-- A to Z;ero -- * 秋風プレリュード *

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5.VS:じゃじゃ馬!

 忘れていた──。
 頭に血が上って一直線まっしぐらに帰ってきた達也だが、そうだ……大佐嬢は午前中は甲板に出かけてしまっているではないか? と。
 達也はがくりと力を抜いた。

 そこで冷静になってみて、達也は洋子のことを思いだし、泉美の直属の上司である彼女には報告しておこうと、内線電話で呼んだ。

「失礼いたします」

 洋子姉さんが厳かな姿勢で大佐室にやってきた。

「なにかご用でしょうか? あの……うちの笹川は」

 一緒に出かけたはずの二人なのに、達也が一人でいるので洋子は不審に思ったのだろう。後輩の姿を探し、あたりを見渡した。
 達也はそんな洋子にもむっすりとした顔を見せ、不機嫌に両腕を組み、荒い鼻息をつく。
 洋子が首をかしげている。

「……発作を起こしたから、医務室に連れて行った」
「え!?」

 洋子のその驚きは、『発作があった』に驚いているのか? それとも、『後輩がそんな身体』だと知らなくて驚いているのか?
 もし、直属の上司である洋子が『知らなかった』という事態になるなら、達也の『じゃじゃ馬への怒り』はおそらくかなりマックス値に至るだろう。
 さあ、どちらだ……!? 達也は中佐席からグッと洋子を睨むようにみつめ、彼女の反応を待つ。

「しばらく、落ち着いているみたいだったのに」

 洋子はあまり慌てる様子もなく、やはり『それもあれば驚くが、あってもごく日常で慣れている』といった具合の落ち着きぶり。
 洋子が知っているなら少しは気も収まるかと思ったのに、達也はなおさら、カッと頭に血が上りそうになっていた。だが、そこは洋子には堪えた。
 後の『じゃじゃ馬用』にすべてぶつけてやるためだ。

 なんとか怒りを堪えて、達也は静かに尋ねる。

「頻繁なのかな?」
「いいえ。慢性ではないわ」
「でも、勤務中でもあるんだ」
「ごくごくたまによ。それに彼女、そんな自分の病気とはうまくつきあっているし、一度も仕事で迷惑をかけたことはないのはわかるでしょう? 彼女は『ノーミスの泉美』なのだから」

 達也が黙っていると、洋子は達也の苛ついている気持ちを知ったのか、少しばかり呆れたため息をこぼした。

「彼女が『ノーミスの笹川』と呼ばれるまでに必死にやってきたのは、彼女自身にハンディがあるからよ。人一倍、頑張ってきたわ」

 洋子の怒ったような言い方。
 傍にいた私が一番知っているのだという確固たる顔をしていた。
 今度は達也がため息をこぼした。
 先ほどの『でも、勤務中でもあるんだ』という『中佐としての呟き』に洋子は腹を立てたのだろう。
 たとえ、ハンディがあっても勤務に差し支えては意味がない。そしてそれを一番口惜しく思うのは、周りの人間でも上司でもなく、ハンディを背負っている本人そのものだろう。
 シビアに考えると、彼女をこの忙しさ極まりない本部員として置いておくべきかどうかという点になり、達也は真っ先にそれを思い浮かべたのだ。そしてそんな視点でふと先を案じている達也の様子を察知した洋子は、泉美の苦労の十年を見てきただけあって、彼女はちゃんとやったと抗議をしている。

 つまり──達也が『じゃじゃ馬』に対して、腹を立てているのも、そういう争点なのだ。

「ああ、解った。あとは『じゃじゃ馬』とやる」
「達也君──」
「泉美さんは大事な人材だし、むしろ先を延ばしてやりたいと思ったんだ。だから……」

 それが困難な道のりであろうことを知ってしまい、じゃじゃ馬への怒りの中には、そんな唐突すぎるショックを感じる羽目にさせられたことも含まれているのだろう。
 今は俺が口惜しい。だから……ショックだったのだと、達也は唇を噛みしめた。

「お願い──。達也君だって泉美の実力が判ったでしょう? 泉美は実力があるけど、持病があるからと自分で出来る範囲として、今のポジションに収まっているだけよ。だからこそ、自分の範囲にあることは完璧に出来る努力をしてきたのよ。私は目立たない場所でも、そんな努力を怠らなかった泉美を海野君が選んでくれて、とても嬉しかった。泉美は大人しくてそれほど感情を外に出さないし、選ばれた時だって彼女らしい静かさだったけれど、彼女もとても喜んでいたのが伝わってきたわ! 葉月ちゃんが黙ってみていたのだって……」

 シビアに判断すべきかどうかで迷っているような海野中佐に、『取り消さないでくれ』と必死に頼み込む経理班長。
 洋子の気持ちは解る。だけど、達也の気持ちも収まらない。

「……黙ってみていたことに、俺は怒っているんだ!」
「達也君、聞いて。あのね、葉月ちゃんは……」
「だから、後は『大佐』と話すよ。『大尉』、ご苦労様」
「……いいえ」

 ここぞとばかりに先輩でもある洋子を、中佐と大尉という関係で遠のけた。
 洋子が一礼をして、少しばかり不満そうな表情を残し大佐室を出ていった。

「あんにゃろうー」

 一人きりの大佐室で、達也は黒髪をくしゃくしゃとかきむしり机にうなだれた。

「じゃじゃ馬と洋子さんが知っているのに、俺は知らないんだ? ……兄さんも知っているのだろうか?」

 なぜ、黙っていたのだろう?
 達也が彼女を選んだと言うことは、『現状以上の業務』を想定できたはずだ。
 外に出れば、今までとは違うプレッシャーが新しく加わる。座っているだけの仕事だけでもなくなる。そんな『チーム選抜』だと判っていて、葉月は泉美を選んだ達也になんの宣告もしなければ、注意すらしなかった。
 それは上官としては、部下を預かる管理する立場として怠慢とも言えないか?

 だけどだ──『葉月に限って』は、何かありそうなものだから、ただ真っ直ぐに怒るだけでは『こっちがやられ損』になる。
 それを『どうしてだ? どうしてだ?』と、ひたすら苛々しながら悶々と考えているときだった。

「ただいま。達也、帰っていたのか」

 達也と同じように外部署へのミーティングに出かけていた隼人が帰ってきた。

「助かったよ。サンキュー。吉田は管理班に戻らせておいたから」
「そう」
「さて、せわしいけど……。遅れ馳せながら、甲板に行くとするか」
「あれもこれも大変だなあ」

 隼人は『まあな』と笑いながら自分の席に戻り、抱えていたバインダーを降ろしたかと思うと、今度は作業着が入っているリュックを手にしていた。
 最近、隼人はこうして訓練を抜けるようになってきていた。隼人がいない間は、佐藤大佐が監督し、チームの先導は次期キャプテン候補と定めているとか言うサブをしているファーマー大尉にさせているとのことだった。
 メンテチームでは隼人が急に始めた妙なその移行について不思議に思う者もいるようだが、ただ単に『他に手がけている仕事があって、手が回らない』と思っているのが殆どとのこと。そして隼人も『そういうこと』に今のところはしているとか……。

 そんな隼人が、遅れても途中でも訓練へと向かおうとしているのだ。
 おそらく、後輩たちはしっかり者の頼りがいがあるキャプテンの到着を待っていることだろう。

「泉美さんを連れて行ったみたいだな」

 そんな兄さんからの何気ない一言に、達也はどっきり。だが平静顔を保ちながら『ああ』と答えておく。

「彼女、良さそうだよな。俺も良いなと思っていたんだ」
「だろう? だから、俺も選んだんだけどな〜」
「だけどなあ? 何かあったのか?」

 心で思っていることが言葉の端に出てしまっていたことに、隼人のつっこみで気がついた達也は、またもやどっきりと胸を押さえたくなる。

 だいたい、この兄さんも知っているのじゃないか?
 達也が小笠原に戻ってくる前に聞いているかもしれない? いや、泉美を海野チームにと選んだときに『恋人の大佐嬢』から聞かされているかもしれない?
 だとしたら、本当に『隊員を選んだ俺だけが知らされていない』ことになるじゃないか?
 もしそうであるなら、それが一番、腹が立つ!

 隼人が泉美の事情を『管理上官』として、知っているのか、知らないのか? 
 達也は知りたいが、その聞いた結果によっては今以上に怒りが抑えられずに、じゃじゃ馬が帰ってくる前に隼人に飛びかかりかねない──と、思ったのでここでも、なんとか新しい衝動を抑え込んだ。

「さて、急がないと。甲板にあがって直ぐに退散になってしまうな」

 腕時計を眺めながら、『泉美の話題』などなかったかのように急ぐ隼人を見て、達也は『知らなさそうだ』と、ふとそう思えた気がした。
 隼人が訓練の荷物片手に大佐室を出ようとしている、そんな時。

「失礼いたします」

 なんと──その『噂の張本人』泉美が大佐室に入ってきたのだ。
 出かけようとした隼人も当然、足を止めて泉美に微笑みかけていた。

「泉美さん、達也との会議どうだった?」
「結構、楽しかったわよ。澤村君」
「へえ。さっすが、落ち着いているよな。これからも増えるかもよ」
「そうかもね。海野中佐次第だけど」
「そりゃもう、達也は期待しているみたいだよ」

 隼人の『なあ、達也』という明るい言葉の投げかけに、今の達也はちょっと苦笑い。
 でも隼人はそんな達也の表情よりも、訓練に急ぐことで頭がいっぱいなのか、『じゃあ』と言って行こうとしている。やはり……なにも感じるところがない様子だ。

 そして泉美も……。何があったのかなど匂わせもせずに 『訓練? いってらっしゃい』と隼人を笑顔で送り出す。
 二人は山中を含めた同い年だ。そんな点で、以前からこんな親しげではあるのは達也は知っていた。
 そんな慣れた同級生の会話で、隼人はさっと出かけていった。

 静かになった大佐室に彼女と二人きりになる。
 泉美が静かに達也の席の前にやってきた。

「大変、失礼いたしました。ご迷惑をおかけしてしまい……」

 申し訳なさそうに厳かに頭を下げる様も……彼女らしくとてもしっとりとしていて、かえって心を落ち着かせられる柔らかさだ。

「別に。業務中ではなかったし」
「しかし……」

 お茶に行く、行かない──でも行こうとやりとりをして、少し彼女と距離が縮まった気がしていたが、なんだか急に素っ気なくなった気がした。
 おそらく、自分が迷惑をかけたことを気にして、急に気が引けたのだろう?
 そして彼女はしばらく、そのまま黙り込んでいた。
 達也は彼女のその様子を静かにみつめているだけ。

 なんだか彼女が思っていることが手に取るように判るというのだろうか?
 変な感触だった。
 医務室で横になっている間、何を考えていただろうか? それは──きっと……。その達也の予想通りのことを彼女が言おうとした。

「やはり私には……」

 その呟きだけで、達也は彼女に対し凄むように睨みつけた。

「それは俺の判断。今は保留中。待機していてくれないか? 大佐嬢と相談する」
「──でも!」
「下がってくれ」

 容赦なく彼女を退けようとする中佐としての姿に、さすがの泉美もやや恐れたように固まっていた。
 だが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻し、静かに一礼をして大佐室を出ていった。

 そんな彼女の後ろ姿を達也は密かに眺める。
 とても残念な気持ちが勝っていた。

 あんなに苦しそうに悶えていた彼女の欠片など……。そのしっかりと落ち着いている今の後ろ姿からはひとつもうかがえない。
 何事もなく、本当になにもない一人の隊員であるように見えるだけに、本当に残念でしかたがなかった。

 泉美をあんなふうに厳しい姿勢ではねのけたが、そうじゃない。
 本当はどう接して良いか判らなくなってしまったのだ。
 きっと、こんなことは達也以上に彼女の方がたくさん考えて、たくさん苦しんで、たくさんの答えを持っているはずだから……。
 そんな自分を少し恥じた。

 そして、もう少し一人で考えたかった。

 じゃじゃ馬との決戦を前に──だ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 じゃじゃ馬が帰ってくる時間帯までに、提携運営をしている五中隊の陸管理班とのちょっとしたミーティングが残っている。
 気持ちを切り替えて、それに参加。ランチも取り終わって、甲板から帰ってくる葉月を悶々と待ちかまえていた。

 キッチンではテッドが訓練とその後に続くランチに出かけて帰ってくる葉月を待っている。
 毎日のことだ。そして今日は小夜も一緒にいた。
 このごろ、同じ班員になったせいか、アンバランスであるが妙な連携を見せる二人──。テッドの指導で小夜もお茶入れの練習をしているようだ。それがなかなか、急に腕を上げてきているのだ。

 そして、待ちに待ったそのときがやってきた。

「ただいま」
「おかえりなさい。大佐」

 葉月が帰ってきた。
 長めになった栗毛をさらりとなびかせ、細身の身体はしゃきんと真っ直ぐ。大佐室のドアの向こうから軽やかにクールな空気を取り巻いて現れる。
 そのとき、本当に空気が変わる。
 それを感じるのは達也だけじゃない。キッチンから出てきたテッドに小夜も、どこかピシリと姿勢を改めなおしたようなピンとした姿勢になったのが分かるぐらいだ。

 葉月が現れると、風が颯爽と吹いたように感じる。ぴりっとしているような、それでいて優雅に香るような。そんな彼女の名前のごとく、木陰の葉が風にそよがれて薫る──と言った感じなのだ。

「今日も暑かったわ。九月と言っても小笠原は無関係ね」
「でも大佐、日焼けしませんね」

 小夜が早速──葉月が昔から気に入って作っていた『ジャスミン入りウーロン茶』を入れた一杯を大佐席に持ってきた。
 葉月も慣れてきたのか遠慮なく『有り難う』と礼を述べて、さっと一口飲み干す。

「そりゃ、もう──コックピットにいた時から必死よ? UVプロテクトのミルクをべったべたに塗ったりしてね」
「やっぱり〜。そういう努力しているんですね! 毎日が肝心なのですよね。私、すぐにさぼっちゃう」
「でも、それだけだから。実際は化粧っけ全然ないし」
「いいえ、基礎が大事なんです。その基礎が、なかなか続かないんですよね〜」

 こうした女同士の会話が聞けるようになったのも、小夜が出入りを始めてからだ。
 テリーと葉月だと真面目すぎて、こうはなりにくい。その点は隼人と共に『予想外の良き産物』と密かに囁いていた。
 このごろ、二人は妙に気があっているようで楽しそうだ。

 ……じゃないっ。
 女の子同士の交流を微笑ましく眺めている場合じゃないと、達也は気を改めて席を立った。

「葉月。話がある」

 葉月がふと大佐席から、海野中佐席に視線を流した。

「どうかしたの?」

 『そんな怖い顔をして』とでも言いたそうに、葉月がたじろいでいる。
 きっと、そういう顔と気迫が達也から滲み出ているのだろう。
 その証拠に、大佐嬢との会話を楽しんでいた小夜まで、顔色をさっと変えて退いていったぐらいだ。

「俺が会議に出かけたときのことを覚えているか?」
「会議って? 今日の?」
「ああ。その時に何か思ったことはないか?」
「さあ。なにも?」

 静かに詰め寄っているせいか、葉月にはまだ達也のメラメラとしている気持ちは伝わっていないようで、彼女は『それが?』とキョトンとしている。
 その自覚のなさそうな顔に、やや鎮まったかと思った怒りがフッと込み上げてきた!

「思い出せ! 俺が今日、誰と一緒に会議に行ったかを!」

 そのままの勢いで達也は席にあったバインダーを手に取り、バンと荒っぽく叩きつける。
 大きな音が響いたので、キッチンで待機しているテッドと小夜がおののいたのが目の端に映った──が、目の前の大佐嬢はそれぐらいなんのその、平気な顔どころか、きゅっと引き締まった顔つきになった。
 その顔つきが達也がよく知ってる『戦闘モード』の構えであるのが分かった。
 その顔になって、葉月がしばらく黙っている──。何かをさっと整理して考えている顔だ。
 長年、波長が合っていると自負しあってきた二人だ。達也にはそんな『彼女の間』も手に取るように分かる。
 彼女は次には達也が望んでいる答えを口にするだろう。それが分かるから、達也も黙って待っている。

 そうして達也の待っていた言葉を、葉月が静かに呟いた。

「泉美さん、何かあったの」

 それを一発で通じてくれて本来なら『やっぱり俺のじゃじゃ馬』と喜びたいところだが、それが喜べないだけに達也は悔し紛れにもう一発、机にある書類をばさりと叩きつけ、葉月に詰め寄った。

「あったと言えば、俺に対しての『言い訳』なんかが聞けそうだなあ」
「……」

 だけど、葉月はシラッとした冷めた目つき。
 動じない平坦な氷の大佐嬢の顔で達也に淡々と向かっているだけだ。
 これが時々、嫌になるほど腹立たしくなる。
 達也がどんなに喚き散らしても、この『氷たる構え』の鉄壁に何度『敗北』してきたことか!

 こいつが時々可愛い顔で笑ったり、泣いたりするのを知っている。
 なのに──可愛げがない、女を感じさせない顔を崩さない強さも秘めている。
 その可愛げがない時に、なぎ倒されていく男を自分だけでなく何人も達也は見てきた。
 そんな容赦ない『冷たい女』なのだ、この大佐嬢は。それが男としてものすごく腹立たしくなったり、悔しかったりさせられるのだ。

 そしてその腹立たしい平坦な顔、そして低い動じない声で葉月がさらに答える。

「泉美さん、大丈夫だったのでしょう? それなら問題はないと思うけど」

 達也は『はあ? なんだって?』と、言い返したが葉月はツンとした横顔を見せているだけ。
 そりゃ『問題はない』だろう? 洋子から聞けば今に始まった話でもなければその状態で十年以上、彼女は勤め、葉月は部下として使ってきたのだろうから? 彼女が死にそうになったとか、医療センターに緊急搬送された等の事態でなければ、『いつものこと』なのだろう?
 そうしてあっさり、一言で片づけられようとしていた。
 その証拠に、葉月は『話は終わった』とばかりに大佐席の黒い革椅子に座ろうとしているのだ。

 達也の怒りが頂点に達した。
 自分でも頭の中で『ぷつん』とした音が聞こえたと言っても良いぐらいに!
 達也はそのまままっしぐら! 大きな革椅子に座った大佐嬢を躊躇いもなく、襟首をつかんで持ち上げる。
 その力の方向に逆らわずに、葉月も再び椅子から素直に立ち上がる。
 だが、二人は鼻先が触れ合いそうな位置で、お互いに凄む視線で牽制しあっている。

 始まってしまった──のだろう。
 テッドと小夜が揃って、慌てるように大佐席に向かってきた。

「ちょっと……! 二人ともどうされたのですか!?」
「そうですよ。海野中佐──大佐でも女性ですよ? そんな乱暴なことやめて、離してあげてくださいっ!」

 テッドは叫び、小夜の声は達也が男としてやっていることにショックを受けたのか、泣きそうな声が震えていた。

 すると葉月が、これまた達也にとっては腹立たしい落ち着きで、すっとテッドと小夜を手のひらで静かに制し、そこから退くように無言で促したのだ。
 テッドは『大事な大佐嬢』が、大きな男に胸ぐらを掴まれているのでハラハラしていることだろうから簡単に下がりはしないが、それ以上は突っ込んではこなかった。

 そして葉月がにやりと二人の後輩に微笑んだ。

「いいのよ。海野とは出会ったときからこうなの。ねえ? 達也」
「ああ、そうだ。これが俺達らしさだもんなあ?」

 葉月の動じない余裕に負けないよう……。しかしその余裕にやっぱり腹を立てながら、達也も頬を引きつらせつつ微笑んでみせる。
 邪魔が入らなくなり、達也はさらにグッと葉月の襟首を締め上げるように自分の顔に近づけた。

 これがロマンティックな口づけの時ならどんなにかと一瞬思ったが、今は目の前の生意気なお嬢ちゃんの顔に噛みつきたい気持ちだ。
 その顔に向かって達也は怒りを押さえつつ囁く。

「目の前で発作を起こされて、初めて知った俺の気持ちが分かるか? なぜ、黙っていた! もっと早くに俺に知らせるべきだったとは思わないのか!? 何も知らないで使うところだっただろ!」
「なに。黙っていたことがそんなに気に入らなかったの」
「当たり前だろっ! 今までの業務より範囲が広がることぐらい『とっても優秀な大佐ちゃん』なら、分かっただろう!? 何かあってからじゃ遅いんだぞ!!」

 ギュッと力が入った手元に対し、さすがに葉月の顔が苦しそうに歪んだ。
 さらに達也は、午前中溜め込んでいた怒りのすべてをまくしたてるように葉月にぶつける。

「おまえ、自分が『部下の命』を預かる『責任ある立場』だと分かっているんだろうな!?」
「当然じゃない……」
「だったら、傍にいる上官が知っておく必要があるとは思わなかったのか!」

 そしてやっと彼女が抵抗する。襟首に手を持ってきて達也の手首を掴んだ。

「……は、離しなさいよ」
「訳を言え、訳を! このじゃじゃ馬!」
「訳? そんなもの、言う必要ある? この・・・っ。無駄吠え・・」

 息詰まったような声で『無駄吠え犬!』と呟いた葉月の手に力が入った!
 それで達也も察知する──。この女は油断していると、とんでもない目に遭わせてくれるのだから。
 だからその前に、達也は葉月の襟首ごと大佐席の上に突き落とした!

 当然、葉月は書類やバインダーの上にザッと横に倒れ込む。
 彼女のデスクから山積みになっていたバインダーや書類がバラバラと盛大な音を立てて崩れ落ちていった。

「わわ……! もう、いい加減に」
「もうやめてくださいよ〜。大佐、大丈夫ですか……!」

 テッドは床にしゃがみ込んでバインダーをかき集め、小夜は机の上に仰向けで倒れた葉月に駆け寄った。
 だが、小夜が手を貸そうとする前に、葉月は栗毛をかき上げながらゆっくりと起きあがった。

「……悪かったわ。黙っていて」

 跳ね起きて飛びかかってくるのが今までのじゃじゃ馬だったはず。だから達也は『再戦』の心構えで警戒していたのに、案外、あっさりと彼女が非を認めたので拍子抜けした。

 葉月は唇を噛みしめながら、机の上に座ったまま、襟首を整えため息をこぼしている。

「わ、悪かったよ。お、俺も……その、」

 乱暴に扱ったことなんて今までも『同僚』としてなら気にしなかったはずだが、それでも急にさっと熱が冷まされていくようだった。

「テッド。泉美さんをこっちに連れてきて」
「は、はい……」

 バインダーを集めていたテッドが急いで大佐室を出ていった。
 小夜が泣きそうな顔で散らばった書類をかき集めていた。
 その隣に寄り添うように、葉月もかがんで書類を拾い集める。

「驚かせて、ごめんなさいね。大丈夫よ……。慣れているから」
「は、はい」

 女の子の間では、まるで『俺は悪者か』とでも言いたくなるような様子ではないか。
 冷めた怒りがまたふっと再燃しそうになった。

「大佐、連れてきました」
「失礼いたします」

 問題の彼女がやってきた。
 葉月は書類拾いは小夜に任せて、大佐席の革椅子へと戻って悠然と腰をかけた。
 そして泉美を大佐席の前に呼び寄せる。

「泉美さん、こっちに来て」
「はい」
「達也もよ」

 二人揃って何事にも平然としている葉月の前に並ばされた。
 そして葉月は泉美に微笑みかけた。

「……大丈夫? 泉美さん」
「大丈夫です。大佐」

 泉美は若い葉月に対しても、隊長と向き合っているきちんとした姿勢は崩さなかった。しかし葉月にしても泉美の表情にしてもそこには長年そっと繋がってきた『女同僚』の疎通を達也は見せられた気がした。

「泉美さん、海野中佐が心配しているのだけど」
「分かっています」

 泉美が致し方なさそうにうなだれた。
 なんだかそこまで気にしている彼女を隣で見下ろしていた達也の胸が、にわかに痛んだ……。
 そんな達也の密かなる心配をよそに、泉美が急に覚悟を決めたようなしっかりとした顔つきで大佐嬢に向き合った。

「……やはり辞退させてください。海野中佐の業務はこの中隊では要になる重責たる業務です。そのお手伝いが出来るのは光栄に思いましたが……やはり迷惑がかかる危険性がある以上は、私としても一隊員個人としての責任が果たせないと思いますので」

 そんな泉美の『決断』──。
 達也はショックを受けていた。
 先ほども、彼女がそれを言い出しそうだったが達也はそれを言わさずに『俺の判断』と偉ぶって退けた。だが、本当はそうは言ってほしくなかったからだ。
 本当は……! 選んだままに続けてほしいのだ。だけれど、彼女の身体を心配しているのだ。
 達也の中でそんな葛藤が生じている間に、葉月が答えた。

「そうね。貴女がそう決めたなら、仕方がないわね」
「はい。申し訳ありません。大佐嬢……」

 葉月があっさりと、『チーム辞退』を許可した。
 それにも達也は驚いた。
 じゃじゃ馬なら『ハンディがあっても、やり方によっては出来るのだ』と言ってくれる方だと達也は信じていたからだ。『御園大佐嬢』はそういう指揮官だと達也は思っている! なのに……その大佐嬢が、本人の意志のみであっさりと承諾した。
 今度は違う気持ちが熱く盛り上がった達也は、その勢いで大佐席に両手をバンとついて、葉月に詰め寄った。

「待て! 選んだのは俺だぞ!」

 だが、葉月はまた──あの無感情な氷の顔つきで、達也を平坦に見ただけ。
 いよいよ腹が立ってきた! もう一度、ひっつかんでやろうか!? と思ったぐらいだ。
 だが葉月が静かに呟いた。

「だけど、彼女が言っていることはもっともだわ。実際に今日、海野と仕事をして発作を起こした。そして上官である海野中佐はその先を案じた。業務の事以上に……笹川の身体を第一と考え、今後、どうするべきか迷っている。でしょう?」
「……そ、そうだけど」
「私たち以上に、泉美さんが一番、自分の身体のことを分かっているのよ。その彼女が『無理だ』と言っているのよ。だったら、私たちは『彼女の身体を第一に考え、無理はさせない』が一番でしょう」
「そ、そうだが……」

 葉月の淡々とした結論にも、達也は徐々に納得していくのだが──。いや! 違う、そうじゃないと首を振り、再び葉月に迫った。

「違う! だったら、なぜ! 俺が選んだときに、『危険性について言わなかったのか』と、俺は怒っているんだ!!」
「だから、黙っていて悪かったといったじゃない」
「はあ? 言いたいことはそれだけか!? だったら、おまえの『見落とし』ってことだな!!」

 すると葉月がとても面倒くさそうにため息をこぼし、椅子をくるっと横に反転。ついにそっぽを向いてしまった。
 そのふてぶてしい態度に、また達也が燃え上がろうとした時だった。

「海野君──。私が『葉月ちゃん』にお願いしたの。海野君には黙っていてと……。本当なら、こういう『特例』はあってはいけないのかもしれないところを承知で……」
「泉美さん、言わなくていいのよ。そんなこと! たとえ泉美さんにお願いされてもされなくても……私は何かあったら責任を取るぐらいの覚悟で『隊長』をしているんだから。その上で、今回は泉美さんに海野の仕事を手伝ってもらうと、隊長の私が『望んで』判断し、許可したのよ。泉美さんだけじゃない。他の四中隊員すべてに何かあったら私の責任なの! だから、気にしなくて良いのよ!」
「でも──。私が『今回だけ』と、貴女に無理を言って我を張ったから……。やっぱりこんな事になってしまって……」

 女二人の会話に、達也はハッとして二人の顔を交互に見た。

「はあ!? そういうこと!?」

 『どうして葉月が黙っていたか。見落とした上官になりすましてでも黙っていたか』が分かった達也はショックを受けた。それと同時に『無理があるのは承知で、部下の願いを聞き入れたのだ』ということを、『信頼ある側近補佐官』には告げてくれなかった事にもショックを受けた。
 そんな呆然としてしまった達也に隣にいる泉美が申し訳なさそうに話し始める。

「……今までも、葉月ちゃんから『総合管理班へ行かないか』と何度か言ってもらえていたの。そして、私はその度に断ってきたのよ」
「え……断ってきたって」
「やはり自己管理が出来る範囲以上の業務は、責任もてないし、いくら葉月ちゃんと洋子さんがフォローしてくれると言っても、そういうのは……。私が納得できなかったから……」

 達也が目をつけて『笹川泉美』を選んだように、葉月も以前から彼女を向上させようと配置換えを試みてきた事を初めて知った。
 そして泉美は、自己管理が出来る範囲に自ら収まっていく選択をし続けてきたのだと。そしてその出来うる範囲での『完璧な努力』をやり遂げてきた。
 ──洋子が言っていたとおりだと達也は思わされた。
 そして達也は、まだ横を向いてふてくされている葉月を見下ろした。
 達也に黙ってでも、泉美が『やりたい』と言い出したから『黙っていた』のだと。おそらく──葉月も何かあれば『多少は問題になり、達也には怒られるだろう』という覚悟の上でやっていたのだろう。だから……先ほどの達也の『怒り爆発』も、予想済み。いつも以上に落ち着いていたのも頷けた。

 そして葉月が横を向いたまま、呟く。

「笹川さん。こちらで判断をしますから、あちらで待機していて。今から海野と話すから」
「……いえ。ここで辞退させてください。経理のみに戻らせていただきます。お願いします、大佐」
「そう。仕方がないわね」

 葉月の『決定猶予』も、泉美はきっぱりとはね除けた。
 余程の決意だと達也はうなだれた。
 泉美はそのまま確固たる顔で大佐室を出ていき、葉月も黙って見送ってしまったではないか。そして達也も──意志がはっきりしているお姉さんと、それを黙って淡々と受け止めている大佐嬢のやりとりに入ることが出来ず、ただ見ているだけになってしまっていた。

 大佐室に静けさが流れる。
 そこに居合わせて聞いてしまった小夜が言った。

「……やっぱり。泉美さん、身体悪かったんですね」

 その声に、達也は振り返る。

「小夜ちゃん、知っていたのか?」
「いいえ。発作があることは知りませんでした。でも、時々、とても疲れた顔だなと思ったら、早退したり次の日はお休みしたりしてましたけど。頻繁じゃないし、私たちが同じようにお休みする程度でしたから。でも──皆で、そう噂はしていたんですよね。泉美さんは身体のどこか悪いのじゃないかって……。でも、誰も泉美さんのこと悪くはいいませんでしたよ。むしろ仕事のフォローを何度もしてくれて助けられてばかりでしたから、私たち」

 泉美の側にいた後輩は、なんとなく感じていたようだ。
 それでも泉美は周りの負担にならないことを第一に心がけ、疲れているときは疲れているとして身体とうまくつきあい、決して無茶をして周りに迷惑をかけないようにしてきたことが、達也にも伝わってきた。
 そして、達也はまだ横向きに座っている葉月を見つめる。

「泉美さんに頼まれただけで、黙っていたのか?」

 葉月が力無く首を振る。
 どこか……葉月もがっかりしているように見えてきた。

「……まさかね。達也がそんなに狼狽えるとは思わなかったわよ」
「わ、悪かったな」

 がっくりしている葉月を見て、達也はそんな狼狽えてしまった自分が情けなくなってきた。
 きっと達也が知っても、落ち着いて受け止めてくれると信じてくれていたのだと。だとしたら、達也は大佐嬢の期待を裏切ったことになるだろう。
 そこが情けなくなってきた。

「泉美さん、今まで私の『申し出』には考えるまでもないとばかりに即答で断ってきたのよ。それでも、勿体ないと思って何度もトライしたんだけどね」
「──だよな。彼女、出来ると思うよ。俺も」

 そしてそこで葉月がふと、小さく笑った。

「だけど、今回はなんだか違ったみたい」
「え? 違うって。なんだよ?」
「今回の『海野チーム』の事も、私のところに相談に来たわ。だけど『断る』という相談ではなくて、『迷惑がかかるからどうすればよいか』という相談だったわ。今までと明らかに構える姿勢が異なっていた。つまり、それは泉美さんの中で『本当はやってみたい』という気持ちの表れだと私は感じ取ったわ」

 水面下で大佐嬢とその女先輩が、選んだ張本人の知らないところでそんなやりとりをしていた事にも達也は驚いた。
 そして、泉美も──。『今回はやってみよう』と、今まで守っていた壁を越えて『やる気になって』くれたのだと分かった。

「だから私はこう勧めてみた。これは総合管理班への異動ではなく『ちょっとしたお手伝いからの始まり』だから、自分を試すために小さなところから今回はやってみたらどうかと勧めてみたの。それで泉美さんは納得したように頷いた。だけど、達也には身体のことはどうしても黙っていてほしいと……」

 泉美の言うがままに受け止めていた葉月が、実は自らも泉美の後押しをしていたことに達也は驚く──。

「でも、おまえ……。今、泉美さんの辞退をあっさり承諾したじゃないか」
「本人のやる気の問題だもの。だけど泉美さんは身体を労るというより、『絶対に周りには迷惑をかけない』という信条を頑なに貫き通しているよう、私にはそう思えるわ。その彼女の信条を今までは尊重してきたんだけどね……。だってその信条で彼女は自分の手の届く範囲のことは完璧にこなしてきたんだもの。だから、今回も『たった一回の発作を、一番の責任者である海野チームの代表者──海野中佐に見られた』上に、手間をかけたということは、泉美さんにしては『大きなミス』をしたに等しく思っているはずよ。だからその『責任』が『辞退』ってわけなのでしょうね」
「──発作を見られたのが『ミス』!?」

 達也は『冗談じゃない!』と叫んだが、葉月は諦めきったように微笑んだだけだった。

「それが──泉美さんの信条なのよ。健康な私達が『その気持ち、分からない』なんて言ったら、泉美さん、すごく怒ると思うわ」
「……そうか。そうだよな」

 達也はますますうなだれる──。
 自分は狼狽えたし、彼女とどう接して良いか分からなくなったし、そしてやっぱり手放したくないと、ゆらゆらと迷ってばかり。
 葉月の方が、何年も泉美を見守ってきた分、それは達也も適わないところだったと、がっくりと力を抜いたのだが……。

「馬鹿ねえ」

 達也がおもむろに顔を上げると、葉月がちらりとした視線で達也を冷ややかに見上げていた。
 そして葉月がすっと静かに革椅子から立ち上がった。

「──そんなにがっかりするなら、引き留めなさいよ! なにぼんやりしているのよ!!」
「!」
「だいたいにして、私が黙っていたぐらいで、部下の持病が判明したぐらいで、こんなに狼狽えて騒ぐだなんて思わなかったわよ。達也なら、落ち着いて受け止めて、私が言わなかったことに関してもうまくキャッチしてくれるかと思ったら……」

 葉月がびしっと大佐室のドアに向けて、『行って来い!』と指さした。

 今度は葉月が燃え上がっているようで、ばしばしと飛んでくる言葉の嵐に、達也が後ずさりたじろいでいた。
 すると後ろにいた後輩達までもが……!

「海野中佐。笹川さんがやる気なら、俺だってフォローするし」
「私もっ! 本当なら、泉美さんが総合管理班女性第一号だったんじゃないですか! 今度は私が泉美さんを助けたいです!」

 後輩二人も『笹川泉美』と仕事をしたいと言っているのだ!
 達也が外に向かおうとしたときだった。

「待ってよ、達也」

 葉月に呼び止められて達也は振り返る。
 そして葉月は大佐席から離れ、『泉美を説得する方法を教える』といって達也のところまでやってきた。

「説得する方法ってなんだよ」
「あのね……」

 彼女が耳を求めていたようなので、達也はちょっと身をかがめて頭を傾けたのだが。なんだかその頭がぐいっと激しく動かされる……!
 達也が身をかがめたのを良いことに、葉月は達也の襟首を掴んで、さらに片足を勢いよく床から跳ねて飛ばしてくれた!

「……げ。おまえ! やめっ」

 気がついたときには、既に時遅し!
 足も払われバランスを失った身体は、軽々と大佐嬢の腰で跳ね上げられて宙に浮いていた!

「さっきはやってくれたわね!!」

 ドシン──! と、床が揺れたような衝動が達也の背中に走った。
 目の前に火花が散ったようにしばらくはちかちかしていたが、ふと目を開ければ、大佐室の天井が見えていた。

 そして、そこには勇ましく腕を組んで『俺』を見下ろしている、生意気な栗毛の大佐嬢が見下ろしていた。

「──気合い入れ直してよ。それが説得方法。型にはまった達也なんて見たくない。型にはまった中佐の判断だと泉美さんが思ったから、『黙っていてほしい』と願い出たと思わないの。達也はそう見られているって事よ」
「!」
「それ、達也が私によく言っている事じゃない?」
「……そうだった」
「泉美さんのこと、貴方に任せたわよ。海野中佐」

 葉月は諦めていない。
 ただ──その役は『海野中佐に適している』として、黙ってみていてくれたのだろう。そして何かあれば、達也でなく葉月自身がすべての責任を取るつもりで、黙ってみてもいたのだと。
 達也は暫く……。やはりこの女にはいつまでも勝てないのだろうかと唇を噛みしめて、目をつむった。

「……初めて会ったときも、こうしてお前に投げられたよなあ」
「そうだったかしらね……」

 葉月は静かに笑ったが、達也は泣きたい気持ちになってきた。
 ある日突然やってきた年下の生意気な『フロリダ特別校生』。
 あんまり生意気で可愛げがないのがしゃくにさわって、本気でかかったら、あっさりと負けたのだ。
 その時の彼女の輝く燃える顔と瞳が忘れられなかった。彼女は燃えて戦っている。なにかと……。
 それに惹かれてここまでやってきた──。

 そんな事を、思い出していた。

 暫しそうしていると『ただいま』と言う声で大佐室のドアが開く。

「な、なにがあったんだよ……!」
「あ、澤村中佐……。おかえりなさい」

 どうやら、隼人が帰ってきたようだ。
 大佐嬢の足下に無惨に倒れている男がいる光景に、驚いているのだろう。
 その声を聞いて、達也は飛び起きる。

「行って来る」
「いってらっしゃい」

 そうして送り出してくれた葉月の顔は──出会ったときのように勇ましく輝き、そして今は優しい柔らかさも覗かせている。
 達也はその笑顔に同じように笑顔を返す。
 そのまま経理班に向かった。

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