-- A to Z;ero -- * きらめく晩夏 *

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1.彼の先手

 目の前に、新たなる道を拓こうとしている中佐二人が差し出した書類束。
 葉月はそれを静かに手に取った。

「解ったわ。検討しておきます」

 とりたてて『反対』の文句もなく、二人の気持ちを受け取った大佐嬢の落ち着きに、目の前の中佐達がほっとした顔を揃えた。
 急な彼等の申し出に、葉月は溜め息をもらし俯く。
 その気持ちは受け取ったが、葉月にも言いたい事はある。

 葉月は顔をあげ、まずは隼人に向かった。

「澤村中佐」
「はい」
「私の予定では、半年、早いわね」
「……では! 大佐嬢も?」

 『キャプテン引退』は視野に入れていたのかと言ったような、隼人の驚き。
 そして、なんだか彼は複雑そうな顔に変わったのだ。

「今の状態で、既に貴方はキャパオーバー……、いえ、オーバーの状態で良くこなしてくれたわ。特に昨年、チームが始動してキャプテンとして訓練にも出るようになったこの一年間。なのに、これからそのプロジェクトが具体化していく中で、今のままは、出来たとしても途中で破綻するわ。半年後──その頃には、貴方の周りはプロジェクトでいっぱいになるはずだもの」
「──確かに。ですが、私はもう直ぐにでも」
「解ったわ。時期が早くなるのは私の計算外だったけれど。もう既に貴方には良くやってもらいすぎだったものね。その貴方が、今の時点で、『これをやめたい』と言い出すぐらいに無理を感じているのなら、それも仕方がないことだと納得が出来るわ。引退する準備は早めに検討してみます」
「お願い致します」

 隼人の躊躇いのない『お願いします』に、葉月は少しばかり寂しさを感じる。
 ……予想していたことだけれど。
 そして、次に葉月は達也に向いた。

「海野中佐ならではの、発想ね」
「いけませんか? 反対であれば、そのご意見をお聞かせ下さい」

 こちらはなんだか挑発的な反応。
 達也も葉月が『驚いて、直ぐさま反対する』と思っているのだろう。
 だけど、こちらも溜め息を漏らし、葉月は口を開く。

「つまり、『室』がないミニ秘書室と言うことね?」
「はい」
「そう、貴方はそう考えてくれたのね」
「?」

 さらに葉月の深い溜め息に、達也が首を傾げはしたが、すぐにじれったそうに口元を曲げていた。
 そして達也らしく、すぐさま突っかかってくる。

「葉月、思っている事をぶっちゃけてもらおうか? お前はいっつもそうだ。自分一人で先々を考えて、俺達を驚かせ、そして巻き込んでいく。前触れなく行動を起こして、驚いた俺達はそこからてんやわんやだ! こうして俺と兄さんが、これから先『中隊の為にこうしたい』と言っているのに、お前は自分の考えが……」
「あー、始まったわね。達也の説教!」

 懇々と連ねた彼の文句を葉月が遮ったので、当然、達也がムッとした顔になる。

「はん? やっと、じゃじゃ馬に戻ったか? 暫くは『私は悪い子。もう大人しくならなくっちゃ』なーんて、小さくなって似合いもしない『おりこうさん』ぶっていたのになぁ?」
「……!」

 葉月の一番痛い所を、達也がグサッと突いてくる。
 これも長年の付き合いで得た遠慮の無さなのだろうが、流石に葉月も押し黙ってしまった。
 隼人も、どっちをかばうわけでもなく、加勢するわけでもなく──ただ、シラッとしているだけ。
 なので、達也の勢いは増し、さらに身を乗り出す。

「言いたいことあるなら、言えよ! じゃじゃ馬!」
「ええ、言ってやるわよ。驚かないでよ!」
「あー。どんと来いよっ。お前の『爆弾』なんか、もう慣れっこなんだよ〜だ! 小さくまとまった『仔馬ちゃん』の可愛らしい蹴りなんか飛んできたって、痛くもなさそうだしな!!」
「言ったわね〜! 無駄吠え犬!」
「吠えはしたが、無駄だとぉ!?」

 いつもの、そして昔ながらの喧嘩腰になる二人の様子に、『はぁ』と言う大きな溜め息が聞こえてきた。
 そこで達也も葉月もハッと止まる。

「あの、私は戻っても良いですか? お二人の事はお二人でどうぞ」

 隼人の我関せずと言った、しらけた眼差し。

「……」
「ああ、もう」

 達也は黙ってしまい、葉月は額を抱えた。
 達也が一瞬冷めた隙に、葉月は話し始める。

「中隊内で独自の秘書組織を持つ事に、反対はないわ。むしろ、面白そうだと思うわね」
「だったら、なんだよ」
「海野中佐……。貴方は秘書にこだわらなくてもいいのよ」
「は? 俺が経験を活かして、なんとか大佐の役に立とうと思っているのによ? 俺の経歴の『こだわり』は無意味だって言うのか!?」
「だからね……!」

 達也はすんなり話が進まなく、葉月の考えが見えてこない事に、かなり苛ついているようだ。
 隼人もさらに呆れたようにして、葉月の許可なく、その場を離れ席に戻ろうとしていた。
 そして、熱くなっている達也に向かって葉月は言い放つ。

「これから、私が留守になるでしょ。その時は、貴方が『隊長代理』だからね!」
「……!?」

 達也が固まった。
 そして……席に戻りかけていた隼人も振り返る。
 三人が暫し共に静止していた。
 だが、葉月は腕を組んでフンと胸を張りながら、達也を見据えた。

「なに? 貴方も辞退したい?」
「あ、わ……えっと」
「俺は賛成だな」
「え!? に、兄さんまで!?」

 無表情な隼人がふと呟いた言葉の意味にも、達也はどう反応して良いか解らない程、呆然としていた。

「……海野中佐の提案。貴方の計画具合を見させてもらってから、どうするか返事します。まず、私が『予定』していたのは、私が母艦航行で留守する間の中隊の指揮全般は、貴方に一任しようと考えていましたので、念頭に入れておいて下さいね。それから、その母艦航行の際、私の補佐として同行する三人。特にテッドに護身術なども手ほどきしてあげて、テリーもよ。男に囲まれる生活が全く安全とも限らない」
「──! そ、そうだったのか」
「そうよ。『私の予定』はね。納得してくれた? もっとも? 貴方達に『それ以上』の先手を打たれてしまったから、狂ってしまったけれどね?」

 達也は、信じられないと言った様子で、なにも言い返してこなくなった。
 そんな中、隼人が大佐席前に戻ってきた。
 葉月に向かって、隼人が言い出す。

「大佐のそのお考えに賛成ですね。元々、私は側近といえども、秘書官という枠ではまったく経験もなければ、どちらかと言うと空軍の強化を目的に転属してきた者ですから」

 隼人のさっぱりとしている物言いに、達也が戸惑っている。
 それは『側近としてもライバル』だったはずなのに、葉月が自分の側でサポートを続けるのに適しているのは『海野』と言う結論を出したようなもの。
 なのに、隼人は淡々としている。
 勿論、ここで『勝ち負け』を言うつもりも両者はないだろうが、それでもその状態に葉月がハッキリと位置づけたのは確かな事。

 でも、葉月は解っていた。
 隼人は、これを『承知』する。
 いや、承知でなく『賛成』する……『同じ思い』を『同じ目標』を、感じてくれていると。

 隼人と目が合う。
 そこでじっとお互いの姿が映り合う瞳を探るまでもなく、頷き合えた気がした。
 それを……達也も感じ取ったように、そんな二人に気が付き、ただ見ている。
 そんな二人を見て、達也も同じ気持ちになり、飲み込めたようだ。

「承知いたしました。大佐……有り難うございます。期待にお応え出来るよう、頑張りますから」
「ええ、期待しているわ」
「俺も、達也はそうしていくべきだと思っている。俺も大佐が留守の間は、大佐室の一員として協力するから」
「……有り難う。兄さん」

 心より、同僚を激励する隼人の笑顔に曇りはない。
 曇りはない事は良く解り、快く受け止めた達也だが……そんな隼人を寂しそうに見たのに、葉月は気が付いた。

「もしかして、兄さん?」
「なんだよ? 達也」
「……いや、うん。なんでも」

 そして葉月も……ふと俯く。

 隼人が『行く道』を、葉月は解ってしまっていた。
 昨日言っていた『信じる道を行く』、『誰のようになりたいでなく、己を越えていくのだ』と。

 きっと、葉月も達也と同じ事を感じ──達也と同じ寂しい目で隼人を見てしまっていたかも知れない。

 すると……そんな年下の同僚二人の眼差しに気が付いたのだろう?
 隼人が気後れした笑顔をふと小さく浮かべた。

「大佐、有り難う。やりたいように、やらせてもらいます」
「ええ、頑張ってね。澤村中佐」
「達也。俺には俺の目標があるんだ。その点では負けないからな」
「あ、ああ。俺だって、負けないぜ」
「うん。俺をがっかりさせるなよ。隊長代理」

 そんな隼人の笑顔に、達也は素直な分、簡単に笑顔を返せないようだった。

「さて。私も今日から新しい訓練。まだ澤村中佐とは同じ甲板で頑張らないとね」
「ああ。俺も今日からの訓練とやら。楽しみにしていたんだ。おっと、その前に工学科に行ってきます」
「いってらっしゃい」

 途端にいつもの朝ある光景に戻り、隼人は忙しそうに外に出かけ、葉月はそれを笑顔で見送った。

 達也は暫くは、大佐室を出て行った隼人の背が消えた自動ドアを見つめていた。

「……兄さん、変わったな」
「そう?」

 席に着いた葉月は、解っているが、判っていないふりをした。
 達也が何故か力無く席に着く。

「さっき。言い過ぎた。悪かったな」
「なんのこと?」
「だから『悪い子』──つまり、悪い事をしたと落ちていたお前の苦しかっただろうところを『いいこぶって』なんてさ」
「……本当の事だから」
「だろうけどさ」
「そうして言ってくれるのは、達也だからよ。貴方からそう言われたら、そうなんだわ。と思えるし」
「気を許してくれるのは嬉しいけどな……」

 そこで、葉月は握ったばかりのペンを置いて、席に座った達也を見た。
 彼の方が何故か背筋を伸ばして、驚いたりする。
 葉月がまた何かを言い放つと構えているようなのだが?

「本当の事よ。達也が許してくれても、隼人さんが許してくれても。きっと私がした事を知った人の中には厳しい意見を言う人もいるでしょう。どんな非難の声でも、それが本当に存在していた私の姿、罪の正当化はもってのほか、言い訳ももってのほか。非難の言葉だけでなく、それによって変わってしまった流れも、自らが作りだした物。それを苦しくても、ただひたすら黙って受けていく事が罪を犯した者の、十字架だと思っているわ。一度、犯した罪は消えないからね。それだけ重いのよ」
「葉月……」
「だから、かばわないで」
「……分かった」

 そこで葉月は終わったつもりだったのだが。
 達也は席で仕事を始めても、何度か溜め息をこぼして集中が出来ない様子。

「……葉月、これで良かったのか?」
「なにが?」
「俺……。俺には、なんだか兄さんが、俺達から離れていくように思えたぜ? 前ならもっと、お前の側近である自分の事を一番にしていた気がするのに。こんなにあっさり……」
「……どうして? 隼人さんだって側近で補佐の一人に変わりないわよ」
「今はな」
「これからも、よ」
「本当にそう思っているのか? メンテナンス現場から退けるだなんて。兄さんだけが言い出したならともかく、お前の中で『予定していた』のは意外だったぞ」
「……だって」

 葉月はそこで言いたい事があったが黙る。

「確か、兄さんは望んでいなかったんだよな? メンテナンスの現場に戻る事を」
「前はね」

 葉月はそれ以上は答えない。
 達也もそこで黙り込んだ。
 この時、葉月の脳裏には──隼人にメンテのキャプテンをやってもらうのだと言い出した二年前、隼人と言い合いになった晩の事を思い浮かべていた。
 メンテチームを作る事には協力的でも、現場に戻る意志はなかった隼人を、葉月が引っ張り出したのだ。
 暫くして葉月は小さく呟く……。

「彼はね、もう……私が一番じゃなくていいの」
「! 葉月……」
「いつも『葉月が一番』の生き方をしてくれていた。だけど、もうそんな男でいて欲しくないの。自分の生き方をして欲しいの」
「そうか」

 達也が納得したように、ふと一息つく。

「……もし? だったら。見送るんだな」
「……うん」
「いいんじゃないか?」
「有り難う」

 ふと微笑んだ葉月を見て、達也も慈しむように笑ってくれた。
 そんな彼も、吹っ切れたように言ってくれた。

「俺はずっと、お前の側にいるからな」
「……側近としてね」
「……だよな。それでもいいぜ、もう!」

 彼が心を込めて言ってくれたのを判っていながら、素っ気ない葉月の返事。
 でも、達也も呆れた返答をしながらも、笑ってくれていた。

「達也にも男として咲き誇って欲しいと思っているわよ」
「ああ、充分だよ。一番良い下敷きをしてくれたな、サンキュ。燃えてきたぜ」
「うん、期待しているから」

 二人で微笑み合う。
 この彼とはこうして繋がっていくのだろう……。
 そして、もう一人の彼とは……?

 いつも私の側で、私を支えてくれていた男性が、その添えてくれていた手を離し、我が道へと戻る時。
 その時、しっかりと彼を見守れる姿である事。
 それがまた応えるべき、新しい私。
 彼が私から離れていくのは、『葉月は離れても大丈夫』と安心し信頼してくれたと言う証拠だと思いたい。
 彼が自分の為に進む時を、葉月はちゃんと見送りたいと思っている。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 今日も青空──。
 真夏の太陽は、厳しい。

 甲板の向こうに見える海原の青も空の青も、涼しげな色のはずなのに、陽炎で揺らめいている光景は、汗を滲ませる。

 そんな真夏の日差しの中、葉月とデイブ、そしてその横には細川が指揮官組として、整列しているパイロットの前に立っていた。
 今から、訓練開始である。
 カタパルトの方向では、真っ赤な作業服を着込んだメンテ員達が、すぐに発進出来る体勢を整えている慌ただしい姿が見える。

 今日も指示用のインカムを頭につけている隼人が、後輩達に指示を出しているのだが……。
 いつもは、自分もコックピットのシステムチェックや整備をしながら声を出しているのに、戦闘機の列の前に立って、ただ全般の動きを腕を組んで見守っている姿が……。
 葉月はそれに気が付いた。

「エディ、今日はウォーカー中佐の機体をやってくれ」
「え? でも……」
「トリッシュはもう、一人で出来る。いいな、トリッシュ」
「は、はい。ラジャー!」

 葉月が抜けた後、二号機はサブキャプテンの劉になり、そこを以前通りの配置にて、ベテランのエディと新人の女性メンテ員トリシアが受け持っていた。
 エディはこの一年、トリシアの面倒を良く見ていたと、葉月は思う。
 少しばかり変わり者である彼だけれど、隼人の下に来てからは、『横の関係』に心を砕くようになったと、隼人も言っていたから。

 そんな二人を、隼人が引き離した?
 今日だけ?
 いや……葉月は思う。
 彼は甲板を去る準備を始めたのだと。
 いずれ、ウォーカー中佐は元通りにコックピットを降りるだろう。
 その時、エディはもっと違う配置にするだろうが、今日の所は『トリシアの成長』を見定める為だと葉月は思った。
 それにトリシアも、エディと隼人……他に隼人に感化されてきた男性達が、大事にしながらも厳しく育ててきたと思う。
 ここの所の彼女からは自信がついた事を思わせる活き活きとした逞しい顔になっている事を、葉月は感じていた。

 隼人は戦闘機が並ぶ列を、一号機から十号機まで行ったり来たりしているだけで、一切、機体には触ろうとしない。
 いわゆる『監督』のような姿勢に見えた。

「小娘。どうした? 本日はどうするのだ」
「! は、はい。中将」

 細川の声に、葉月は反射的に驚き、背筋が伸びた。

 そこで、今度は自分達の目の前に並んでいるパイロットをサッと見渡す。
 葉月は少し躊躇い、隣にいるデイブを見た。
 彼が頷く……。
 そして、なにげなく、ミラーも見てしまう。
 彼とも何かを確かめ合うように目が合ってしまった……このような感覚は初めて。
 だが、いつも通りに逸らされる。
 そして、彼の顔が真っ直ぐに前を向き、何かを待ちかまえているようにも見えた。
 それを感じ、葉月も前を向く。

「今日のチーム分けですが……」

 いつもなら、ランダムに……。
 そしてなるべく色々な組み合わせになるような訓練内容にしてきたつもりだ。
 そこを、今日は……。

「まず、最初に──フランシス大尉、そして平井、ストーンの三機で行きます」

 パイロット達がふと顔をあげた。
 確かにランダムに組んでは来たが、この組み合わせは初めてだ。
 何故なら、どちらかと言うと、先駆けるタイプのパイロットではなく、サポートに回る性分を持っているパイロットばかりを選んだからだ。
 強いて言えば、一番若手のマイキー=ストーンが、ピンポイントの射撃術に関してはかなりの俊敏さと正確さを持っているぐらい。だが、彼の性格は前に出るタイプでもなく、今は先輩達に気遣っている弱い部分もあり、そうは目立たない存在だ。
 フランシスは前からもデイブと話していたように、周りを見て動くタイプ。
 平井先輩は、あまり目立つ行動はしないが、いて欲しいと思った時にさりげなくそこにいるタイプ。
 いつも空母艦へのロックオンに先駆け、血眼になるようなそんな競争心にはかけているタイプに思いっきり偏らせた人選だった。
 そうならないよう、いろいろなタイプを組み合わせ、平均化させるのが普通だ。
 デイブも、葉月と共に陸指導に心を砕いてくれるようになり、今までもそのような組み合わせが妥当だとそれで承知してきたのだが……。

「うん、いいな。そういうのも。見てみたい気がする。どうせ、どうやっても勝てないんだ。どんな組み合わせも一緒だろう?」

 デイブのどこか勝負を諦めたような気の抜けた言い方。
 だが、それも葉月のやり方に呆れたのではなく『そのように見せかけてくれている』のだと、分かった。

「それもそうだな」

 最初は『何故、いつものように俺がリーダーになったチーム分けを一番に指名しないのか?』と言いたげだったリュウも、やや投げやりな言い方で納得していた。
 しかし、その承知した彼の姿も……今となっては覇気がない。
 そしてデイブの見せかけの『最初から負けを認めている』言葉にも、簡単に承知してしまったサブキャプテンの有様に、葉月とデイブは顔を見合わせてしまう。
 そしてこのチーム分けを知った『敵方』は……。
 細川はまったく反応はなく、ミラーもまったく表情を変えていなかった。
 驚きがあったのかなかったのかは、葉月にもデイブにも分からないぐらいの落ち着きを見せているのだ。

「では、始めましょうか」

 葉月は口元のマイクで、メンテキャプテンに指示を出す。

「澤村キャプテン──ミラーキャプテン機とウォーカー機をいつも通りに。そして『ミゾノチーム』の本日は……五号機、八号機、十号機。まずこの三機を先に発進させてちょうだい」

 すると、返答が返ってこない。
 その代わり、隼人がこちらを驚いたように振り向いてしまっていた。

『ラ、ラジャー』

 隼人も『いつもと違うな』と思ったのだろう。
 順番通りに全てを空に送り出し、そして甲板で指示したいくつかのパターンで決めたチーム分けで、対戦式の訓練を繰り返す。
 が、この日の上空には『三機』のみしか発進させないと言う指示を出したからだ。

 だが、隼人は言った通りに、いつもと違う順序の発進準備も手際よくやってくれる。
 それも……彼が手出しせずに、まるで佐藤大佐のように、口と指示だけで動かしていた。

 見事に動いている。
 隼人が走らなくても……。
 挙げ句に、隼人はカタパルト台に行きはしたが、メンテのサブであるデイビット=ファーマーを伴っていく……。

「嬢、澤村はなんのつもりだ」
「細川中将……」

 今日の隼人は『いつもと違う』行動をしているのは、明らか。
 細川が気が付いて当然だろう。
 しかし、ここで『今、言うべきか』は葉月に迷いが生じた。

「いえ、その……」

 葉月が躊躇っているその側に、パイロットのミーティングを後方で眺めていたメンテ総監の佐藤大佐がやって来た。

「お嬢、澤村君は本気なんだね」
「はい?」
「今朝、私の大佐室にやって来て、『キャプテンを辞めて、現場を退きたい』と申し出てきたよ」
「は!?」

 葉月は『ぎょっ!』とした。
 今朝、葉月との間にも出たばかりの話ではないか?
 『工学科に行く』と言っていたが、佐藤の所にもその意志を伝えに行ってしまったのか!? と、驚いた。
 慎重な彼らしくないではないか?
 それ以上に、まだ上官である葉月の明確な許可がされていない中、自分の意志だけで、あの隼人が動いてしまうなんて?
 引退を許可したと言うよりかは、『視野に入れた』と言った方が今の葉月には感覚的に合っていたのだが、今朝の話し合いでは隼人は『葉月が予定にも入れていた程、元々視野にあったなら引退許可も間違いない』と判断したのだろう? だから? 『もう、決まったも同然』と思ったのだろうか?
 それなら、葉月の『今から考える』というゆったりペースに合わせるぐらいなら、『今から動く』という勝負に隼人が出た気がした!

 まるで隼人に『外堀』を埋められていく気にさせられた。
 こんなの、いつもと逆だ。
 いつもなら葉月の方が、隼人が知らぬ間に、一人で虎視眈々と『外堀』を埋めて『やるわよ』と言った感じだったのに……。
 今回は、隼人の方が先手を打って、自分の思うままに動こうとしている。
 そこに大佐嬢の立場は考慮しつつ、だが大佐嬢の意志は存在していない……。
 己が決めた事への『決意』の強さを葉月は感じ取らざる得ない。

 葉月は呆然と、甲板の戦闘機をカタパルトに乗せる隼人を眺めていると、細川も隣で黙って静かに眺めていた。

「ふむ。澤村らしからぬ、思い切った事のようだな」
「……おじ様、実は」
「あの男がそこまでして、行動を起こしているのだ。余程の事なのだろう」
「……」

 葉月が心で決めたように、細川も『止めても無駄、澤村は行ってしまうだろう』と、判断してしまったようだ。
 皆が、隼人の本気を止める気持ちもないようだ……。
 そして、葉月も寂しさは感じるが、顔をあげて微笑んだ……視線は、隼人に向けて。

「はい、澤村は本気です。私、送りだそうと思っています」

 爽やかに浮かべた葉月の笑顔に、細川も佐藤も予想外だったのか、驚きの顔を揃えていた。

「お嬢……いいのかい? 本当に」
「いや、葉月。それでいい」

 佐藤は『勿体ない』と隼人を現場から手放す事を惜しんだが、細川は大きく頷き、葉月の判断に多いに賛成してくれた。
 だから……佐藤が黙ってしまった。
 そして、葉月は二人の上官の前で、甲板を見渡した。

「見て下さい。澤村という隊員が見事に作り上げたチーム。まだ彼の指示はあれど、彼の手がなくとも動いています」
「うん。確かに──」

 佐藤もそこはとても満足しているようだ。
 細川は黙って眺めている。
 青空にウォーカー中佐のホーネットが機首をあげて、上昇している。
 カタパルトではミラーの一号機が、滑りだそうとしていた。

「お嬢さえよければ、そろそろ私も甲板を降りようかと思っていたのだけれどね」
「佐藤大佐?」
「澤村君があれだけ動かしていれば、もう、老いぼれは去るのみ……。それも安心して、立派なチームを育てられた一員として、満足しての退陣を思い浮かべていた所で……」

 『でも』と、佐藤が唸る。
 ここで佐藤も隼人も甲板を降りてしまっては、メンテチームに不安が広がるのではないかという心配だろう。
 そこは葉月にも予想が出来る事で、一緒に唸った。
 だが、そこは細川が一言。

「ならば、澤村を総監に据えても良いだろう」
「彼を……総監に?」
「良いのですか? 細川先輩!」

 これまた、細川の思わぬ一言に……葉月も佐藤も面食らった。

「しかし、それは澤村が『やっても良い』と言えばの話だ。おそらく奴は断るだろう。現場から一切身を退き、中途半端にはすまい。あれだな、今、手がけ始めた工学科との仕事にやり甲斐を感じ始めてしまったのだろう?」

 そうだろう? と言う眼差しが葉月に注がれた。
 葉月もそれを判っての『見送る』決心をしたのだから……。
 葉月も細川の考えに同感だった。

「だが、チームのその後を考えるならば、暫くは澤村の存在は必要だろう。そこは『大佐嬢』が、少しは考えさせるように持って行かねばな」
「それも、そうですね……。はい、念頭に入れておきます」
「うむ。それがよかろう」

 初めて……『小娘、嬢』とばかり呼ばれてきた細川から、『大佐嬢』と言われた気がした。
 それにこんなふうに、先の事をしっかりと言葉でアドバイスしてくれたのも初めてのような気がする。
 葉月は隣にいる、顎をさすって甲板を眺めている細川を見上げてしまった。
 また……このおじ様も、遠くに見えた気がする。
 叱られ怒鳴り飛ばされていた時のような、近さは……もう、ない。

 こうして、皆……変わっていくのだろうか?
 こうして、皆……何処かへと去っていくのだろうか?

 葉月も空を見上げ、そして目を閉じる。
 光は感じるけれども、でも、どこか寂しい……。

「嬢、指示の五機が上空に揃ったぞ。始めるとするかね」
「はい、中将。お願い致します」
「さて、なんのつもりか分からぬが、手加減はせんぞ」
「はい。お手柔らかに……おじ様」

 甲板指揮の師弟は背を向けあう。
 細川は梶川少佐が準備した機材の側に。
 葉月はクリストファーが待っている機材の方へ。

「では、対戦式訓練を始める」
「標的に変更はありません。本日も空母艦です」

『ラジャー』

 細川と葉月のそれぞれの指示に、上空にいるパイロット達の応答が聞こえてきた。

 ミラーも待ちかまえている事だろう。
 ここで、チームが前進するか、しないかの『最後の勝負』が、始まる!

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