-- A to Z;ero -- * 私が見た月 *
─ステージ1─

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─エピローグ・ステージ1─
 
1.Zero【ゼロ】

 心音を確認するまでは──。
 葉月はそう思っていた。

 

 

「それでは、始めます」

 基地内工学科側にある会議室。
 葉月のすぐ側、夫である『御園中佐』が、ひとつのミーティングの進行を務めていた。
 これは大佐嬢・葉月が部下である『御園中佐』に任せた物。それが早いうちに、早いうちにと計画していたのに、色々とあって今になっていた。
 それでも、葉月も隼人も……。幽霊逮捕と退院から半年、職場ではいつものペースを取り戻した証拠なのだろう。
 葉月は元より、隼人も今まで以上の意欲で職務に取り組んでいた。
 その『念願』──いや、念願と言ってもきっと葉月独りよがりの計画だったかも知れないが、『女性による工学ミーティング』を、ついに隼人が実現させていた。

 今日は長机が四つ、正方形になるように角合わせに並べられている。
 この会議室の正面の机に、大佐嬢と補佐が並び、進行をしている御園中佐が席を取る。そしてその両隣左右の机には、片方にマクティアン大佐、そしてウォーカーとデイブの軍側男性が並び、向いにはついにフロリダから工学プロジェクトの為に出張にきたマリアが。さらに彼女の隣には、横須賀基地工学科にいる『稲葉女史』と呼ばれている四十代の女性隊員もいた。
 そして葉月とテッド、隼人がいる机の向こう、向かい側に宇佐美重工の佐々木奈々美と、彗星システムズの青柳佳奈が。そして彼女達の側には、同じ会社の上司か同僚か? 男性一人ずつの付き添いを葉月は許していた。

 マイクを持って進行をしている夫は、葉月の隣で付き添ってくれているテッドの隣にいる。
 工学科科長のマクティアン大佐。そして葉月が呼んだパイロットのウォーカー中佐とコリンズ中佐。彼等は『傍観者』として葉月が意図的にこのミーティングに呼び寄せた。
 今日のミーティングはなんの為にあるのか。ウォーカーとデイブは不思議そうだったが、老先生マクティアン大佐はいつもの穏やかな顔でにこにこしながらも、大佐嬢の狙いをよく理解してくれているようだった。
 その大佐がミーティングが始まる前にウォーカーとデイブに『今日、男性は発言をしてはいけません』などとニコニコと言っていたのだ。

 ──さあ、どうでる?
 大佐嬢特有の賽がついに振られた瞬間。

 実は大佐嬢も『傍観者』であると、どれぐらいの参加者が思っていることだろうか?
 葉月はにんまりしながら、皆が緊張している中、ふてぶてしく足を組み、頬杖をし、にやっと笑って見せたのだ。
 それに対して、眉をひそめるのは宇佐美重工の、佐々木女史に付き添っていた四十代程の男性。そして佐々木奈々美もちょっとばかり……。
 彗星システムズ青柳佳奈の付き添いは、常盤ではなく彼の部下。その彼は知らぬ顔。でも隣の佳奈は笑いを堪えている様子。暫くして、その常盤の部下は、何故か隼人の顔を一度見てから、彼も笑いを堪えたそうな顔に変化していた。
 勿論? マクティアン大佐はそんな大佐嬢はいていないも同然で、いつものにこやかさ。デイブは呆れた目を向け、ウォーカーはもう笑っていた。

「もう、大佐ったら……」

 隣にいるテッドが周りの反応を気にして『もっと品良くして下さい』なんてぼやいてきて、葉月は『悪戯』が終わり満足した子供のように、姿勢を正した。

 夫とマリアはちょっとだけ呆れた目線を葉月に向けると、いつもの仕事の顔に戻っていく。

「フロリダ本部基地工学科からブラウン大尉。どうぞ」

「では、わたくしから……」

 彼女の短くなっていた栗毛は、肩までのセミロングにまで伸ばしていた。その毛先は、今風にくるりんと大巻きのカールにして、とても大人っぽい雰囲気になっていた。
 そして葉月と約束していたあの真っ赤な口紅を付けている。
 彼女の『今』の自信が伺えた気がした。彼女は自分なりにその『紅』を解禁にしたかのよう……。自分で自信を認めるというのは余程のことだろう。
 残念だが。葉月はまだ、マリアと約束した『赤い口紅』は開封していない。自分ではまだまだだと思っている。

 それよりも、口紅をつける気分ではないのだ。
 葉月はひっそりと、青い花柄のハンカチを口元にあてた。

 マリアがトップバッターで話すと言うことになって、隼人の側にいた小夜が動き出す。

 小夜は近頃、また、隼人の仕事のアシスタントに付いていた。
 隼人について、工学アシスタントをすることが多くなっている。勿論、大佐嬢の仕事も充分に手伝ってくれている。すっかり要領が良くなり、手際よくそつなくなんでもこなしてくれる。今、彼女の目標は『女性秘書官』のようだ。
 その彼女が隼人の手伝いで、マリアへとマイクを持っていく。
 マリアがそのマイクを手にして、席から立ち上がった。

「初めまして。フロリダ本部基地、工学科におりますマリア=ブラウンです。よろしくお願いします」

 マリアの挨拶と共に、彼女の提案が始まる。
 今日、隼人が女性達にぶつけた議題は『このプロジェクトを成功させるために、何をやりたいか。どうするべきか』なんていう、良く聞くようなありきたりで、そして漠然としている物だった。
 だけれど葉月は、納得。そんな大きな幅をもたせた議題ほど、答えにくくなる物はないだろう。ポイントの置き方でだいぶ考え方が異なってくるはずだ。
 そして隼人が最初にマリアを指名したのも、狙いがあると葉月は思った。
 彼女は裏表がなく、いつだって『自分のことははっきりする』という母国特有のスタンスを発揮するだろう。
 そこで考え方が異なるのに、異なっていないように澄まし合う大和撫子達にひとまず、最初の異国爆撃と言ったところだろうか?

「私は、今回のプロジェクトには『新世代エアフォース』を掲げたいと思います。今までとはまったく異なる空軍を。通信というカテゴリーから見直していきたいと思っています。そこに重点を置くのは、素早い攻撃に対し有利な通信ではなく、防衛に有利となる通信に取り組みたいところです」

「有難うございます。ブラウン大尉」

 ひとまず、マリアの自分の意志は先ずはっきりと示すという雰囲気が、これで出来上がれば良いと、葉月は静かに見守っている。

「では、お隣の横須賀基地工学科の稲葉さん、どうぞ」

 彼女は四十代というママさん隊員だ。軍の工学科一筋。今回のプロジェクトで隼人と出会うことになったようだ。
 葉月も何度か話をしたことはある。落ち着いた家庭のママさんそのものの穏和な女性だが、軍内工学科を辞めずに勤めてきたその意志の強さは葉月も尊敬だった。そしてそこではママの顔はなくなる。その冷たい横顔はまさに工学女史だった。そこは何処か科学と長年向き合ってきた自分の母親、登貴子を思わせたりもした。

「私も、フロリダのブラウン大尉と同感です。どうせなら、今までの通信を覆しても良いぐらいに。それとは別ですが、私として付け加えるなら『優しいコックピット』です」

 隣にいたマリアが『優しい?』と首を傾げた。
 すると稲葉女史は、急にそこは柔和な女性な顔になって言う。

「そう。本日、理想論で構わないという御園中佐からの議題範囲を頂いて、それなら言ってみたいのは、私の場合はそんなことになります。つまり、手っ取り早く言えば、誰でも乗れる戦闘機。そうですね……。特にそこにおられる大佐嬢は、人一倍、コックピットの過酷さを味わってきたことでしょう。もし女性が大佐嬢のように、もっと空での防衛に参加出来るということになるのなら、そんなことも必要となってくるのではないでしょうか? 無論、従来通りの男性パイロット達にも少しでも負担を除くことにも繋がるかと思います」

 マリアがなるほどと頷いた。
 それは葉月も──。身体に優しいコックピットなんて聞いたことない! と、ちょっとその感性に興奮しかけているが、葉月も今日は澄まし顔の大和撫子を気取ってみるのだ。

 そしてついに……。今日、こっそりと葉月と隼人が隠した『本来の目的』が、開戦されようとしていた。

「では、彗星の青柳さん。どうぞ」

 ついに佳奈にマイクが回ってくる。今日もきっちりと髪をまとめ、秋の始まりを思わすカフェオレ色のパンツスーツ姿。色はやんわりとしているが、真っ黒なインナーがぴりっと優しい秋色を引き締めた色合いバランスで、ビシッと着込んでいた。
 マイクを持って立つ姿も、堂々としている。
 去年の今頃か? 佳奈が葉月の目の前で、にっちもさっちも行かない崖っぷちに立たされていたかのように泣き崩れたのは。
 だけれど、彼女はあの時、真っ逆さまに崖から落ちたようだが、直ぐに立ち上がってまた登り始めていたようだ。
 さあ、一年経った。彼女が見極めた『これが私の土俵』。そして彼女自身が振る賽の目はどう出るのか?

 佳奈は余裕げな微笑みさえ浮かべている。
 そのまま、マイクを手にして、話し始めた。

「私は言いきります。断然『守り』です。つまり防衛一本。それには勿論、ブラウン大尉の言うところの新通信も必要になってくると思います。そして稲葉女史が仰るコックピットがあればまたより一層、素晴らしいと思います。防衛とは、我が身を守ること。それが一番でしょう」

 佳奈が語ったのはそれだけだった。
 彼女はマイクを小夜に返し、席に座ってしまった。
 驚いたのは葉月で、ちょっと面食らった顔をしていたと思う。隣のテッドも『変わりましたねー』と耳打ちをしてきたぐらいだ。

 彼女、迷いがなかった。言い切った。
 本当は対する相手とは異なるセンスを持っていても、それをぶつけることが出来ずに、気持ちを持てあますほどにぶつける場所がないことも、相手のせいにしていた。
 だけれど、今の彼女は『自分は自分。人は人』と割り切った強さがあると思えた。

 そしてついに……。佳奈の思う相手へとマイクが渡る。

「宇佐美重工の佐々木奈々美です。よろしくお願い致します」

 『今日は御園中佐が提案した、女性同士のちょっとした議論会』だから『気楽に意見を』という雰囲気で始まり、他の女性も肩の力が抜けてハキハキと意見をしているのに対し、彼女の顔は始終硬く無表情。
 隼人からも聞いていたが『スパスパと切り替えが上手い。そのシーンに合わせての集中力コントロールは男だから女だからどうのこうのというレベルじゃない。あれは敵わない男も沢山いるはず。佐々木奈々美と言う工学マンとして独立している』──と、あの隼人が言い切ったほどだ。
 そしてマイクを持った彼女のその顔に、葉月は妙な共感を持った。

 何事にも真剣勝負。手を抜くものか。
 そんな顔。
 そしてそこには実は隣にいる離別した先輩である佳奈に対抗意識を燃やされていることを感じつつも、決して相手にしていないという、実力を持つからこそ今まで勝者としての立場を誇ってきた物の、決して手を緩めない甘さは見せないシビアな面も垣間見せていた。
 それをありありと対抗するのではなく、ほんの少しだけ意識しているという相手に対する焦らすようなアピール。傍観者には面白く見えるが、対抗している佳奈にはこれほど憎たらしいものはないだろうと葉月は少しばかり苦いものを感じた。

 しかし──。どんなにあがいても、これが『世界』なのだ。
 去年の佳奈のように、ただ嘆いているうちは『負け』に過ぎない。
 情けなくても、痛くても、あがいていかねば『そこ』に近づけないのだ。
 そして佳奈はあがく。そして決してそれはぎすぎすしただけのものではない、後輩の奈々美に対する余裕を携えて。辛くてもその余裕を携えて。必死な顔で息詰まる顔をしたら、そこでもやはり鋼鉄の女には負けているのだ。

 そして奈々美はマイクを持つと、他の女性達とは異なる声、そう言ってみれば少しばかり怒ったようなドスが利いているかのような声で彼女も言いきった。

「護る、護る。こちらは攻撃はしてはいけない。攻撃は殺人へと繋がる。だからそれをなくすための努力をもう少し……。それも良いでしょう。しかしだからとて、受け身だけというバランスはどうでしょうか? 攻撃が出来る機能を備えることもひとつの防衛です」

 奈々美だけは『攻撃性』を口にした。
 他の女性の顔色が変わり、少しばかり女性達のやんわりとした理想論に退屈そうだった男性達の目が一気に奈々美へと向かった。
 その時の青柳佳奈の顔──。きっとそれだったのだろう。『女性らしい』とかいう──佐々木奈々美彼女なら『そんな囲いくだらない』とでも言いたそうなその顔で言い切る現実性は、男性達の視線も感覚をも掴んできたのだろう。だから『どんな手でもあの女は男に言うことを聞かせる』と佳奈が思うようになったのだろう。
 実際、こうしてみていると、奈々美は小柄で中では一番大和撫子という言葉が似合いそうな、日本人形のような愛らしさがある女性だった。もっと言えば、この栗毛の葉月が昔から憧れていたような、黒髪の女の子。その顔でそんなシビアなことをバシバシと世間に叩きつけて渡り合ってきたはず。そうして男性達をも自分の手元に引き寄せ上手く世界を回す。それが出来る女性。きっと女性の中では嫌われ者のはずだ。
 佳奈が恐れている、そして嫌っていたその構図が、奈々美からばあっとこの会議室に広がって支配していようとしていた。
 葉月は黙って傍観するが、今度は奈々美が振ったダイスに、少しばかり鳥肌が立ったほどだ。

「護ることで敵国にも本国にも人命的なリスクをもたらさないなら、戦闘機のコックピットに人など乗らなければいい。無人で応戦する無人飛行機というものに辿り着けば良いでしょう。何故、人が空にまで行ってあの重厚な飛行機を操ってまで攻防戦を? 攻撃も護るも関係ない。そこに人がいればこその『重み』があっての攻防戦。だとしたら『護る』のみではバランスが取れない。『攻』と『防』。どちらも勝ることも劣ることもあってはいけない。──私は、そう思います」

 この会議室がシン──と、した。
 葉月の身体中に、鳥肌が立った。
 そして彼女がマイクを持ったまま、葉月を真っ直ぐに見据えているのに気が付いた。

「そうですよね? 大佐嬢。防衛ギリギリの現場にいたならご存じだと思います。そこに人がいればこそ、こちらも相手も同じ人間だからこそ、重みある防衛で一つの線を護っている。そこに人がいなくなった日は、本当の平和が訪れた時か、人が命の重みを忘れ、護るべき現場を捨てゲーム感覚な防衛システムを選ぶということ。すなわち、それは命の重みなく機械任せに間接的な殺人が可能になると言うこと」

 また葉月にぞくっとした物が走った。
 その時、葉月の脳裏に浮かんだのは、冬の日本海。大事なパイロットを失いそうになったあの防衛戦。
 あんな思いをしたくない。いっそこんな現場、過酷な現場など、わざわざ空に行かなくてはならない防衛など、人に負担のない物になったら良いのに……。それはマリアや佳奈が考えているところの『負担なく』と言う気持ちが勝っている部分があったと思う。
 だが奈々美の『そこに人がいればこその重み』という言葉は、あの時のミラー中佐の命の重さをまた生々しく思い出させる物になった。
 そうだ。防衛はゲームになんかなってはいけない。

『なにもないのが、一番だ』

 そんな恩師の声が急に頭の中にこだました。
 葉月は……目をつむった。そして暫く、考え、目を開く。

「テッド、澤村のマイクを私に──」
「は、はい」

 テッドが隣にいる隼人から進行マイクを借りて、葉月の手元に持ってきた。
 葉月は立ち上がり、奈々美に向かう。

「まったく、その通りだと思います。こちらも相手も命があればこそ……。物事の判断にも重みが出てきます。それはかなりのプレッシャーです。ですが、今のその言葉で、それは決してなくしてはいけない物なのだと痛感致しました。佐々木さん、有難うございます」

 どうやら……。今日のダイスは奈々美が振ったものが最高だったようだ。
 そして初めて知った。やはり彼女はシビアに貫き通してきただけ。そして決して妥協はない。隼人が言ったようにそのシーンに最高の共感度を高めてやってくる。これはかなりのものだ。
 いつしか葉月がいった『使う者が一番優先』と言うことを彼女はしっかりと心得ている。きっと今までの仕事も、ユーザー本位でやり遂げてきたことだろう。
 ……悪いが。一年前に発起した佳奈では、何年もシビアに身を削ってきただろう彼女には、まだ届かないと言ったところか。

 それどころか、奈々美はこの空気を味方につけたかのように、葉月に突きつけてくる。
 まるで『これは何か企みを持っての意味のない女性だけのミーティング』という名目を見破り、その発足者であるだろう大佐嬢に突きつけてくる。

「その点の、大佐嬢のお考えも是非」
「はあ。わたくしですか……」

 急に気分が悪くなり、葉月は顔をしかめ、ハンカチで口元を覆ってしまった。
 その、あからさまな表情……。いや本当は『つわり』なのだが、それをまだ誰も知らないから、隼人も、あの老先生も、デイブまでもが『おい、そんな顔をするか?』と眉をひそめている。なんとか堪え、葉月は再びマイクを取る。
 本当は本日は、自分の考えなど言うつもりはなかったのだけれど……。

「私の考えは『ゼロ』です」

 ──と、葉月が言うと、誰もが面食らった顔でこちらを見ていた。
 葉月は真剣に言ったつもりだが、何故そんな顔をされたかと分かり……。考えがゼロ。何も考えていないと思われたようだ。悪戯大佐嬢の次なる悪戯と思われてしまったかと、『うっかり』と言う顔になる。

「もとい、数字の『ゼロ』、原点の『ゼロ』です」

 やっと意味が分かったのか、誰もがちょっとホッとした顔。
 しかしそれではまだ分からないだろう。マイクを持って向き合っている奈々美が尋ねてくる。

「どのような『ゼロ』なのですか?」

 葉月は一時黙り……。そしてマイクを握り直し、彼女と向き合う。

「佐々木さんが言ったことと似ています。攻撃もあり防御もある。だけれど『ゼロ』──『なにもあってはいけない』。です」
「それは一言で言えば『被害がない』ということですね」
「被害だけではありません。こちらにも相手にも『損失がない』。たとえ、接触があっても……。そういうことです」
「そんなご経験を?」
「はい。昨年──。空母艦で体験したスクランブルで。恩師の艦でした。『なにもないのが一番良い。あっても損失を出さない』。恩師の言葉です」

 葉月がそう言うと、やっと奈々美がにこりと微笑んだ。
 意見が一致したとか、そんな勝ち誇る笑顔ではないと葉月は思った。
 その笑顔は、なにかを見つけ輝き始める笑顔に葉月には見え、ドッキリとした。その目には葉月は覚えがあるような気もする。そしてその目、その何かを見つけた輝きある笑顔で彼女が言いきる。

「大佐嬢は今後、こちらの空部隊を担っていくことでしょう。お任せ下さい。私がその『ゼロ』を必ず、大佐嬢に──」

 大胆な発言だった。その為、またもやそこにいる者達がシンとしてしまっていた。
 それは彼女の新たなる戦い、新しい物を造り出す為の達成への宣戦布告、自分に出した開戦宣言。
 そこには誰以上にどうしてやろう、なんて濁った気持ちは何処にもない。あるのは出来上がるだろう物へと、それへの挑戦と、自分だけ。
 彼女の『自分だけ』はそんなことだったようだ。
 青柳佳奈が言うところの、『自分のためばかりに』というのは、ここから来ているのだろう。
 すごい。葉月にとっても、これは久々のインパクト。
 奈々美のユーザーを見ての『目標』は、決して佐々木奈々美という個人をひけらかすだけのものではなく、佐々木奈々美という工学マンの理想だけを叩きつける物ではなく──『プロ』、本当にこれこそ『プロ根性』。
 これが彼女の本当の姿。
 きっと彗星から宇佐美へと、常盤の集大成でもあろうシステムと共に向こうに一人きりで渡っていったのも、そのシステムが皆で造ったからこそ、なくしてはいけないと思ったのではないだろうか? 宇佐美との話がまとまり、その時、きっと宇佐美が常盤か彼女が行くことを条件にしたのではないだろうか?
 そしてそのシステムが世間で役に立つ。──それならば。たとえ悪者になっても。そこまでの覚悟。

 ここに今、佐々木奈々美という女性の本当の姿を見せられていた。

 佳奈は……どうだろうか?
 葉月がふと彼女を見た時だった。

「素晴らしいわ。そうね『ゼロ』。そしてそこの重みを忘れてはいけないと私も思うわ」

 そこで拍手の音。
 佳奈が、笑顔で憎き後輩に拍手を送っていた。
 彼女はちょっと驚いた顔をしていたのだが……。急に照れた顔で頬を染めたのには、葉月も目を見開いて驚いた。

 それよりも、佳奈の笑顔。
 彼女のその顔は『負けたわ』とさっぱりしている顔に思えた。
 そして佳奈も認めたのだろう。自分が思い描いていた彼女ではなかったことを……。
 これで佳奈も納得だろう。奈々美の言葉は、国と国だけじゃない。きっとそれは人と人にも当てはまることを、佳奈は気が付いたのだろう。
 自分と異なる物への対抗心。実は対抗してもさっぱり勝てないことにはなかなか気が付きにくい物。ここでは、この二つは比べようもなく『違うだけのこと』か、そう思えないならただ単に『負けた』と認めるか、先に一歩引いた方が、先に折れた者の方が、実はすんなりと前に進めるものだったりするのだ。
 だが、残念だが、それに気が付く者が少ない。すぐに目先の違い、表面に見えるものだけで見比べる。そして私達は見比べられる。その目を向けられても、堂々としていられるなら良いのだが、そこも持たなくても良い劣等感を抱いて、その目線に潰れる。堂々としていれば伸びることも。劣等感を抱けば、無駄に負け犬に。
 彼女達からそれを見せられた気がする。

「そうね。私も『ゼロ』を掲げるわ」

 本日は『大和撫子ファイ』だと、隼人から聞かされて、何かは言いたそうにしていたが、そこは今となってはグッと黙っていたマリアも、清々しい気の済んだ顔で拍手をしていた。

「そうね。沢山の枠はあるけれど。やっぱり『ゼロ』。忘れてはいけないことね」

 一番、大人であろう稲葉女史も笑顔の拍手。

 そしてそれは、男性陣にも。
 そして最後には、葉月も笑顔で拍手を送っていた。

 それは強烈なダイスを振った奈々美だけじゃない。
 そのダイスの目をしっかりと受け止めた佳奈にも。

「さて、ではもう少しレディ達の『思惑』を見させてもらおうかね」

 大佐嬢の目的は、済んだ。それを見極めたマクティアン大佐がついに立ち上がった。

「サワムラ君が、貴女達に出した宿題を大佐嬢と眺めながら、私がちょっと悪戯で簡易システムを立ち上げてみたよ。ちょっとした映像を見てみよう」

 それは彼女達のちょっとしたシステムを見た大佐が、もしこの機体が飛ぶならこうなるのでは? という、これもちょっとしたお遊びで作ってしまったCGアニメーション。
 葉月はそれを既に隼人と共に、その彼女達の個性の違いを興味深く見させてもらった。だからこそ、今日のミーティングをちょっと楽しみにしていたのだが、もう、だいぶ満足だった。

 そのアニメーションを見るために、少しだけ部屋が暗くなる。

 その中で、葉月はふと思った。
 もしかすると。姉と瀬川も?
 二人揃ってゼロになれなかったから、あんな悲劇が争いが?
 ──少しだけ、あの封筒が気になりだした瞬間。

『はあ』

 葉月はハンカチでまた口元を押さえた。
 アニメーションが始まって、皆がそこに集中している間。ついに、ひっそりとこの会議室を出てしまった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「大佐、いい加減にしてくださいよ」

 大佐室に戻って、大佐嬢に目くじらをたてているのは、テッド=ラングラー少佐。
 女性ミーティングが終わって、工学関係の参加者はマクティアン大佐と共に工学科へ戻っていった。勿論、その中には隼人も小夜も。
 葉月とテッドだけが、大佐室に戻ってきた。達也も外に出かけていて、二人きりだ。

 葉月は『やっと帰ってきた』と、ぐったりと黒い革椅子、大佐椅子に座った途端に、補佐からこのお説教。

「……だから、お手洗い。我慢できなかったの」
「そんな。子供みたいな言い訳を。それならそれで構いませんが。それにしては会議の終わりまで帰ってこないってどういうことですか? たとえ、後は老先生の余興であったアニメーションを見るだけだから出ていったとしても、それが終わるまでに帰ってこられるぐらいの時間だったでしょう? それなのに、さあ、最後の締めという時になって貴女が戻ってきていないんだから。サワムラ中佐、あれ、怒っていましたよ。怒りながら貴女の代わりに、会議の終わりを締めくくってくれたのだから」

 そうなのだ。もう、我慢できなくて暫く廊下を歩いて外の景色を眺めたりしていたのだ。
 それでそろそろかと戻ったら、隼人がマイクを手にして閉幕の言葉を言い終えたところ。
 こっそりと帰ってきたはずなのに、そこにやっと現れた大佐嬢に誰もが振り返っていた。そして、テッドの言うとおり、隼人は怒った顔。それでも知らぬ振りで、葉月には声も掛けずに、工学マン達とさっさと会議室を出て消えてしまった。

「はあ……。まあ、あとで彼からも説教されるわね。だから、勘弁してよ」
「本当にもう……。なんでも皆が納得するって思わないでくださいよね」
「うー。はい、以後気をつけます」

 また胸がムカムカしてきて、葉月は口元を押さえた。
 それでやっとテッドの顔が、補佐ではなく同僚の顔になる。

「気になっていたのですが、具合が悪いのですか? 気分悪そうで──」

 なるべく誰にもこの姿を見せまいと気遣っているつもりだった。
 お腹の子の心音を確認して、『生きている』と報告できるまでは。
 一昨年のように、ただつわりがあるからと、騒ぎたくはない。
 特に隼人。一緒に山崎の産婦人科で確認に出向いた時に、心音がないことでショックを受けたから。葉月も勿論ショックだったが、隼人はあれからかなりの間引きずっていた。だから、今度も。確認して『まただ』なんてならないように……。
 それでも、今となっては、職場では長い時間を共にしているテッドには分かってしまうか。葉月が隼人の前にいる時より、ちょっとは気を緩めているせいか。少しは葉月の身体が正常ではないことに気が付いたようだ。

「あの。今日、この後、一時間ほどここを抜ける話。分かっているわよね?」
「え? はい……。一人で何処に行かれるのですか?」
「内緒」
「補佐の私もお供が出来ないことなんですか」
「そうよ。仕事じゃないから、気にしないで」
「中佐達にはなんと言えば? あの人達すぐに貴女が何処にいるかと私に聞くものですから」
「そうね、じゃあ……細川中将に呼ばれて出かけたとでも言っておいて。そうすれば、安易には中将室に探りは入れてこないと思うから」
「本当は呼ばれていないのに?」
「そうよ。とにかく、一人で出かけたいの!」

 もう気分が悪くて。ちょっと苛ついた声で葉月はテッドを切り捨てようとしてしまった。
 当然、彼の困惑した顔。そして、葉月も我に返る。

「ご、ごめんなさい」
「いえ……」
「……出来たら、明日にでも、貴方にはちゃんと理由を言うわ」
「こちらこそ。プライベートなのに、触れすぎて申し訳ありませんでした。今は何も言いません。そのお時間がそろそろなのでは? 行ってきてください。『細川中将室』へ」 

 笑顔で送り出そうとしてくれるテッドに、葉月は『有難う』と微笑む。
 そして、夫の隼人が帰ってくる前に、大佐室を出た。

 

 その葉月が、一人でひっそりと向かったのは、軍の医療センター。
 昨年まで、御園に懇意にしてくれていた医療センター長の老先生。その先生がついに古巣のフロリダへと転属してしまったので、やや融通が利かないことが出てきた。
 だけれど、今回はこっそりと細川に融通を利かせてもらうようにお願いをして、外部の医師をこちらに呼び寄せてもらった。
 新しい医療センター長も、細川の特別な申し出ではあったけれど、すぐに許可を出してくれた。何故なら──。

「葉月です」

 葉月がやってきたのは、医療センターの産婦人科。
 御園ではなく、葉月と言ってそのドアを叩いた。

「ひさしぶりね。葉月さん」

 そこには白衣を着込んでいる金髪の女医。
 彼女は元々ここで勤めていた。今度は、葉月のためにここに週に一度の非常勤で勤めることを軍と契約したばかり。

「ジャンヌ先生!」

 久しぶりに彼女を見て、葉月はその白衣の胸に飛び込んだ。
 彼女も御園に寄り添うようにして戦ってくれた朋友。そして……新しい姉様になる予定。

「会いたかったわ」
「私も、先生」

 二人でひとしきり抱き合うと、ジャンヌは愛おしそうに葉月の頬を撫で、呟いた。

「おめでとう……は、まだ言えないわね」
「はい」

 それは、葉月の心も身体も見守ってくれたジャンヌだからこその言葉。
 ジャンヌは葉月を胸から離すと、ついにあの冷たい女医の顔に戻った。

「座って。まず、問診を」

 デスクに座ってカルテを開くジャンヌ。

「そして、心音──確認してみましょう」

 葉月に、緊張が走る。
 幾度となく襲われた絶望が蘇る。
 天使は舞い降りた。でも、この子は生きていくことは出来るのだろうか?

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