼしたじゃないか。
 もう、このお姉さんの余裕にも小夜は付き合いきれないわよと、拗ねたくなってきたのだが……。

「──『悪役』も大変ですよね」
「おや、大佐嬢にそんなことを言われるとはね。私も衰えてしまったかね……!」
「……副連隊長」

 二人のその会話に小夜はハッとさせられた。
 『悪役』? では? 永倉はわざとそうしているのかと……。
 それにしてはなんとも徹底した嫌な男をやってることかと……。

 それに、葉月が『悪役だ』と言った途端に、あんなに意地悪そうな顔つきだった永倉の表情が緩んだではないか!?
 そして葉月がさらに永倉に、頭をさげた。

「副連隊長。有り難うございます。他の中隊長にあのように同意していただけるようにしてくださって」
「……なんのことかね。元々、彼等もそう思っていたのであろう?」
「ああすれば良いと……わざと」
「お嬢ちゃんは余計なことを考えず、やることをやればいい。余計なことも言わないことだ」
「……有り難うございます」

 その二人の話に、益々小夜は固まってしまった。
 なにもかも? わざと?? と。
 彼女を散々に攻撃すれば、黙っている中隊長達の隠している思惑を引き出せると思ったのだろうか?と……。

「今後も、言わねばならぬ事は言ってくださいませ。以前は、わたくしも若気の至りで随分と失礼な反抗をしましたが、今となってはあのときの言葉の数々が、どれだけ今の私に役に立っていることか。生意気だったお詫びを申し上げると共に、感謝をしていることもいつかお伝えしたく」
「なにをいっているのだね。私はしらん」
「……」

 永倉はさっさと葉月を払うような手振りをして追い払おうとしている。
 だけど、顔は真っ赤になっていて照れくさそうに慌てているようにも見えた。
 その証拠に、硬い表情だった側近の男性が笑いを堪えているのが小夜にも解った。

(こ、こういうことだったのね……!)

 沢山の人間を束ねていく上で、一人一人がそれぞれの役目を見いだして全うしようとし、そして管理のバランスを計っているのだと──初めて知った気がした!
 そうしていると下に降りるエレベーターがやってきて扉が開いた。

「では、お疲れさまでした。お先に失礼致します」

 葉月の丁寧な挨拶に、テッドと小夜も続けて会釈をした。
 そしてエレベーターに乗り込もうとしたときだった。

「御園君、たまには私とどうだね」

 葉月はふと驚いたように振り返ったのだが、永倉は大真面目な顔をしていた。

「君に相談したいことがあるのだがね。私の部屋に来てくれないか?」
「は、はい」

 流石の葉月も、突然の真剣なお誘いに戸惑ったようだ。
 テッドと小夜にもついてくるようにというアイコンタクトを送ってきたのでテッドと揃って頷き、歩き始めた永倉の後を追う葉月についていった。
 葉月が永倉の少し後ろを歩いている。すると永倉が本当についてきているのだろうか? というような顔で肩越しに振り返った。

「やれやれ。君みたいな娘がいると御園中将も気苦労が絶えないだろうね」
「どうも、そのようでございますわね」

 その時の永倉の顔は見たことがない穏やかな顔だった。
 そう──小夜が見てもそれはその話題を口にしただけあって『親父さん』と言った顔だった。

「しかし、これでお父さんも少しは安心するのではないかなと、私も思ったよ」
「……お聞きになられたのですか」

 葉月がふと……ついてきているテッドと小夜に振り返った。
 その葉月の顔がちょっと困った顔。
 それに気がついて、またテッドと目線を合わせて一緒に首を傾げたのだが……。

「女性として生きていくために、パイロットを引退とはね。正直──まだ君の暴れっぷりを見て楽しんでいたい気もしたけど、私が親なら『それでいい』と言ってしまうだろうね」
「……恐れ入ります」

 ──『パイロットを引退』!?
 その言葉の部分だけが、ガツンと小夜の胸の中に飛び込んできた。
 そしてそれは小夜だけでなく、隣のテッドも『……引退?』と立ち止まり呆然と呟いていたのだ。
 さらに──永倉少将は続けた。

「私の女房も最初にダメにしていてね」
「……そうでしたか」
「だけど諦めずになんとか二人産んだよ。今度、君はそれで頑張るのだね。仕事での活躍に力を注ぐことも結構だが、そうと決めたなら自分のことも大切にしなさい──」

 葉月が小さく『有り難うございます』と呟いていたが……。
 小夜はおろかテッドも呆然としていた。

 『女房も。ダメにしていて』、『諦めずに二人産んだ。そして今度は葉月がそれで頑張るのだ』と永倉少将は言った。
 そして『女性として生きていくために、パイロット引退を決意した』と──!?

 それはつまり──!?

(子供が……出来ていたってこと!?)

 だけど駄目になった。
 つまり流産をしたことがあるってこと……?
 それは……やっぱり隼人の子供?

 あらゆる事が小夜の頭に駆けめぐり、そしてその中では昨年の冬に遠くから葉月を眺めて苦悩しているように見えていた隼人の顔とか、そんな隼人をまるで『ふった』かのようにも見えていたぐらいに避けて拒んでいたような……葉月の哀しそうな顔が浮かんできた。

 足が動かなくなりそうになったが、小夜よりショックが大きそうだったテッドはもう立ち直っていて歩き出そうと顔を上げていた。
 そしてそんなテッドが小夜の様子にも気がついてくれたのだ。

「吉田。俺がつきそうから、お前……帰っていろ。それから誰にも言うなよ。大佐が自分から言うまで黙っているんだ、いいな」

 そう言われた小夜は、ただただ頷いてしまっていた。
 テッドが葉月の背を追っていく……。

 そして小夜はそんな葉月の背をただただ眺めてしまっていた。
 今までどんな事を背負ってきたのだろうか? と、初めてそう思った。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「お。どうだった? 初めての中隊長会。あれ、一人なのか?」

 大佐室に戻ると、帰ってきた小夜に気がついた隼人が明るく迎えてくれた。……いや、面白半分のような顔をしている。きっと初めての緊張感あふれる会議に出た小夜がどれだけ怖じ気づいたり慌てたりしたのか楽しもうという魂胆なのだろう。こういうところ、『一区切りついても』隼人は相変わらずの意地悪だったりするのだ。だけど──今の小夜はそんな気分じゃない。
 そして、海野中佐は朝から機嫌が悪いようで、今日はいつもの賑やかな冗談も言わずに黙々と机に向かっていたから、小夜が帰ってきても知らぬふりだった。
 だけど小夜はそんな様子にかまわず、妙な期待の笑顔を浮かべている隼人をじっと見つめてしまった。
 ──その何もなかったかのような今の隼人が見せる穏やかな明るさが、なんだか今日は痛く感じてしまう、そんな泣きたくなる気持ち。

「……なにかあったのか?」

 小夜の顔色をさっと隼人が読みとってしまったのか、彼の表情が途端に曇って心配顔に。
 すると達也も手元を止めて、小夜をやっと見た。

「まさか、今頃になって猛反対をくらってきたのか?」

 機嫌が悪そうな海野中佐ではあるが、ここはやはり大佐嬢の事を案じる言い方。

「……それが」

 小夜が泣きそうな顔をすると、二人の顔色が変わった。

「怖かったですー! 特に『永倉副連隊長』──マシンガンのような嫌味攻撃、噂以上でした!!」
「ほーら、言ったとおりだろう? 達也。吉田だけびびって泣いて帰ってくるって」
「知るか。あのおっさんのマシンガン的な嫌味なんて昔からじゃないか。もう俺は慣れっこだっつーの。それで? 小夜ちゃん……それでも丸く収まったんだろう?」

 二人の中佐は──そこだけはものすごい真剣な顔で小夜の返答を待っている。
 小夜は違う意味で泣きそうだった気持ちを改めて、笑顔を作った。

「はい、そりゃもう! 他の中隊長も満場一致でした」

 二人がほっとした顔になり、満足そうにお互いの目線を合わせて微笑み合った。
 そうして、息を合わせて大佐嬢を案じる二人の中佐。
 ──どれだけ、あの大佐嬢を見守ってきたのだろうかと、小夜はふとうつむいた。

「あの、大佐はちょっとした用があるとかで、ラングラー少佐ともう少ししたら帰ってくると思います」

 永倉少将に何故呼ばれたかまだ分からないから、中佐達を驚かせることもないだろうと小夜はここでは言わなかった。
 帰ってきた報告を大佐室にしたので、小夜はそのまま総合管理班の席に戻った。

「どうだった? 中隊長会」

 向かい席になった『マー君』もどこか面白そうに尋ねてきた。

「噂以上かな」
「だろう? 俺も初めて大佐についていった時は流石にびびったけどな」
「うん。でも──結構、いいおじさんかも」
「は? まさか!」

 柏木君は笑い飛ばしたが、小夜は密かににんまりとした。
 『なんにも知らないんだから』と──。
 そして、人って解らないものなんだなとしみじみとしてしまった。

 隣の席を眺めた。
 新人の小夜の面倒を見てくれているテッドが隣だった。

(……ショックだっただろうな)

 小夜もショックだ。
 もう心の中で踏ん切りがついたとは言え、憧れていた男性がそんな哀しい出来事に直面していた事が。
 それは大佐嬢に思いを寄せていたテッドもショックだったのではないだろうか?

 いや──もっと大変な事が!
 あの飛行機乗り一筋の大佐嬢が、現役引退だって……!!
 隊長になろうが大佐になろうが、本部の業務と平行させてまで現場で訓練に出ていた彼女が……だ!
 テッドやテリーと話しているときも、皆で言うのだが、『大佐嬢にとってコックピットは一番の場所で命なのだ』と。
 それぐらいに大事にしている『場所』だと誰もがそう思っているほどに、葉月が一番情熱を注いできたものだったのではないか?
 そこから去るだなんて!?

(それだけ──。澤村中佐という存在が『一番』になってきたって証拠?)

 それならば、その一番の存在である隼人は知っているのだろうか?
 今のところ、そんな素振りを見た気もしないのだが?
 小夜はまたふと、唸ってみる。

 それ以上に──小夜の頭の中で、葉月と隼人が微笑み合い見つめ合う絵図を作って、幸せそうにしてみようとしたのに。
 でも、何故だろう? 自然と幸せそうに並べられそうな恋人同士のありきたりな絵図が、どこか違うような気がして。
 ──ふと不自然に感じた事が怖くなったりした。

 なんだか彼女の未来が見えてきそうで見えてこないと、そんなふうに感じてしまった。
 彼女からは哀しみ色しか滲み出てこない。たまに情熱的な顔は垣間見るようになったのに、どうしてだろう? あんな冷たい横顔ばかり見ているせいなのだろうか?
 小夜は泣きたい気持ちになっていた。

 小夜はやりかけていた書類に向かって、隣の彼の帰りを密かに心待ちにしていた。
 この気持ち、彼ならきっと同じように解ってくれるはずだと……。

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