7.助走、開始

 

  「ユウスケ……ハヤトに連絡しておいたわよ」

 義理息子ハヤトとの電話が終わったダンヒル夫人・マリーは

その後すぐに『依頼主』である祐介に連絡をしている所だった。

 

「有り難うございます……マダム。あの、無理をしていただいて申し訳ありませんでした」

そう、祐介が密かにマリーと結託をしていたのだ。

時期を見計らって隼人には内緒で──。

『構わないのよ? あなたが報告してくれなかったら、何も知らないまま終わっていたわ。

私もね? あなたと一緒……。ハヤト自身が努力をしている間は口を挟みたくなかったの

でも──』

マリーの不安そうな声。

祐介はその隼人の信頼するママンである彼女に、こんな事を頼むハメになった事や

それを頼んだ自分のことをちょっと責めたくなるぐらい……申し訳なく思った。

『ユウスケ? あの子……大丈夫かしら?』

「アハ! 二年も堪えているのですよ。今更、彼女が何か喚いてもお手の物でしょうし……」

『でも……ハヤトのお友達にどのような迷惑をかけたか知らないけど、

行きたがっていた結婚式への招待を……彼女のせいで辞めるなんて……』

マリーがちょっとだけ鼻をすすった声が祐介の耳元に届いた。

涙ぐんでいる様子だ。

そう……祐介は数日前にマリーに事情を説明して協力要請をしたのだ。

ミツコがニナを流産未遂に追い込んだ事は省いた。

何故なら、隼人がまだミツコとやり直そうと必死になっているなら

それをママンの耳に入れてはマリーが心配するあまりに

二人の間に入って巻き込まれるんじゃないかと思ったからだ。

とにかく、隼人は結婚式に行きたがっているが、結婚する夫妻とミツコの仲が悪いため

ちょっとしたいさかいが起きて、それを隼人が苦にして彼から辞退をしたと説明した。

マリーは深くは追求はしなかったが、それだけで義理息子を不憫に思ったようで

即刻、協力を快諾してくれたのだ。

マリーは『調度、家族で集まる理由があるから、結婚式の日に合わせてみる』と言ってくれ

そして……今夜、その通りの作戦でミツコに臨んでくれたのだ。

でも──マリーのその不安そうなすすり泣き声を聞くところによると

電話をしただけでミツコとやりあったのだと……。

祐介はそんな役をマダムにさせたことを気の毒に思ったが

もう、これしかなかったのだ──。

「あ、あの……とにかく土曜日に彼を迎えに行きます。宜しくお願いします」

『え、ええ……任せてちょうだい。アンジェ達が来るのも本当の事だけど

礼装が撮影の為じゃないと知ったら、驚くでしょうね? あの子……楽しみだわ!』

マリーはきっと結婚式へ行けるという息子の喜び顔を楽しみにしているのだと

祐介は彼女が元気になってホッとした。

 

そうして電話を切った。

 

「マダム・ダンヒル……どうだったの?」

祐介の側には、ソフィーがいた。

「ああ、上手く誘い出してくれたみたいだな」

「そう……」

ソフィーがちょっと眼差しを伏せた。

彼女は、ミツコに謝らせた隼人のことは認めていたが……

結局最後に、自己犠牲にて結婚式への招待を断った隼人にずっと腹を立てていたのだ。

『やり方、間違っている! 隼人は優しすぎるし、そんなの優しさじゃない!』

最初の頃は猛烈に怒っていたが、この頃は気の毒でたまらない様子だった。

「私、謝らなくちゃ……。彼に随分、冷たくあたったから」

「ソフィー……隼人を思えばこそだろう? 気にしちゃいけない。

アイツも解っているさ」

ベッドに座っているソフィーの横に祐介も腰をかける。

そして……彼女の栗毛をかき上げながら、そっと緑色の瞳を覗き込んだ。

「ユウ……」

そっとお互いに口付ける。

おかしな事に、ニナと隼人の件で……彼女とは変な『同盟感覚』にて

心がいつもの女以上に結ばれている感触に祐介は陥っていた。

「ユウも優しすぎるわ……」

ソフィーがそっと祐介の胸に頬を寄せてきた。

「ユウ……。ユウも本当の事、見失わないで……」

ソフィーとの付き合いが深くなるほど、彼女は祐介の『彷徨い』に敏感になってきていた。

そして……彼女は『自分は一時の女』と誰よりも自覚し……

そしてそれが何であるかを祐介に諭そうとしている。

「……」

「ユウ……本当に欲しい物はなに? それはきっと私じゃないわ。

ここにはないって知っているのでしょう?」

彼女も優しすぎる。

祐介を送り出そうとしている。

「ソフィーも優しすぎる。俺を引き止めてはくれないんだな」

「そうね……。あなたといると楽しいし、あなたの心意気はとても好きだけど」

「……」

祐介はこの彼女との短い恋の終わりが近づいていると思った。

「私はユウの事をとても信頼しているわ。だから……認めた人として

あなたに幸せになってもらいたいの。

もし……奥さんと別れるなら別れても良いし、それから私を始めると言うなら考える。

でもね……本当にいて欲しいのは……」

「やめてくれ──!」

祐介はそれ以上言うと……それ以上言わせたら……

もうソフィーとは一緒にいられないと思った!

彼女を押し倒して、唇を塞いだ。

『あんな無神経な女の事なんて……ここで言うな! 俺に夢を見させてくれ……夢だけで良い!!』

祐介は心でそう叫びながら、ソフィーの衣服を急ぐように脱がす。

「ユ、ユウ……」

『その代わり……君にも夢を見させてあげよう?』

夢を見させて欲しい──。

ろくでなしの都合の良い言葉──。

それが解っていて止められない。

それが解っているから……言葉に出来ない。

 

そう……祐介が本当に望んでいるのは『ここにはない』

本当にいて欲しい女は日本にいる。

一人でなにも寂しがらずに悠々と……。

美しい妻でいることだけ考えている……悠々と。

そして……ブランドを追いかけ回し、エステに通って

近くにいる親の側で安穏と……。

 

『京子……お前の中の俺はいったい何処にいるんだ……!?』

なんど叫んでも彼女は気が付かない。

 

夢を見させて欲しい。

一時でもいいから……。

誰か俺を受け止めてくれ──。

 

祐介の今の思いはそれだけだった……。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 土曜日がやって来た。

隼人は礼装を揃えて、鼻歌で自転車を漕ぐ。

今、住んでいるアパートはダンヒル家がある街の近くだった為

自転車を数十分漕げばすぐにつく。

 

「ただいま〜♪」

ああ、やっとこの日が来たよ……と、隼人は心も軽やかになって

元気いっぱいダンヒル家の玄関を開けた。

 

「ハヤト……! お帰りなさい!」

一番最初に迎えてくれたのはやっぱりママン。

「マリー……会いたかったよ」

金髪を結い上げている隼人のフランスママン。

隼人より小柄な彼女が両手をいっぱいに広げて微笑みながら駆けてくる。

「ママン──」

隼人は小さなママンを胸にギュッと抱きしめた。

「お帰りなさい……ハヤト。心配していたのよ?」

彼女も隼人の背を撫でながら、ホッとした顔。

「おっ! 帰ってきたな!」

「お帰りなさい♪ ハヤト!」

次に現れたのは、隼人のフランス姉に兄。

アンジェとマシューだった。

そして──

「久し振り……元気そうだね」

アンジェの穏和で優しいご主人……ディオ。

結婚式以来ではなかろうか?

マシューもアンジェの主人ディオは、二人とも訓練校の教官だった。

だが──。

「あれ? 今日は皆、正装だってママンに聞いたけど?」

隼人はマシューとディオが……隼人と同じようにラフな恰好をしているので首を傾げた。

すると、マシューとディオが顔を見合わせてなんだかおかしそうに笑う。

アンジェは呆れた溜息をこぼしたのだ。

「ユウスケー」

アンジェがそんな事をいって……リビングから誰かを呼んだ!

「ユ、ユウスケって……!?」

隼人はなにが起きているのか解らなくてマリーを見下ろした。

 

「さぁ……お友達が待っているわよ」

ニッコリ優美に微笑んだマリーが隼人の手を引っ張る。

「え? ええ?」

混乱気味にマリーの後をついていった。

すると──。

 

「よっし! 康夫──。担ぎ上げてでも連れて行くぞ!」

そこには握った拳を手のひらにこすりつけて気合いを入れている正装姿の祐介が。

「遠野先輩、言われなくてもそのつもりっすよ!」

黒髪を綺麗に横に流して、いつも以上にパリッとした正装姿の康夫まで!

それに……

「隼人さん! 早くしないと始まっちゃうわ! 急いで着替えて!」

若草色の清楚なドレスを着た雪江もいた。

「ええ!?」

隼人は何故? 彼等がダンヒル家にいるか解らない!

また、助けを求めるようにマリーを見下ろした。

 

「あなたの大切なお友達が結婚するのでしょう? 行ってあげなさい。

どういう理由で断ったか知らないけど……後悔するような事は駄目よ?

それに……お友達がとても望んでいるそうじゃないの?

新婦さんはまだあなたが来てくれるかも知れないって密かに待っているそうよ?

それで……ユウスケが骨折ってくれたの」

「──!!」

やっと解った……。

隼人は手に持ってきた礼装を見下ろした……。

 

『先輩が……』

祐介はあの事件後……何も隼人には言わなかった。

お小言も説教も……説得も何も言わなかった。

だけど……どんなに説得してもきっと隼人が『意固地』に拒否をすると解っていて……。

 

隼人は唇を噛みしめた……。

なんだか涙が出そうになったから……。

祐介が隼人が気にしないように、そっと密かに影から動いてくれていた事に感激したのだ。

決して……捨てなかった事を。

 

「さぁ……ハヤト」

「マリー……撮影って?」

隼人はちょっと顔を伏せながら、涙を見られないように拭った。

だけど、それはマリーにだけは見えてしまったようだった。

「フフ……実は今日はパパが出かける日で夜遅いのよ。

皆で食事は夜になってしまうわね? あら? 撮影は無理ね?

今日がダメだったということで、ハヤトはもう一度礼服を持ってうちに来なくちゃいけないみたい?

夜まで時間があるから、ハヤトはその間、お友達とお出かけしたらいいわ?」

マリーがとぼけながら笑ったのだ。

「マリー……あの電話、それで……このために?」

それでミツコとやり合ってでも隼人に必死に連絡を取ってくれたのだと解った。

 

「おーい! ハヤト! 早く行かないとおっかない彼女が覗きに来るぞ!」

マシューが椅子の背に股を広げて座りながら、そんな冷やかし。

「まったく……ハヤトもとんだ女性と付き合っているわよね?

うちのママンを怒らせるなんて、よっぽどよ!」

アンジェは母親から話を聞いたのか、結構、怒っていた。

でも──。

「僕の車で送ってあげるよ。早く支度をしなよ」

ディオがいつもの笑顔で協力してくれる。

するとアンジェがむくれながらも、スッと隼人の方へ歩み寄ってきた。

「まったく! 世話がやける弟ね! ハヤトは昔からなんでも我慢しすぎなの!

貸しなさい! 手伝ってあげるから!」

アンジェに礼装ケースを取り上げられた。

 

「先輩……すみません」

「いや……ニナがずっと気にしていたからさ。

調子よく『俺に任せろ』って格好つけちまったんだ」

神妙に礼を述べる隼人に、祐介は照れくさいのか軽やかに笑いながら濁そうとしていた。

「有り難うっす」

祐介はニコリと微笑んだだけだった。

隼人はアンジェにせかされて、すぐさま礼装に着替えた。

「見てくれよ! 隼人兄! これ、雪江と探した日本人チームのお祝い!」

康夫が着替える隼人に元気良く、お祝いの品を確かめさせようとした。

「可愛いな……」

籐かごにラッピングされたベビー用品、そしてティーセットも一緒に──。

籠の脇には愛らしい花束もアレンジされていた。

「でしょ♪ 男の子でも女の子でも大丈夫な色を選んだの!

康夫ったら、人の子なのに女の子が良いってピンク色ばかり選ぶのよ?」

雪江が康夫をじろっと睨んだ。

「だーってさぁ? ニナのイメージって女の子じゃん?

きっと可愛い女の子が生まれるんだ!」

「フィリップにそっくりな男の子かも知れないじゃない!」

「そうかなー!?」

仲の良い二人の言い合いに、隼人も心が和んで笑い出していた。

「二人で頑張れよ!」

隼人がそういうと康夫と雪江が揃って頬を染めた。

 

「子供か──」

祐介もなんだか微笑ましそうに笑っていた。

「そうだ、アンジェの坊やは?」

隼人は横で上着の肩章を整えてくれているアンジェにふと尋ねた。

「もうー、今、やっと寝付いたの。向こうの部屋で大人しくしているからそっとしておいてね」

新米ママの溜息が聞こえてきた。

「じゃぁ……夜、ゆっくり会わせてね」

「勿論よ♪ 今日は泊まって行きなさいよ」

「……」

隼人はちょっと躊躇した。

帰らなかったら……ミツコがどう思うかと思ったのだ。

「うん──その時、その気になったらね」

隼人の曖昧な返事にアンジェは不満そうだったが『あっそ』と呆れて

それ以上は無理に突っ込んでこなかった。

 

『行ってきます!』

祐介と康夫と雪江に連れられて、隼人はダンヒル家を元気いっぱいに飛び出した。

ディオの車に乗せてもらって、向かうはフリップの実家近くの教会。

 

『彼女の花嫁姿が見られる!』

 

後のことなど、もう……どうでも良かった。

自分の気持ちに忠実に動くことにしたのだ──。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 この街の郊外にある教会にギリギリに間に合った!

 なんとか皆と同じ席に参列。

既にフィリップが神前前で花嫁の入場を待っているところ。

その時に彼と視線が合った。

 

「ハヤト──!」

彼が見せてくれた笑顔に、隼人はそっと敬礼をしておく。

フィリップの喜びも束の間……パイプオルガンのウェディングマーチが流れた。

祐介と並んで、隼人は参列席から光を浴びて入り口に現れた花嫁に釘付けに!

父親に連れられてバージンロードを歩く彼女。

厳かにそっとゆっくりと静かに……隼人の横に近づいてきた。

『ニナ……おめでとう』

静かにしていなくてはいけないが、聞こえなくても良いからそっと囁いた。

彼女がそっと顔を上げた──!

『……』

ニナの口元がそっと動いた。

『ハヤト……』

そう動いたのが通じた。

 

彼女が途端に涙を浮かべている……それにつられて隼人まで目頭が熱くなった。

 

「な、良かっただろう? これで心おきなくニナは式が挙げられる」

祐介が隼人の後ろで満足そうに……そしてホッとした息をこぼした。

隼人も……ホッとした。これで後悔しなくて済んだかも知れないと

骨を折ってくれた先輩や仲間、そしてマリーに感謝の気持ちでいっぱいになる。

 

式は順調に進行していった。

神前への誓いに、指輪の交換に、誓いのキス。

フィリップはとても格好良いし、ニナはどこまでも美しかった。

「素敵〜……」

雪江もうっとりして、感激したのか涙を流していた。

「どの女もこの時は本当に綺麗だな」

祐介が感慨深げに呟いた。

(そういえば? ソフィーは?)

フッと見渡すと彼女は、事務課の女性達と遠くの方に参列していた。

「俺もさ……一応、ああ言うことやったんだけどなー?」

祐介はまた不服そうにいつもの投げやりなお調子で首を傾げていた。

「もう一度、思い出したらどうですか?」

隼人もいつもの調子に戻ってシラっと祐介に呟いた。

「お前、時々──ハッキリ言い過ぎるぞ」

『こんな時に!』と祐介が隼人をジトッと睨んできた。

「でも──俺はそういうお前が好きだよ」

彼が隼人が好きな兄貴の顔で笑ってくれた。

 

でも──確かに……。

『先輩もああやって……綺麗な奥さんと幸せな時期ってあったんだろうな?』

それが残っているから、彼は動かない妻を諦められずに彷徨っているに違いなかった。

それなら……もう、マルセイユ勤務も三年。

彼も日本に帰ってやり直しても良いように隼人は思えてきた。

彼がいなくなったら……寂しくなるけど。

きっと……それが先輩にとって一番良い近道だと思ったのだ。

 

『おめでとう!』

『この幸せ者!!』

『元気な赤ちゃん産むのよ!』

『とっても綺麗よ!』

 

事務課の女性に、そしてカフェテリアのコック仲間。

新郎新婦の親戚達。

式が終わって教会の階段に現れた二人に花びらのシャワーがたくさん舞った。

隼人も祐介と一緒に子供のように、空に向けて赤や黄色や白やピンク色の花びらを

ありったけまき散らしてはしゃいだ。

『ニナー! こっちに投げてー!』

『こっちよ! ニナ!!』

階段を降りる前にニナが背を向ける。

ブライダルブーケを投げるのだ。

次に結婚するのはだぁれ?

そのブーケを受け取った女性がその次の幸せ者。

ニナが背を向けてスッと花束を投げた!

『わぁ!』

 

隼人と祐介が笑って女性達の争奪戦を眺めていると……

そのブーケが手元にやって来たのは……なんと!

 

「きゃぁ! どうしよーー!!」

雪江だった。

雪江の側には康夫がいた。

二人がそっと視線を合わせて、照れ合っているのだ。

知っている者達は、二人を指さして冷やかしている。

勿論、祐介と隼人も『こりゃいいぞ!』と指さして大笑いだった。

 

ニナがフラワーシャワーの中、フィリップに寄り添って階段をそっと降りてくる。

隼人の前にニナが差し掛かった。

「ニナ……」

フィリップも何か解っているかのように立ち止まった。

ニナが夫になったフィリップに愛らしく頬を染めながらこっくりと頷く。

彼女の手に……二本の花。

「これ……ブーケから抜き取ったの……。私から……二人へ」

白いレエスの手袋をしたニナがそっと……しなやかな手つきで

まず祐介の胸ポケットに白いマーガレットを差し込んだ。

「ユウ……ハヤトを連れてきてくれて有り難う。

それから……私に恋をすることはどんな事か教えてくれて、そして私を大事にしてくれて……」

「二、ニナ……そんな俺は……!」

祐介が一番驚いている。

自分としては『ろくでなしの遊び人』

ニナを苦しめたのは自分だという気負いがあるのかとても戸惑っていた。

「どんな形であれ……。ユウ……あなたも幸せになってね……自分で掴んでね」

ニナの純粋な笑顔に祐介が唇を噛みしめる。

隼人には涙を堪えているようにも見えた。

そして──

「ハヤト……絶対に幸せになってね? 私の次はあなただと……祈るわ。

私の次でなくても……あなたが幸せになるまでずっと祈っている」

そして隼人の胸ポケットにもニナはピンク色の可憐な花を差し込んでくれた。

「二人とも私の大事な友人よ……これからも、宜しくね」

ニナの輝く笑顔に、隼人と祐介は顔を見合わせて……

「勿論だよ」

二人揃ってニナに微笑み、呟いていた。

 

ニナもとても嬉しそうだった。

純白のドレス──。

ふんわりとしたベールに包まれる卵形の愛らしい顔。

 

「俺が見てきた女性で一番綺麗かも」

隼人は思わず、呟いてしまって……ハッと横にいた祐介を見上げてしまった。

だけど……彼は神妙そうな顔で、美しい花嫁姿のニナをジッと見つめていた。

「ああ……俺もそう思う。やっぱり彼女が一番綺麗だった……」

男と女の仲にはなれはしなかったが……

祐介にとって……ニナは一番美しい場所にいる触れない女性だったようだ。

 

隼人はそう思った──。

 

会場はフィリップの実家……庭での披露宴へと移る事になる。

その会場へ向かう途中、振り分けて乗った車の中。

祐介はずっと真剣な顔で何かを考え込んでいた。

隼人には怖いくらい……。

彼が何かを考えている、思い詰めたような顔が怖いくらい……。

とても声をかけられそうになかった程──。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 披露宴は夜暗くなっても続いた──。

 

「も〜う……だめっすよ〜。せんぱーい……俺、ここで寝るぅ……」

「何言っているんだよ! お前は! どうしたんだ!? もう!!」

その時、隼人は自分がどうなっているか解らなかった。

解るのはとっても気分が良い事ぐらい──。

「わっ! どうしちゃったんですか? それ!」

康夫らしき声が聞こえた。

「うそ……! 私、隼人さんが酔うところ初めて見たわ!」

雪江の声も聞こえた。

「ったく……。ストレス溜まりすぎていたんじゃないのか?

夕方からこいつバカみたいにはしゃいで飲んでいたからな……危ないとは思っていたけどな」

祐介の呆れた声も聞こえる。

「俺と雪江……そろそろ帰ろうかと思っているんですけど……」

「ああ……いいぜ、こいつは俺がなんとかするから。

康夫は雪江ちゃんをちゃんと送ってやれよ」

「だいじょうぶっすか? 先輩一人で」

「私達も何かお手伝い……」

「いいっていいって! ブライダルブーケの幸せお裾分けでお前らもあっちへいっちまいな!」

祐介がそう言うと康夫と雪江がまた顔を見合わせて頬を染めた。

「俺がダンヒル家まで連れて帰るよ」

「そうっすか? じゃぁ……お先に先輩」

「遠野先輩……おやすみなさい」

可愛い若い後輩二人が、ちょっと帰りにくそうに何度も振り返りながら

披露宴会場のフィリップの実家を出ていった。

「わ……ハヤト。大丈夫かな?」

フィリップが気になっていたのか、カフェの仲間から解放されて駆け寄ってきた。

ニナは体調を考慮して、既に家の中に入ってくつろいでいるようで

退場する前に隼人に挨拶に来ていた。

その時は、隼人はいつもの冷静な顔で酔ってはいなかったが……

ニナがいなくなった途端にバカみたいな無茶呑みを始めて

側にいた祐介の方がヒヤヒヤしていたら……アッという間にこの様だった。

「フィリップ──俺達も、もう失礼するよ」

「……大丈夫かな? その様子でミツコの元に返すのかい?」

「いいや──ダンヒル元校長の家から連れてきたから、そっちに送るよ。

どっちにしろこれであの魔女の所に返したら、どうなるかそっちが恐ろしい」

「そ、そうだね……。頼むよ……ユウ」

フィリップに今日隼人を連れだした御礼を何度も言われて祐介は隼人を担いで

会場を後にした。

 

タクシーを拾う。

「おい! 隼人! お前らしくないぞ!? 酒に呑まれるなんて!」

「うー? 俺だって……酔えるんだぞ〜」

いつもは淡泊な表情ばかりの後輩が、今日は元気いっぱいはしゃいで騒いで

祐介はそんな隼人を初めて目にしてなんだか嬉しかったのに……。

最後はこれかい!? と……。

でも──こうして崩れる後輩もなんだか憎めなくて、

祐介は肩を頼ってくれる後輩をしっかり抱いて停まったタクシーに乗せた。

 

「せんぱーい……」

車の中でも隼人はシートにグッタリ背を任せて、祐介の肩に甘えてくる。

「俺ー。やっぱニナのことが好きだったみたいだぁー」

「ああ、そうかい。そんなの解っていたぞ」

「俺ってー、バカだよなぁ? なんで気が付かなかったんだろうぅう?

ああ……でも、哀しくなんかないっすよー!? とーっても今日は幸せ〜」

「……そうだな」

「俺ー何か間違っていたのかなぁ〜?」

「……」

なんだか祐介は居心地が悪かった。

普段はこういう事を絶対に口にしない後輩が……なんとも素直に口にしているから

『聞いてしまって良いのだろうか?』という戸惑いからの居心地悪さだった。

「間違ってなんかいないさ……。お前はいつも人の事が先で自分が後。

人と一緒に幸せになろうと周りを大きく見渡しすぎで……立派なぐらいだ」

「……そうかなぁ? 俺って結局、誰も幸せにしていないし〜。

横浜の実家にいても俺って邪魔者だしぃー」

「もう……いいから寝てろ!」

『横浜の実家では邪魔者』

その言葉を三年付き合ってきた後輩が初めて口にしてさすがに祐介もドッキリした。

だけど──。

「お前は間違っていない。ニナを幸せに送り出したじゃないか……。

俺の事も……たくさん助けてくれたじゃないか……。

康夫や雪江ちゃんだってお前を頼っているじゃないか……そうだろ?

間違っていたら……お前の事なんて誰も相手にしない」

それだけは言っておこうと思った。

ただし……隼人が聞いていたとして、覚えていてくれているかは今の状態では解らなかったが。

 

「俺〜先輩の事、大好きっすよー。日本に帰るなら先輩と帰るーーー」

「……ああ、そうだな。それもいいかもな」

「でもー俺っ。まだ、帰れないんすよ〜。俺って邪魔者だしーー」

またそこへ戻ったかと祐介は顔をしかめた。

「それにーあの『魔女』が一緒に帰りたいって言っているから〜……俺、意地でもここにいるんですぅ」

「……!?」

隼人が初めて『魔女』と言ったのに祐介は驚いた。

「あいつー。俺が家継ぐこと狙っているんすよー。じょーだんじゃないっすよね!?

オヤジの会社なんて誰が継ぐかっていうの! 社長夫人になりたいなら……よそへ行けって!

あの会社はーー俺の継母と弟のもんなんだから! あの二人にあげると決めているんだぁ!

だからぁ、俺がいちゃややこしいわけ? あの継母、人が良くて優しいからさぁあ?

遠慮しちゃってー、俺を引き止めるンすよね〜……一丁前に母親づらしやがって!

俺に……35歳の母親? 不自然もいいところだっちゅうの!

俺のおふくろはもう死んでいるんだ! 俺の母親はおふくろだけだっつーのに。

なーんで解ってくれないんだろうなぁ!? あーくそ!

どいつもこいつも……女は腹立つっ! あ、ニナと雪江さんはべつね〜♪」

「……」

祐介は徐々にヒヤヒヤしてきた。

なんとなく解っていたが……隼人の実家との確執の事など。

だがこんな風にあからさまに聞いてしまうと、さすがに狼狽えた。

特に30代の継母は初耳で、さすがの祐介も驚いた。

聞かなかった事にしようと、祐介は決めた。

それにしても──。

(なるほど……魔女のオイシイお婿さん候補だったわけか)

彼女の執念深さがなんとなく解ってきた気もするが……

なんて……低俗な事にこだわっていることかと祐介は腹が立ってきた。

だが逆に何かが祐介の中でフッと過ぎった……。

六つも年上の女性に引っかかった隼人。

その継母と年が近い女性と付き合い始めたのも……何か意識していたのだろうか?

ふと……そんな事を思いついてしまったが──。

それも『思いつかなかった事』にしようと心に押し込めた。

だがさらにもう一つ……。

(あの魔女と歳近い継母か……)

人良い優しい継母と言っていたが?

もしそうなら……魔女とは歳近い継母姉さんとの複雑な『嫁姑関係』が目に見えて祐介はゾッとした。

絶対に隼人は一生苦労する!

そう思ったときに、いつかは絶対隼人は別れた方が良い!

と……祐介はなんだか心が焦ってきたり……。

 

すると──。

「アイツの……思い通りになるものか!!」

隼人が急に身体を起こして、拳を握った。

「俺! アイツと別れるんですぅぅ!! 見てて下さいよ! せんぱいっ!!」

「あー解ったから! 落ちつけって!!」

後部座席で暴れる隼人を押さえるのに祐介は必死だった。

 

タクシーの運転手に呆れられながら、なんとかダンヒル家に到着。

 

「まぁ! ハヤト!? どうしたの!!」

マリーが驚いて、玄関で固まった程。

「スミマセン……なんだかだいぶハメを外させてしまって……」

「ややや! ハヤト!? こりゃ……どうした事か!?」

がっしりした体格の紳士も驚いて駆けつけてきた。

「ボンソワール。ムッシュ・ダンヒル」

体格の良いミシェールが、祐介の肩から隼人を抱き上げて譲り受けてくれた。

「ユウスケ……すまないね。お茶でもいっぱいどうだい?」

祐介は首を振った。

「いいえ……私もだいぶ呑んだのでこの辺で──。お心遣い、有り難うございます」

「そうかい……また、ハヤトとおいで」

「ユウスケ……今日は有り難う。この子がこんなになるなんて余程嬉しかったのね?」

マリーがグッタリしている隼人の額に被る前髪をかき上げて

本当に母親のように覗き込んで微笑む。

祐介はちょっとだけ……隼人が羨ましくなったが、微笑んだ。

彼が心より母親を必要としている、マリーを頼っているのが

今夜はより一層、解ったから。

「君やフジナミが来てから、ハヤトは人と付き合うこととか接することに

とても積極的になって……なんて御礼を言っていいのか……」

ミシェールまで……。父親のように祐介に感謝の眼差しを向けてくれる。

「いいえ……私の方なんです。いつも彼に助けてもらっているのは……」

照れる祐介にもダンヒル夫妻は暖かい笑顔をこぼしてくれた。

 

二人に見送られて、祐介は再び、タクシーを拾った。

 

胸ポケットには白い可憐な花。

 

祐介はそれを手にとってずっと眺める。

「ニナ……そのままずっとフィリップの側から離れないようにな……」

祐介はそっと微笑む。

俺もあんな時期があった。

まだ……間に合うだろうか? と──。

 

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